『イオニアのブッダ』 政治経済学部1年 糸氏悠

世界は何から生まれ、何でできているのか。この問いが初めて生まれたのは紀元前6世紀イオニアの地であった。この時この地において初めて神々の住む世界から人々が旅立ったのである。
ほとんど時を同じくして紀元前5世紀インドで世界を探求した哲学者が生まれた。ゴータマ・シッダールタという。王国の王子であった彼は老い、病み、死ぬ苦しみを目撃し出家する。いわゆる四門出遊である。彼の望みは全く苦しみからの逃避であった。どうすれば苦しまずに済むのであろうか。神がかり的な力があれば苦しみから解放されるのではないかと先ず彼は考えた。しかし修業の末神通力を得たシッダールタは老い、病み、苦しんだ。人はなぜ苦しむのか。彼は神に頼らず自分で考えることにした。彼は菩提樹の下で一心に考えた。そしてとうとう苦しみから救われる時が来たのである。これはシッダールタがある世界の法則を発見したことによる。
――ここで“仏教”という名称について厳密には正しくないことを指摘する。“仏教”は「仏の教え」ではなく世界法則である。世界法則を発見したシッダールタは確かに偉大ではあるがあくまで発見者にすぎず、いわば万有引力の法則を発見したニュートンのような立場にとどまるのである。例えニュートンが生まれずともリンゴが木から落ちるようにシッダールタが発見した世界法則“仏教”はシッダールタがいなくても関係なく世界を貫く法則として存在するのである。
人はなぜ苦しむのか、その答えはありもしないものに捕らわれているからだ。金、女、食い物などすべてのものは移り行き、それらに本質などありはしない。住処についてもどこかの木を組み合わせに過ぎないようにあらゆるものは縁によって結びついた偶然の産物にすぎず実体などないのである。諸行無常諸法無我、縁起説この三つがシッダールタの発見した世界法則である。この世界解釈において神の介在する余地はないしましてや神通力や奇跡なども不必要なのである。
三大宗教の一つとされる仏教であるが、その開祖シッダールタの思想によって人々はむしろ神話的迷信から解放されたのである。