「これからの地域戦略」 教育学部2年 岡田想


日本の地方衰退が叫ばれ始めたのはいつ頃からなのであろうか。ひとつには国家的に地域政策をとることを決定した1962年より少し前からではなかろうか。1960年、池田内閣の所得倍増計画の下、南関東から北部九州までいわゆる太平洋ベルト地帯が形成され所得倍増はたったの6年間で達成、高度経済成長の足崖となった。しかし、この太平洋ベルト地帯に人口の60%が集中し、都市部では人口過密による交通・公害等の問題が起こり、地方では都市部への人口流出により過疎問題が起きるに至ってしまったのもまた事実である。その後、日本は今日まで国家をあげて第一次から第五次までにわたる「全国総合開発計画」の下、地域政策に取り組んできたがいずれも地方問題を解決するに至っていない。ちなみに現在はより緻密な政策を打ち出すため、全国総合開発計画は「全国計画」と「広域地方計画」の二つに分けられている。


さて、これまでの日本の地域政策の問題点は何なのであろうか。あまり時代を遡って分析してもしょうがないので(時代背景が違うため)、現在のグローバル社会に関わるに至った1985年の円高ショック以降の地域政策の問題点に言及させていただきたい。円高以降、日本の企業が対外直接投資を本格化したことで、現在のように世界経済でも力を持ち日本はGDP世界2位という地位を築いてきた。しかし日本の地域政策はこの経済の世界進出に連動したものではなかったために効果を上げられなかったといえる。具体的には1987年の「第四次全国総合開発計画」では特色ある極形成といった理念の下、交流ネットワーク構想をかかげ、1998年の「第五次全国総合開発計画」では太平洋ベルトに加え北東・日本海などに新国土事業を行うことで多軸型構造を形成しようとした。しかし結果として出来上がったのは人口・企業の多極分散国家ではなく、東京一極集中に見られる消極集中国家なのである。これはグローバル化が進む時代において世界的な情報・交通の利便性を求めた企業のニーズに答えたものではなかったということである。


では、今後の地域政策に必要なこととは何か。上記のことから明白ではあるが、グローバルな視点での地域戦略をとれる地域政策を打つことである。例えば九州はその地域生産所得でオランダ・マレーシアなどの国と匹敵する経済力を持っている。もはや国家単位で戦略を練るのではなく、よりスムーズに細かい政策の打てる地域単位での戦略をとることが必要となってくる。つまり今後求められるのは世界の中での日本一国の経済ではなく、世界の中での日本の地域経済なのである。日本も道州制の導入を決定しこの流れにようやく乗ろうとしているが現状の決定のままではまだまだ不十分である。例えば課税権をどのようにするか(税率を変えられるのか、新課税は可能か)などは明確に決まってはいない。ひとつには、国の財源については、国が現在もつ税源を地域に移譲した後、所得税など特定の税源を維持することが考えられるが、いずれにせよこのような点を明確にし、道州制へ移行することで地方の衰退問題が解決されることを期待する。