「新たな夜明け〜日が昇るのは地域から〜」 vol.1「地域・コミュニティの危機」

商学部2年 花房勇輝

地域が、コミュニティが危機に瀕している。
みなさんはこうお考えになることがないだろうか?

昔に比べて、近所の方々との交流がめっきりと減った。
昔は地域全体で子供を育てていたようなものだったのに、今では地域で増える犯罪や少年の非行などの課題に地域で取り組もうとも、それがなかなかできなくなってしまった。
いや、そもそも隣近所の方々がどんな方なのかということすらわからない。

一体いつからこうなってしまったのだろうか?
戦前は、特に地方の農村において、農作業を近隣のコミュニティ構成員で協力する必要性があったことから、互助関係による強力な結びつきのある地域共同体が存在していた。しかし戦後、特に高度経済成長期にかけて人口が都市に流入し、また旧来のコミュニティによる互助関係で得ていた機能が、公的な社会保障によって補うことができるようになったため、次第に地域共同体の結びつきが薄れていった。

また、これとともに地域の方々との交流がある種「うっとうしい」と考える方々がいることも事実だろう。確かに人間関係というのは時にはそれ自体ストレスとなりうる。
しかし考えてみて欲しい。そのストレスを解消する、そこにはほとんど他者が介在しているのだ。例えば、人に愚痴をこぼす、相談相手になってもらう、一緒に趣味を楽しむ…。
地域での交流が失われたことで「うっとうしい」と感じることは減ったかもしれないが、その分失ったものも大きいのだ。
実際に、地域のコミュニティを再生することによって、それぞれの防犯意識が高まり、地域の犯罪率が低下した、という例は多い。
一度失ったものを取り戻すことで、改めて得るものも大きいのではないだろうか。

しかし、ここで一つ言っておきたいのが、私は何も昔のような「ムラ」社会に戻れ、ということを主張しているのではない。むしろ、そのような社会での人間関係は必然的強制的なものであって、そこからストレスを受けることが多いのだ。
私が目指すのは、NPOなどの活動への自由な参加によって形成される"市民社会"である。そこでの人間関係は自由で選択できるものであるので、ストレスが発生することは少ないからだ。これが後述の社会的企業につながってくる。



地域が危機に瀕している、というのは何もコミュニティ内の人間関係によるものだけではない。地域財政や社会保障も危機に瀕しているのだ。

現在国家の財政赤字が累積で700兆円を超えており、各自治体でも赤字を抱えているところが多く、また少子高齢化も進展しているという現状を鑑みれば、個人あたりの社会保障の内容を削減せざるをえず、まさに崩壊の危機にあるといえよう。

地域にはまだまだ課題が多くある。しかし、こうした状況では、これ以上自治体(や国)の財政に負担をかけることは避けるべきである。

ではどうすればいいのか。自治体による公助に頼らず、市民が助け合って保障をおこなっていく、共助の視点が必要なのだ。
その共助をおこなう主体として、今注目されているのが社会的企業である。

社会的企業は地域のニーズに応えた事業を展開するといった社会的目的を第一におこなうため、地域コミュニティの活性化、福祉サービスの充実を期待できる。さらにおこなう事業そのものには(その組織やサービスが存続可能なレベルの)収益も求める。

そもそも福祉政策は住民全体に対する公平性を確保する為、サービスの内容は最大公約数的なものとなり、細かいニーズへの対応がしづらいという弱点を持っている。また実施される福祉政策そのものも、多くの有権者が望むものが優先されがちである。社会的企業は逆に、従来の福祉からも従来の営利企業のサービス対象からもこぼれおちた分野に特化した事業展開を行うことで、事業を成立させることが多いのだ。

よって、本コンテンツでは、地域コミュニティの再生および細かな福祉サービスの充実という点から社会的企業に着目し、それをいかに発展させるか、ということを主張していきたい。