第二弾:リスクの分散の役割を果たしていた中間共同体の機能不全の過程

政治経済学部2年 山田麻実未


☆中間共同体のリスクヘッジ機能
○高度成長期〜1990年代
高度成長期から1990年頃まで、私たちの生活において、将来の予測可能性は高くありました。〈教育〉→〈労働〉→〈退職〉という標準的なライフコースがあり、学歴に見合った職場があり、男性は企業に就職すると「年功序列型賃金」「終身雇用」などの日本型雇用慣行の元、将来の見通しは立ちました。失業リスクは低く、もししたとしても再就職先は見つかりやすい状況。女性は結婚すると、夫に扶養され「専業主婦」を営み、また働く女性もありますが、日本型雇用慣行の元働く夫のおかげで、家庭の将来設計は安定して実現化できました。
ここにおいて企業は賃金以外に扶養や手当てで家庭を守ってくれていたのです。労働者の多くは、労働組合が守ってくれ、中小企業は系列企業、親会社の助けもありました。また、家庭はそこで働く企業戦士の癒しの場として機能していました。そして、家庭で担いきれない育児や介護の手間を、地域で共助しあう関係性もありました。


リスクが個人化していく過程
今ではどんな一流企業であっても安定した雇用は保証されませんし、将来の保証など考えにくい時代となっています。この違いはどこにあるのでしょう。

端的に申すと、それは、私たちをリスクから守っていた、企業や家庭や地域といった中間団体がその機能を失ったからdesu。なぜ失ったか。私たちを守る余裕がなくなったからです。

企業は経済のグローバリゼーションがもたらした国際競争の激化にさらされるようになりました。企業の廃業率は小泉改革を経て増加しましたが、特に2006年中小企業白書によると、中小企業の廃業率はそれの開業率を大きく上回り、その差は過去最大となっています。日本の一企業は、アジアの安価な人件費や、多国籍企業と戦わざるを得なくなったのです。競争を勝ち抜くために、コストを削減し利益率を高める必要に駆られた企業は、最大のコストである企業福祉の解体を進めます。種々の扶養や安定した雇用と賃金を確保せねばならない正規雇用を減らしているのに対し、非正規雇用は年々増加し現在1596万人にも達します。また、企業が運用していた年金も、個人の責任に帰されようとしています。
〈教育〉→〈労働〉→〈退職〉という画一的な生き方は、柔軟なものへと転換されようとしています。それは個人のライフコースの選択の幅を広げたと同時に、過去にあったような予測可能性の高い、安定した将来設計、生活の保障を不可能にしたのです。





○国によるリスクヘッジ機能
これまでは中間団体について述べましたが、次に、国がリスクに対して果たした役割について述べたいと思います。

過去において、「福祉国家」が成立していた理由はなんなのでしょう。なにが現在と違うのでしょう。それは、端的に申しますと、パイの拡大が続いていたためです。
パイの拡大・右肩上がりの経済成長と平等化が相互補完的に進行していた時代であり、それは「高度大衆消費社会」の展開を広げていきました。平等化の担保は、社会保障制度のみに限定されるものではなく、足りない雇用や有効需要は、公共事業をはじめとする政府による積極的な財政政策によっても行われていました。
つまり、経済そのものを拡大・成長させ、その成果の公平な分配によって公平性を保っていたのです。


しかし現在は低成長時代。もはやパイの拡大は難しくなっています。経済成長の停滞は、福祉国家にとって最大の危機であります。増える財政赤字、さらには、少子高齢化が進み、より多くの社会保障支出が求められる時代が続いていきます。
介護保険料の給付費は、高齢化に伴い、2002年で5兆円だったものが、2015年では12兆円、2025年では20兆円になると予測されています。また、給付金が見込みを上回ったときなど財政収支が赤字とならぬよう必要な資金を貸与する、財政安定化基金というものがありますが、そこからの借入れ状況は、約4分の1の自治体が、財政安定化基金からの「借入れを予定」しており、財源不足の深刻化は明らかです。
日本経団連の試算では、増税・制度改革を行わない場合、2025年度に、潜在的国民負担率が115%、政府長期債務残高が対GDP比478%になり、経済・財政は破綻状態となってしまうのです。
また、市場経済がボーダーレス化すると資本が国境を越えて動くため、財政による所得再分配が困難にもなります。そこで、これまでのように国家が再分配機能を果たす余裕がなくなり、「負担としての福祉」という考えが前面に登場してくることになります。

日本の国民負担率は37%とOECD諸国の中で下から二番目。福祉国家と名高いスウェーデンデンマークは70%を越えています。国民負担率自体は過去からさして変わっていないのですが、公共投資や日本は企業などの福祉が手厚かったため、福祉の手薄さは感じなかったのです。しかし、国と中間団体のリスクヘッジ機能が不全となった今、負担率の低さは、所得再分配機能の小ささ、社会の構成員が共同で生活を守る公共サービスが有効に供給されていないことを示していましょう





以上に挙げてきたように、国家、中間団体ともにそれらのリスクヘッジ機能が薄まってきています。ではこのような現状の中、格差やリスクの個人化*1といった問題に対して政府はどのような方策を取っているのでしょう。小泉首相構造改革には痛みが必要だと言い、郵政民営化に見られるように、「民にできることは民に」と、小さな政府論、規制緩和徹底論を標榜しています。それはいわゆる新自由主義的な方向性です。*2

新自由主義の政策理念
1福祉政策は「怠け者」を多数生み出し、経済を停滞させ、社会の道徳を低下させる。
2福祉を削減すれば彼らは自律して仕事を探し、財政赤字の削減にも役立つ。社会保障はどうしても働けない者のための最小限のものにする。
3経済を立て直すには、生産側の強化がなされるべきで、そのための投資資金を生み出すよう、所得税法人税の減税をすべきである。
4経済の建て直しには、各種の規制を緩和し、できるだけ企業の自由に任せるべきである。
5行政にも市場原理を導入し、効率化を図り、財政赤字の削減を狙う。


これを見ると、現在の国の方向性と一致していることが分かるでしょう。それは、現状を生み出した国際競争を勝ち抜くことによってこの現状を打破しようとしています。次にそこで求められる人材を述べますと、企業・事業体・行政が提示した選択肢の中で、懸命な選択とリスク管理が出来る自律した個であり、その結果に対する自己責任を引き受ける者なのです。
「再チャレンジ推進会議」が設立され雇用の柔軟化が進められ、資産管理は個人に委ねられようとし、アメリカ産牛肉は輸入解禁するか否かと報道され・・・私たちの選択肢は広がっています。過去のような画一的なライフコースに縛られることはありません。しかし、同時に過去あったような高い予測可能性はもはやありません。消費として、また生きがいとして70歳まで働く人もいれば、主婦をしたくても、年を取った時ゆっくり過ごしたくても生活のために働かざるを得ない人がいるでしょう。有機栽培と浄水器を通した水でロハスな生活を送る人もいれば、金銭的にそのような余裕がなく健康にまで影響を及ぼす人もいるでしょう。「今」の生活に追われ、将来の保険に手も回らず、病気にかかっても病院にかかれない人がいる。人々はバンドワゴンに乗るため、「下流」にならないために必死で資産運用術やスキルアップに精を出す。

私たちの一生は、「生活」中心になってはないでしょうか。さらに、貧しい為食べられない人、病院にかかれず亡くなる人、ワーキングプアなどは「生活」さえ出来ていないのではないでしょうか。次回は、この現状を踏まえて、どのような方向性を求めていくべきかについて述べていきます。


このコンテンツは連載形式です。連載一覧は、こちらへ→http://www.yu-ben.com/2006zenki/contents/top%20page%20all%20members.html早稲田大学雄弁会HP内)

*1:リスクの個人化について、より詳しくは、以下をご参照ください。早稲田大学雄弁会HPhttp://www.yu-ben.com/frame.htmlにおける、構造把握研究会『ライフ・イズ・ビューテイフル』  レジュメ「現代における排除」http://www.yu-ben.com/2006zenki/kouzouhaakukenkyukai/life%20is%20beautiful/yamada2.html【社会国家の変容〜現在】の章

*2:以下は、これまでの政府の、公共事業への投資や規制緩和などによる経済への処置の変遷について、政権の移り変わりから分析した資料です。早稲田大学雄弁会HPhttp://www.yu-ben.com/frame.htmlにおける、構造把握研究会『ライフ・イズ・ビューテイフル』  レジュメ「排除から包摂へ」http://www.yu-ben.com/2006zenki/kouzouhaakukenkyukai/life%20is%20beautiful/yamada1.html【今なぜ「第三の道」?(日本)】の章