『自らの言説に責任を持つ』社会科学部1年 齋藤暁


 僕が早稲田大学に入学して早くも2ヶ月が経とうとしている。そしてこの2ヶ月間は雄弁会と共にあったと言っても過言ではない。それ程雄弁会活動は濃密で充実したものだと思う。

 では、雄弁会とは何か?そもそもなぜ僕が数ある早稲田大学のサークルで雄弁会を選んだのか。それを書く前に少々昔話をしようと思う。

僕は高校時代、宮城県のある公立高校に通っていた。そしてその学校で僕の在籍していた学科は所謂「普通科」や「商業科」などのありふれた学科ではなく、「スポーツ科学科」という・・・つまりは体育科であった。そこで僕は2年半ただひたすら陸上競技の長距離種目に没頭し、試合のために毎日20km以上を走り込んでいた。夏はフラフラになりながら苦手な上り坂を走っていた。そんな苦しい練習や試合を乗り越えられたのは、互いに励ましあい、切磋琢磨し合った同じチームの仲間のお陰である。そして、そのチームの中において僕はあることに気がついた。それは、『僕は人よりも発言力・影響力がある』ということである。別に部長やキャプテンでは無いのだが、僕が話をするとなぜか皆が納得してくれることが多かった。よくよく思えば、小・中学校の時からもそのような事があった気がする。
だが、高校3年の夏に僕は大きな事件を起こしてしまう。僕は大学の一般受験を理由にあれ程好きだった陸上競技を辞める決意をしたのだ。それを先生や仲間に告げたとき、当然ながら僕は止められた。僕は仲間に秋の駅伝を共に戦う約束をしていたからだ。しかし、僕の決意は固く、辞める旨を部室で仲間達に伝えたとき、仲間が怒り、そして皆泣き始めた(恥ずかしい話だが、泣くなんて予想すらしていなかった・・・)。この時ようやく、僕は自らの言説、発言力がいかに大きかったかを実感した。仲間を自らの言説により説得したにも関わらず僕自身がドロップアウトしたことにより、僕に期待をしていた仲間を裏切ったのだ。その後、浪人はしてしまったのだが、辞めた際に仲間に誓った「早稲田大学合格」という約束をどうしても守りたく、偏差値40台から死ぬ気で勉強した。自らの言説に責任を持ちたかったからこそ、携帯電話を解約し、1年間テレビを見ず予備校を往復する仙人のような生活ができたのだと思う。僕にとっての早大合格は、『約束を果たす』意味合いが大きかった。

昔話はかなり長くなってしまったが、以上の出来事が僕のターニングポイントとなり今の僕を形作っている。雄弁会とは、自らの考える理想社会の実現のために多くの人々と議論を重ね、解決のための手段を考え、そして他者を説得するサークルである。つまり、『自らの言説に責任を持つ』事ができなければ何も始まらないのである!!責任無き説得は詐欺となんら変わりない。他者を偽ることになるのだ。だからこそ国民の意思を代弁し、国民を説得する政治家は、僕ら一般人以上に自らの言説に責任があるのだろう(普天間基地移設問題に関する前首相が良い例である)。
話は少し逸れたが、高校時代の事件をきっかけに僕は、自らの言説に責任を持ち、行動に移していく雄弁会というサークルに完全に惚れ込んだ。それに昔から議論する事は好きだった。しかし、ただ議論をするのであれば、100人規模のアカデミックサークルに入会したほうが多くの人々と議論できるメリットがある。雄弁会はたかだか30人規模のサークルにすぎない。他のサークルと雄弁会が異なる点は、雄弁会員の考えの根底には先にも述べた『自らの理想社会』が存在するという点である。ただニュースを見て問題事象について考察・研究するのではなく、自らの理想社会に基き行動し、理想社会から逸脱する問題事象の解決を図るために議論するのだ。それも自らの言説に責任を持ってである。だからこそ、雄弁会員の議論は常に真剣そのものであり、一度でもやると言った事は絶対やり通さなければならない。雄弁会は一切ハンパな言動が許されない、本気のサークルである!!!

今年は例年になく多くの、とても個性的な1年生(!?)が各々の持つ理想社会・問題意識を根底に置き活動している。会員同士が議論を通して互いに励ましあい、切磋琢磨をする姿は僕の高校時代と同じかもしれない。だが僕は、高校時代の過ちは二度と繰り返してはならない。
僕は『自らの言説に責任を持つ』ことを、今後の雄弁会活動や大学生活の中で常に自分に言い聞かせていきたいと思う。

私の稚拙な文章を最後まで読んでいただき感謝します。
そして最後に皆さんにも問いたい。

皆さんは、自らの言説に責任を持てていますか?