「……そして少年は大人になる」政治経済学部二年 伊藤直哉

雄弁会の門をたたいてから早くも2年もの歳月が経過しようとしている。これから雄弁会に入会しようとする新入生にあっては、不肖ながら私のコラムが一助となれば幸いである。
ここでは私の入会の経緯について記述したいと思う。
2年前の4月、友人の紹介により雄弁会の存在を知った。新歓ビラに記された文言を見て、雄弁会の人たちは本気で考え、活動に邁進しているのだ、と判断した。特に、「研究活動」は魅力的であり、自分のニーズを満たしてくれるだろうと考えた。当時、大学という贅沢な環境に身を置くのならば遊びだけではなく、勉学にも励もうと思っていた私としては、このサークルの存在は願ったりかなったりであったのだ。
高校時代に感じていた大学のイメージとは、暇をもてあまし、ただ徒に遊び呆ける場所であった。これは特に文系に多いのだろうという考えもあった。しかし、早稲田大学は私立大学であり、学費も突き抜けて高いのであるから、なにかしら行く意味を見出さなければならない、という義務感のようなもの感じていた。では、義務感とはなにか。それは大学が教育機関である理由を思い浮かべれば簡単に解が出てきた。すなわち、勉学に励むことであったのだ。勉学として、なんとなく政治の勉強をしてみたいと考えてはいたものの、大学が設置している授業には期待できなかった。なぜなら、大学の教授は自分の研究の片手間に教えるものであるから、本気で学生に教えてはいない、という言説が漂っていたからだ。実際、体系化された勉学を教えることには成功していないように思う。全体を見ても、おいしいところをつまんで与える程度だ。ただし、あと2年の授業を受ければ形になるのかもしれないが、自主学習と併せてものにするのでなければ、これに期待するには心許ない、というのが正直なところである。ここで重要となってくるのは、自主学習である。いわば、主体的に行動するということである。自主的な行動の場所として挙げられるのはサークルであった。従って本気で打ち込めるサークルに入ろうと考えていた。3月末と4月のはじめは盛んにビラ配りが行われており、実際に新歓のビラをたくさんもらい、それらを読んではみたものの、どの団体も私をひきつけるものではなかった。4月も終わりを迎えようとしていたときに、友人の紹介で雄弁会を知り、新歓での先輩方との議論を取り交わすなかで研究したい内容を自覚するに至り、確信を持って活動に参加することができた。
雄弁会ではその機構的に或る程度は自主的にならざるを得ない上に、それが報われたことが実感できるインフラが整っている。例示するならば、研究活動である。特に、会員の問題意識は多種多様であるので、人に教えてもらうのではなく、自分から研究していく必要があるからだ。そして、その研究成果を発表する場が合宿の場として存在するし、弁論大会では聴衆に説得をし、それが入賞という形で成果を実感できることもある。このようなインフラは私の欲求を満たしてくれるものであった。この点で私は雄弁会で研究活動をすることができ、満足している。
私の扱う領域は虐待、少年犯罪が主なところであり、雄弁会はこのような問題を解決するために自分がコミットできる場所であり続けた。それが実感として沸いたのは、雄弁会員として或る児童相談所に赴き、フィールドワークを行ったときである。児童相談所の次長の方とお話しすることができ、自分が研究した内容を中心に話し合いをすることができた。また、それを基によりよい社会的養護の形を訴えたところ、先方を説得することができた。このような体験は、自らの研究内容が評価された実感として感じさせてくれるものであり、未だに記憶に新しい。
新入生の中にはどこから生じるかわからない不満や見えない将来など、考えをめぐらせればめぐらせるほどその答から遠のく感覚を抱く人もいるかと思う。すなわち、考えれば考えるほど、さまざまな選択肢が現出し、それを絞り込むことができず、枝葉末節の点に目がいってしまう状態である。考えることは難しい。
或る人は考えることをやめ、適当さに身を任せるだろう、或る人は自分で考え答を導き出しそこに突き進むだろう。どちらが正しいとも、正しくないかともいえない。そもそも何が正しいかもわからない。但し、ひとつだけいえることは、その考えに納得できる人は強い、ということである。雄弁会では、同期も先輩も後輩も議論をする。問題意識に関することはもちろん、その他さまざまなことについて議論する。お互い切磋琢磨することによって、自らの言説は自分でより納得できることになるだろう。これは問題意識の解決のみならず、個人の人生における大きな糧となることは間違いないだろう。

本気で考え、本気で行動したい人には是非、雄弁会を使ってもらいたいと思う。

題名の「……そして少年は大人になる」は松本零士氏の劇場版『さよなら銀河鉄道999』の中からとった。
主人公の星野鉄郎が母を殺されたことによる復讐心に燃え、永遠の命を求めて、無料で機械の体にしてくれる星へ向かうために蒸気機関車をかたどった銀河鉄道999に乗車する。しかし途中駅での下車や車内での出来事など、さまざまな経験を通して限りある命の大切さに気づき、今を精一杯生きようと考えるようになる。

われわれ大学生には数多くの時間が与えられている。その時間をどのように用いるかは本人次第である。大学を卒業すれば名実共に大人になる。その前に精一杯がんばってもらいたい。
大人になる前に、少年である今のうちに。