Epic       (単独コラム) 

政治経済学部一年 佐古田 継太
先日、友人の勧めで「Epic2004」というフラッシュを観た。このフラッシュは2004年11月に「Convergence Chaser」、「Snarkmarket」「Jason Kottke's popular blog」という3つのブログでインターネット上に公開されたものだ。ちょっと古い話題かもしれないが、示唆に富んだフラッシュだった。
Epic2014は、急速に情報化が進むニュース・メディアの未来を描いたフラッシュだ。「Google」と「Amazon」が合併して「Googlezon」になるという未来予測で、「Googlezon」は、巨大ニュース・メディアとしてインターネット上に君臨する。「Googlezon」の利用者は、各人がニュースボットを持つ。このニュースボットは、インターネット上に登録されたあらゆる電子データ、たとえば、ネット・ショッピングにおける消費行動、ブログ、SNSにおける人間関係、問題意識、趣味などを解析した上で、その人が求めるはずのパーソナライズされた情報を的確に提供するのだ。また、ニュース記事の作成もコンピュータが自動で行うようになるともいう。そして、すべての個人がEPICに投げ込んだ情報は、あらゆる情報生成の材料になると予測。たとえばごくプライベートな日記における写真や文章も、あるときにはニュース記事の素材となる。そして作成された記事の人気度に応じて、「Googlezon」の巨大な広告費から分け前をもらうようになるという。こうしてインターネット上のユーザー間の情報のやりとりは、「Googlezon」を介してすべて市場的に調整されるようにもなる、と予測されている。
まず、われわれは、認知能力・情報処理能力の限界(認知限界)ゆえに、何らかの検索エンジンを通してインターネット上の莫大な情報を取捨選択(フィルタリング)しなければならない。このことが意味するものは、「雑多性・多様性の縮減」である。情報通信技術の発達は、より広範な社会参画の手段を提供した。が、予測される単一覇権的な認知限界縮減ビジネス「Googlezon」の台頭は、インターネットにおける複雑性を急速に失わせてしまうだろう。
しかしこのことは本質的な問題ではない。パーソナライズされたサービスを受ける「Googlezon」の利用者は、必ず個人情報を提供しなければならない。より詳細な個人情報が、本人が意図するしないに関わらずデータベース化され、管理されることになるのだ。個人情報を提供しなければ、フィルタリングが困難になってしまう。いわば、情報の海に溺れることになる。
これはどういうことだろう。「Googlezon」を利用することは、近代社会の自由を支えてきた匿名性を完全に放棄することだ。それは要は、ネット上に限らず、生活のすべての場面で自分の正体が明らかにされてしまう社会が訪れるということなのである。
たとえば、僕がネット・ショッピングで前から欲しかった本を買うことにする。すると、僕が買った本の履歴がインターネット上に記録される。ボットにより以前購入された本のデータ・ベース(個人用)に改ざんが加えられて、僕の嗜好が解析されるのだ。すると、次に僕がインターネットを利用する際に、過去の履歴から類推して「客観的」に僕が求めるはずの商品や関連するニュース記事を推薦してくれる。僕が自覚する欲望とは無関係に、「客観的」な欲望が提示されるのだ。
このような、「おまえはこれを欲望すべき人間だ」的な環境管理型権力の発達は、個々人が開かれた情報をもとに主体的な意思決定を行う民主主義を危機に陥れる。また、今日の世界で、「Google」が中国の国家的検閲体制に協力していることからもわかる様に、この種の企業は理念を捨て容易に政治的圧力に屈してしまった。
個々人が自ら属する共同体を越えて、自分で自分の人生を決定し、最大限能力を発揮できる自由を謳歌する最適な社会体制としての民主主義が、このような形で脅かされることは断固阻止しなければならない。


<参考資料>
自由を考える 9・11以降の現代思想」 東 浩紀・大澤真幸 2003年
http://www.probe.jp/EPIC2014/