〈新入生諸氏へ〉或る会員の独白   政治経済学部1年 (匿名希望)

 

会員はコラムを書かねばならない。だが、残念なことに、筆者の頭のなかをいくら探しても、語るべき何かが出てくる気配はない。困った。3月16日、丁度午前零時。おそらく、筆者だけではないと思うのだが、眠くなってくると〈自分〉の境界が溶けてきて何が何だか分からなくなってくる。このコラムも、その勢いで筆を執っているようなものだ。コラム執筆を呼び掛けている演練幹事のS氏には、大隈塾(多分、ウェブで調べれば情報が出てくる。筆者は半年しかいなかったが、輝く新入生にはオススメである)でもお世話になったし、そもそも普段あまり活動に参加していないのだから、こういうときに役に立たなければ、紛うことなき役立たずである。

 役立たずといえば、ここで誰にとっての役立たずなのか、という疑問が生じてくる。はて、書いていて自分でも分からない。ううむ、気になる。書くべきテーマもないので、少し考えてみることにしよう。

やはり、世間だろうか? そもそも、世間の役に立つとはどういうことだろう。生産性か? それならば、一部の例外を除いて大学生が生産性を兼ね備えているはずもない。大学生は何も知らず、無力である。ゆえに、生産しない。むしろ、その無生産性に特徴がある人種である。若さに価値があるとすれば、それは何も持たない点に尽きる。自らが最も鋭く研ぎ澄まされており、鈍った先代に対して優位であるという考えこそ、若さの成せる技であり、青き春ここに極まれりと感慨深い。強いて言えば、半人前ゆえのゴツゴツした鈍さにこそ価値があるのではないだろうか(と偉そうに書いている時点で筆者の器のサイズがお分かりいただける)。閑話休題。つまり、筆者はまず世間にとって役立たずである。

他はどうだろうか、雄弁会内……幹事会は? 幹事会とは我が雄弁会の運営を担う合議体であって、絶大な権力を有している。おや、確かに何か幹事会の役に立った記憶はない。せいぜいチラシを作った程度であるが、それも幹事諸氏の膨大な職務に比べれば易しいものである。なんとも恐るべきことに、すぐに答えが出てしまった。幹事会の役にも立っていないようだ。

そういえば、役に立ってはいないが、一度も幹事会から文句を言われたことはない。なぜだろうか。もしかしたら、それは雄弁会独特の寛大さに起因するのかもしれない。役職者とは権力と引き換えに責任を負い、あまつさえ他人の人生まで背負う損な役回りである。政治の場を深く見据えんとする会員にあって役職を望む者に、「役立たずだからヤツは迫害してやる」などという幼稚な考えが芽生えようはずもない。実際に現在はO幹事長が君臨しているが、彼はト○ロのように人格者(だと筆者は思っている。さらにいえば、トト○の人格は知らないが、多分寛大で優しいのだろう)であるから、少なくとも筆者は迫害されていない。まったくありがたいことである。

はてさて、再び脇道に逸れてしまった。本題は何であったか。そう、筆者は誰にとって役立たずなのかという極めて不毛な議論であった。

ここまで述べてきた通り、基本的に誰かの役に立っているということはなさそうである。ううむ、困った。……いや、待て待て。どうやら一人くらい役に立っている者がいそうである。そう!(大根役者っぷりは文章にも滲み出るようだ)当然、入会を選択している以上、自分自身の役には立っているであろう。この「誰の役にも立っていないとしても、自分の役には立っている」という記述には、一見違和感があるかもしれない。だが、新入生諸氏、あえて言おう。とりあえず今はそれでよいのである。もし読者諸氏が「他者のため」と感じたとき、一度立ち止まって、心の内を顧みてみるのが良かろう。善意ほど取り扱いの難しいものはない。ちなみに、同じく取り扱いの難しいものに、正義感と正論がある。何はともあれ、まずは「自分の役に立っている」こと、いわば利己性を自覚すること。そのうえで、枝葉を広げていくのが良いのではないか。

さて、深夜の勢いで書いた偏見に凝り固まった文章も、そろそろ幕引きとしよう。いよいよ、〈自分〉に続いて〈本題〉と〈余談〉の境界も溶け始めた。時刻は午前1時。これ以上つらつら駄文を連ねるとお叱りを受けそうなので、箇条書きにしておく。

一、世間の役に立たない→半人前だからこそ、我々は学び、実践する。

二、幹事会の役に立たない→一見保守的な雄弁会だが、そこには寛容さが潜んでいる。

三、自分の役に立っている→その主観性を普遍性に開いていく。そこにコミュニケーションたる弁論の面白さがあるはず。

 

改めて新入生諸氏、ようこそ雄弁会へ。

 

 

以下、補足。

[補足①]当然、大学生に生産性がなくても、将来的に生産性を発揮する能力を育てるわけであり、厳密には生産性がないわけではない。だが、深夜なので許してほしい。

[補足②]大学生について、何も持たない=先入観がない/しがらみがない/身軽=鋭いという論も成立するし、そもそも大学生に関する本稿の記述はことごとく非論理的、主観的、恣意的である。だが、深夜なので許してほしい。

[補足③]幹事会の記述を読むと、まるで媚びへつらっているようであるので補足しておく。筆者から見て諸先輩をはじめ会員諸氏は味があって大変好ましい。幽霊化しつつある筆者が会費を払い続けている理由は、ひとえにこの人的関心にある。筆者は基本的に会員に対して好意的であり、幹事会だけおだてているわけではないのだ。

[補足④]他者の話の価値を決めるのは読者諸氏である。こんな文章くだらないと思えば、さっさと忘れてくださってよい。だが、雄弁会の価値については、他の会員のコラムも読み、出来れば新歓活動に参加し、実際に話をし、そのうえで判断してくださると、この上なく嬉しいものである。