「住処はどこか」

政治経済学部3年 佐藤有希子

オニヤンマという昆虫をご存知だろうか。
オニヤンマというのはとんぼの一種で、日本に生息するとんぼの中では最大種であり、日本全土に生息する。先日、そのオニヤンマを小学生以来、久しぶりに見る機会があった。というのも、先月、長野県の南端にあるコンビニはおろか、信号機もなく、私の携帯電話がつながるのは駅前とドクターヘリのヘリポートだけで、ほぼ圏外という、自然豊かな村に2週間ほど滞在してきたのである。
その村は急傾斜地に位置しており、村内の標高差はなんと800mにもおよぶ。平地がなく集積が困難なため、村内には多数の集落が点在しており、中には山の上に2世帯のみというところもあった。この村は、限界集落を多く抱えており、村自体も限界自治体であった。共同体としての基本的な機能維持が困難となり、全人口に占める高齢者の割合を示す高齢化率が50%を超えた集落を「限界集落」、市町村を「限界自治体」とよぶ。過疎という言葉では各集落、自治体、地域の現状を表現できないということから大学教授大野晃が名づけた。
私の滞在した村だけではなく、全国の至るところにこのような地域、また将来的にこうなるであろう地域が存在する。国土交通省の調査によると、10年以内に消滅の可能性のある集落が422集落、「いずれ消滅」する可能性のある集落が2219集落、合わせて2641集落ある。
政府もこのような現状に対し手をこまねいているわけではない。日本の少子高齢化・過疎・人口減少・経済の低迷・地方分権という長期的なトレンドへの対応として、定住自立圏構想などさまざまな対策をとっている。
定住自立圏構想とは、「すべての市町村にフルセットの行政機能・生活機能を整備することは困難であるとしたうえで、全ての国民にとって必要な機能(Needs)は確保しつつ、圏域の魅力を高める機能(Wants)は、高次な都市的機能もあれば、自然環境的機能もあり、地方の自主的な取り組みを支援する」というものである。東京圏への人口流出防止、地方圏への人の流れの創出、また分権型社会にふさわしい社会空間の形成、ライフステージに応じた多様な選択肢の提供を推し進めようとする構想である。具体的には、人口5万人以上の中核となる市と周辺市町村が自主的に協定を結び「圏域」を設定し、中心市に都市機能を集積させ、周辺市町村が共用する。また、人口には?交流人口?二地域居住?定住の3つにわけられるが、これまでは?・?を増加させようという試みが主なものだったが、?も新たな観点として増加させるべく施策する。
私はこの方向性自体は積極的に肯定すべきものだと思う。なぜなら、ナショナルミニマムを保障しつつ、各々の生活空間の多様性・重層性も重視しているからである。だが、構想が実際に機能し、成功するには、行政機能の集積に伴うデメリットを解消しなければならないだろう。たとえば、周辺市町村に住む人々のニーズをどう汲み取り、何が最低限充足されるべきものなのか線引きをし、かつ対応する必要があるだろう。
私の滞在していた村では、医療については、すでに近隣自治体と協定を結び広域連合を形成し自治体の枠を超えて対応していた。全国でも、医療については他分野に先駆けて広域連合を形成しているところが多い。実際特別老人ホームに行ってみると、広域連合がその域内の施設のどこに入所すべきかを判断するため、自らの居住していた地域とは異なる地域の施設への入所が決定されてしまうという事態が生じていると伺った。このような事態はこの構想の意図に反するものであろう。
滞在中、村の保育所と小学校に行く機会があり、そこで、ちびっこたちと戯れながら何とはなしに将来のことについて話した。そのとき聞いた言葉を最後に記して、このコラムをおわりたい。
「あのねーわたしはねー将来は名古屋にいくの。でもねーそのあとねーこの村に戻ってくるよ。先のことだしよくわかんないから、たぶんだけどね。村がなくなっちゃうかもしれないけどね。それでもねーよくわかんないけどねーおじいちゃんのお墓があるしねーきちゃうよ。」

「集落」とは、「一定の土地に数戸以上の社会的まとまりが形成された、住民生活の基本的な地域単位であり、市町村行政において扱う行政区の基本単位」のこと
参照:定住自立圏構想研究会報告書