第四弾:政策論

政治経済学部二年 佐々木哲平


前回までのコンテンツでは地域コミュニティの重要性ならびにどのようなコミュニティを志向すべきかを述べてきた。この第四弾ではコミュニティ復興の為の政策の方向性を提示したく思う。


非都市部地域における指針

まず、コミュニティの崩壊と一言で言ってもそれは人口の集中する都市部と過疎・高齢化が深刻な非都市部において同時進行している。まず、非都市地域から見てみる。非都市地域では人口の高齢化、若年人口の都市流出によってコミュニティの構成員が決定的に不足する状況が発生している。コミュニティが比較的残っているといわれる鹿児島県での調査によると「校区・地区自治組織で困っていることや問題点」で「人材の確保が難しい」「少子・高齢化」「行事や伝統芸能の維持が難しい」の項目がそれぞれ67.8%、66.1%、54.2%となっている。伝統行事・伝統芸能の維持困難も少子高齢化・若年の人口減少という地域の背景から納得できる。一方で「若者や転勤者などの自治組織への加入が少ない」との項目は23.7%に留まった。これが意味するのはすなわち若者やよそ者はコミュニティや行事に無関心であるということは決して無いということだ。「ボランティア活動に興味があるか」といったしばしば行われるアンケートにも肯定的な回答が数多くあるように、活動自体に不熱心・無関心というわけではないといえるだろう。つまりある程度のコミュニティが残存する地域における問題は、人口の過疎化・高齢化によるコミュニティの担い手不足なのである。
そしてこの担い手不足はどのようにして発生するかといえば、それは若年人口の都市部への流出によるものである。地域別の出生率データに拠れば東京など都市部の出生率が平均を大きく下回るのに対して、農山村を中心とする非都市部の出生率はかなりの高水準である。つまり若年人口自体は存在するのだがその人口の大半が都市に流れてしまうこと、その理由として雇用機会が大都市部に集中していることが挙げられる。この都市部への人口流出を抑止する為には雇用機会をできる限り非都市部にももたらさねばならない。
ここで近年注目を集め、各地で取り組まれている事業として産業クラスターがある。地域一帯の産業や知的財産を有機的に連携させて経済振興を図るという事業である。これの大きな利点としては公共事業や大企業等の誘致ではなく各地域の内発的な産業発展が期待できることだ。それによって財政的な制限や少数企業の事情(業績悪化・撤退等)に地域全体が左右されるという事態は避けられるのだ。
しかしこれにも問題点はある。この産業クラスターを成立させる為には周辺一帯の自治体間の緊密な連携が必要となるのである。なぜならば産業クラスターは一基礎自治体の規模でできるものではなく地域全体で発信しなければならない。そのためには広域的な連携が必要不可欠なのである。しかし実際は激化する自治体間競争のなか、いかにして隣町に対抗するか、隣よりどれだけ発展するか、ばかりが大きくクローズアップされる。
ここで必要なのは競争ではなく連携を推進するという発想の転換である。そのモデルとして「コンパクトタウン・クラスター」を提示したい。都市クラスターというと都市部の政策、ないし市街地・まちづくりに関するものと考えやすいが、ここで取り上げるものは都市・市街としての発展を期すものではない。その内実は自治体ごとの分業体制といえばわかりやすい。産業クラスターを形成するにあたり自治体ごとに各分野を特化させるのである。そうすることによって比較的インフラの整った、または積極的に企業誘致した基礎自治体にばかり産業が集中するといった事態を避けることは可能となるうえ、地域全体として一体的な産業発展をすることが可能となるのである。
(以上のような基礎自治体間の連携不備、都市政策については私の弁論「橋の上からは」を参照していただけると幸いです。)

都市部地域における指針

では次に都市部においてはどのような対策が必要となるのであろうか。
都市部においてはかつての「ご近所づきあい」のような共同体は更に希薄化し、コミュニティはまさに消滅の危機に瀕しているといわざるを得ない。非都市部のように元々あるものを共通善の素地としてそれを発展させていくという方法を取ることは極めて困難なのである。
これではこれまで地域が担ってきた重要な役割である「社会化」は難しい。このままでは共通善は継承されずに断絶してしまい、地域社会のアノミーは無限にアノミーを量産し続けるだけとなってしまうのである。共同体や共通善を守ろうにも、そもそもそれを受け継ぐ存在がいなくなってしまうのである。
 政府としてもこのような状態を問題視し、地域社会をソーシャルキャピタルとして捉え、地域社会に残る教育力を今一度積極的に学校教育に活用しようという事業を展開している。総合学習や社会科の授業時間を用いて地域住民の方を講師として招いたり、様々な体験学習等を通じて地域活動に参加したりといった地域住民との連携した教育が試みられてはいる。学校・家庭・地域の連携とはもはやお決まりのスローガンになっているといっても過言ではないだろう。
しかしながら逆を言えば、この現行のコミュニティ教育がスローガン倒れになっていないかという問題もある。これまでのコンテンツで論じてきたように、社会化や共通善の再生産を継続していこうとすれば従来の共同体のような恒常的な人間関係が必要となる。日ごろから会話を交わし時には協働することを通じてそれははじめて成り立つものなのである。だが、現在行われているような地域住民の講師や体験学習、地域活動は、文字通り体験するだけの学習にとどまってしまっているのである。これらの事業は一回限りのイベントである場合が多く、常日頃から子供たちや多くの地域住民が触れ合いの機会を担保するまでは達していないのである。考えてみればどこぞのおじさんが授業で一回や二回学校を訪れた、一日限りの農業体験、というだけでそれがかつての地域共同体の働きに匹敵しうるわけがない。時間的にも限界があるうえ様々な世代・多くの住民と接触できるというわけではないのである。住民の参加意識が低いわけでは決してない。地域住民の多くは青少年の教育・育成に興味を持ち、そのような地域活動に参加したいと考えているのだが、その機会が非常に少ないのである。NPOやクラブ・サークルも地域には多数存在する。ここで必要なのは、①日常的に、②多くの住民が、参加できるような機会をもたらすことなのである。
ここで提言したいのは学校の複合施設化・多機能化による住民参加機会の拡大である。具体的に言うと学校に公民館・図書館などの社会教育施設の機能を与えることで児童生徒・地域住民が恒常的に触れ合う機会を創出するのである。つまるところ学校が地域住民にとって必要な各種機能を備えることによって地域共同体の機能までも内包させてしまおうというものである。これによって例えば学童保育NPOなどを通すなどして住民が参加したり、土日には住民参加型のクラブ活動が活発に行われたり、サークル活動と連携した授業を行ったりできるのである。