合同コンテンツ「ザ・デイ・アフター」

政治経済学部1年 太田 龍之介

 前回は、「働けない人」への保障の不備と、「働く人」に起こる精神的不健康が、我々が満足のいく生活を送る上での生涯になっているとした。今回は、なぜ社会がそのような状態に陥ってしまったのかを考察する。
まず、「働けない人」への救済策としての社会保障を考察するため、社会保障を支えている財源について見てみることとする。社会保障の財源として最も大きいものが、健康保険、雇用保険、年金などの財源となっている社会保険料で54兆7,072億円の収入、税が30兆848億円、資産収入が18兆8,465億円、その他収入が13兆8,835億円となっている(05年度)。一方で、社会保障の支出は06年では90兆円程度であり、うち年金が47%、医療費が28%、福祉その他が15パーセントとなっている。このデータによれば、現在は若干の収入超過状態といえなくもない。
 しかしながら、今後社会保障は劇的な危機状態にさらされることとなる。それは、今後十数年間でこれらの保障を必要とする高齢者が増加することで、社会保障費が急速に増大することである。
 こうした事態は、寿命の増加と、出生人口の減少によって起こる。前者は単に国内の栄養、衛生状況が向上してきた結果である。後者は若干複雑であるが、主に子育てを行いにくい環境(時間的、経済的余裕のなさ)が増えてきたことや、これまで子育てという役割を担ってきた女性の社会進出によるとされる。

 次に、長時間の労働という観点ではどうだろうか。過労死といった問題が社会現象化した80年代以降、外国からの要請もあって国内では労働時間の短縮が進んだと言われている。それによって過労死などの申請件数は89年の777件を境に減少してきた。しかしながら、93年に380件まで減少した後は、現在に至るまで増加し続け、昨年度は938件となっている。
 なぜ労働時間は短くなっているのに、過労死は増加するのか。それは、海外との経済競争が激化する現在、企業のコスト削減圧力が強まり、労働力の非正規化と、正社員の労働時間の長大化が進行したためである。このため、統計上は一人当たり労働時間が減少したものの、実際には過重な負担を強いられる人の絶対数は減らなかったのである。
過度な残業が行われることを防止するためのシステムとして、残業手当の制度がある。しかしながら、それでも雇い主は残業させる方が割安に労働力を行使できる。それは、残業手当の算定基準賃金が、家族手当や通勤手当などを除いた月例賃金の部分のみだからである。これに残業手当分を上乗せしても、本来の賃金よりも安くなる。つまり、残業することは雇用者の負担を増大するどころかむしろ軽減しているので、残業が常態化してしまう。さらに、サービス残業という形でそもそも残業代を支払わない場合もある。このように、現行のシステムでは過重労働の解消は困難であり、むしろそれを促進してしまう向きさえもある。
このような長時間労働は、本人にとっての不幸であるばかりか、労働者の時間を奪うと上に書いたように少子化の原因にもなり、結果として働く人も、働けない人も、その命を守る術を無くしてしまう危険性があるのである。

 このような事態に、いかにして立ち向かうべきだろうか。それは次回述べることとする。