『弁論大会について』 文化構想学部1年 宮田竜太郎

雄弁会のホームページをご覧になる方の多くは弁論部関係の方なのでしょうか。もしそうであるなら、この文章を見てくださる方の多くはおそらく弁論大会に一度足を運ばれたことがあると思います。

弁論部関係者(身内)の多くが大会に足を運んでくれる、それ自体は大変すばらしいことです。一方で悲しいこともあります。弁論大会という場に弁論関係者以外の方がほとんどいないということです。

弁論関係者以外の方が一人もいない大会、すなわち身内しかいない大会も決して少なくありません。弁論関係者以外の方が多くいらっしゃる大会でも、聴衆の一割程度にしかならないと思います。

弁論大会は何のためにあるのでしょうか。これまでいろいろな方とお話していろいろな意見をお聞きしました。聴衆を説得するためにある。聴衆を説得する技術の練習をするためにある。大学ごとに順位を競うゲームとしての意味合いが強い。特に意味は無く、お祭り的なものにすぎない。

私は弁論大会とは、弁士(弁論を発表する人)が聴衆を説得する場であると思っています。だからこそ、弁士は自らが訴えることに関して必死で研究をし、弁論原稿を書き、大会までに何度も原稿を読みこみ練習をするわけです。弁士が全力で挑んでくるので、聴衆は全力で野次を飛ばし、厳しい質問を投げかけるのです。

初めて弁論大会にいくと、「なんでこんなに大きな声で野次を飛ばしているのだろうか」「弁論が聴こえないじゃないか」と思うかもしれません。僕も初めての大会ではそう思いました。しかし今思うのは、弁士が全力で聴衆に挑む(弁論という形で)からこそ、聴衆も全力で弁士に挑む(野次や質問という形で)のだということです。その結果、野次を飛ばすときの声量が大きくなるのです。

これは私の意見であって、違うことを考えている人も確かにいます。「野次は弁論大会というお祭りを盛り上げるためにあるだけだ。だから、言葉の内容は特に重要じゃないと思う」、私はまったくこの意見に賛同できませんが、こう言っている弁論関係者も確かにいます。

話を戻します。弁論大会が説得の場であるとすれば、聴衆はできるだけ多い方が良いですし、普段議論する機会のない弁論関係者以外の方がたくさんいたほうが良いはずです。
であるならば、弁論大会に弁論関係者しかいないという現状は改善すべきです。

現在、私と同じことを思っている人は多いようです。初めて大会に訪れた方の多くがカルチャーショックを受けるであろう野次を禁止にすれば、改善されるんじゃないか。弁論大会の質が下がっていることが根本原因であるので、それを改めるべきだ。等々・・・・・・。

もしこの文章を読んでいる方で弁論大会に行ったことがないという方がいらっしゃったら、ぜひ一度大会に足を運んでほしいです。弁論大会ほど情熱にあふれた場はなかなかないと思います。琴線に触れるような演説を聴く機会は他ではなかなかないでしょう。演説を聴き思わず涙しそうになる、そんな機会は他ではめったにないでしょう。少なくとも私の場合は、雄弁会に入るまではそんな機会ありませんでした。

そして大会に足を運んでみて、感想、意見がありましたら、ぜひ意見、感想を教えてください。このコラムにはコメントを残すことができますので、コメントとして書いていただきたいです。賛否どちらでもかまいません。率直に何でも書き込んでください。

今期の弁論大会の日程はまだ決まってないようですので、最後に昨年の弁論大会の日程を参考に書いておきます。

東京大学五月祭記念弁論大会 5月29日
紫紺杯争奪全国学生雄弁大会 6月18日
国学生新人弁論大会 6月25日
早慶新人雄弁大会 7月10日(昨年は震災の影響等で遅れましたが、例年はもう少し早い時期に行われています)

一度足を運んでみて、過ごした時間が無駄だったと感じたのであれば、正直に言っていただいて構いません。
ぜひ、弁論大会に一度来てください!!