コンテンツ「非正規雇用者をどうするか」①

法学部1年 津田遼

先日、幼馴染の何人かの友人と久しぶりに集まり、盃を交わした。彼らとは小学校から一緒で、中学時代にはよく授業中にイタズラをして共に教務室に送られたり、互いの家に泊まりに行き合ったり、海岸でバーベキューをしたりした仲であり、日本、アメリカと転勤が多かった私にとっての心の故郷といったような存在だ。久しぶりの再開ということもあり、思い出話から始まり、今、各々が歩んでいる進路のことまで、語り合いは永遠と続いた。

その中で、最も興味深かったのが、幸福論についての話であった。おそらく、地球上のほとんどの人が、「最も幸福な人生」を送りたいと望んでいる。では、「最も幸福な人生」とは、いかなる人生なのだろうか。

私は、「最も幸福な人生」とは、やりがいのある仕事を一生涯貫き通し、愛する妻、そして子供を養うのに十分な給与が得られる人生であると考えている。しかし、友人の一人は、いやいや仕事なんてのはあくまで食べるための手段であって、そんなものよりも休日に思いっきり大好きなサッカーとサーフィンを満喫できる人生こそが一番さ、と堂々と言った。それに対し、もう一人は、俺は大好きな彼女と一緒に生涯暮らせれば、それだけで十分だし、それが最高の人生だ、と目を輝かせながら言った。

十人十色という言葉の意味は十分承知していたし、実際世の中そうであろうと納得もしていた。しかし、小学校、中学校と同じ環境で時間を共にしてきた旧友らの、人生に対する理想がここまで違っていたのには正直驚いた。「最も幸福な人生」は、人それぞれに異なり、ひとくくりにはできないのだということを改めて実感した時であった。


先ほど、私は「最も幸福な人生」を送るための要素の一つとして、やりがいのある仕事を一生涯貫くことを挙げた。そして、私にとっての「やりがいのある仕事」とは、できるだけ多くの人々が幸せに暮らせる環境を作り上げることである。しかし、十人いれば十通りの「幸福」の形があることから、果たしてそのようなことはできるだろうか。

確かに、「幸福」には様々な形があるが、そのほとんどが、その実現において不可欠とする共通な要素がある。それは、衣食住が確保され、その社会で生活する上で不可欠とされる程度の教育を受けることができる程度の生活を支えられる最低限の収入だ。むろん、金さえあれば「幸福」を手に入れられるわけではなく、また、金がなくても「幸福」になることができる人も中にはいるが、そういった人は極めて稀であり、現代を生きるほとんどの人々にとって最低限の金は、自らの「幸福」を実現させる上でなくてはならない存在である。

これらのことを踏まえると、「できるだけ多くの人々が幸せに暮らせる環境」を作り上げるためにできることは、彼らが自らの「幸福」を追求するための土台を築き上げること、すなわち、彼らの最低限の経済的基盤を保障することであるといえる。


 では、現代の日本社会はどうだろうか。

バブル崩壊により、日本経済は約14年間という長期間にわたって低迷していたが、2006年には実質GDP成長率も2.2%にまで回復した。また、2002年6月には5.5%であった完全失業率も、2007年7月には3.6%まで大幅に改善した。しかし、一方で、非正規雇用者が急激に増加し、その結果、これらの人々が経済成長の恩恵を十分に受けることができない状況が生まれてしまったのである。

正規雇用者が経済成長の恩恵を十分受けられない理由として、低賃金と、不十分な雇用保障、の2つが挙げられる。

まず第一に、低賃金である。2006年度「賃金構造基本統計調査」によれば、正規雇用者の平均年収が523万円であるのに対して、非正規雇用者はその約半分の267万円だ。

第二に、不十分な雇用保障。雇い主である企業は、正規雇用者に対しては、雇用保険料・社会保険料を負担しなければならないが、非正規雇用者に対してはその必要はない。したがって、非正規雇用者は自ら保険料を負担しなければならないが、十分な収入がないため、雇用保険の加入率は63%である。また、加入しても保険料未納となるケースも多い。

そして何より問題なのが、この正規雇用者に対する非正規雇用者の割合は年々増加していて、全雇用者の3割以上が非正規雇用者であるということだ。よって、非正規雇用者に対する制度の改革をはじめとする、新たな政策の立案と実施が急務である。