「9畳一間から考える」

政治経済学部3年 佐古田継太

僕は2人1部屋の寮で暮らしている。9畳のワンルームに大の男が2人も生活しているわけだから、窮屈に感じることがある(それは僕の相棒にとっても同じことだろう)。同じ空間を共有している僕たちにとって、相互不信ほど厄介なものはない。ここで言う相互不信とは、「相互に不信感を持つこと」である。相互不信は、一度発生すると雪ダルマ式に膨れ上がる傾向がある。

「ただいま」や「お帰り」の一言を忘れることが、2人の雰囲気をとげとげしくすることがある。このような状況が一度発生すると、お互いに距離がとりづらくなって、他のやりとりまでも急激に減少する。しまいには、貸してくれるものも貸してくれないし、聞いてもらえる話も聞いてもらえない。

このような状況においては、相互不信が負の影響を生んでいるのである。現代社会を見てみると、相互不信が人々を不幸にしていることが多々ある。例えば、軍事支出はリスクに応じて増加することから、場合によっては相互不信の現れとして見ることができる。軍事支出の増加は、不完全競争の度合いが高い市場への支出の増加を意味するので、全体としての経済発展を阻害するという考え方がある。この考えにのっとれば、軍事支出という相互不信に基づく支出が、経済発展の足かせという負の影響を生んでいる現状が見えてくる。

このような現状から、「裏切りではなく、協調を」という主張が展開される。だが、ここで問題なのは、裏切りとは何か、協調とは何か、これらに関して合意が形成されていないことだ。さらに問題を複雑化させるのが、仮に協調が可能になるとしても、協調することから得られる利益に偏りがある場合、個人や国家は相対的利益の観点から必ずしも協調を選択しないことだ。

国際協調という言葉が人口に膾炙して久しい。ただし、この言葉の多義性はなかなか指摘されないように思われる。国際法や国際的な取り決めを死守することなのか、人権などに見られるある種のグローバルな正義に貢献することなのか、国際協調には多くの異なる側面がある。

ただ1つ明らかなのは、裏切りを回避して協調を促進するために、予測可能性が果たす役割は大きいと言うことだ。ここで言う予測可能性とは、自分と相手の行動における確実性に対する信頼のことである。予測可能性は持続的なコミュニケーションから生まれる。国際関係において、予測可能性は、透明性・開放性・相互依存性・相互脆弱性などによって育まれる。

ヒト、モノ、カネ、情報のグローバリゼーションは地球をかつてないほど小さくしている。また、このグローバリゼーションが齎す多種多様な相互作用は現代社会において複雑性を増大させている。9畳一間とはいかないまでも、この小さくて不確実な世界で、相互不信を乗り越えられるか否かが、いま試されている。