第二弾(上):都市化に伴うコミュニティの動態①(戦後の犯罪類型)

法学部2年 杉田壮

コンテンツ第一弾で述べた、空虚感に悩む人々が一体どのような問題を引き起こしているのか。今回はコンテンツ第2弾の上として戦後の犯罪類型を辿りながら空虚感は人間関係の希薄化から生じていることを述べていく。その上で共同体と人間関係の希薄化の関連性についてもふれていく。

生活型、遊び型犯罪から自己確認型犯罪へ

ここでは戦後日本における犯罪の質の変化に注目しながら、空虚な自己に表される犯罪とは一体どのようなものなのかを捉えていく。

戦後日本の犯罪(とりわけ若年層を中心とした犯罪)の傾向は大きく分けて3つに分類することが出来る。

「生活型」犯罪

まず1つ目に挙げられるのが「生活型」犯罪といわれるものであり、これは戦後日本が貧しかったころ、生活に必要なものを得るために行われた「欠乏からの犯罪」である。日本では1960年代までの、敗戦後の経済的困窮から窃盗などの罪を犯してしまうケースがこれにあたる(現代においても物欲や性欲を満たす欠乏からの犯罪は根強くあり、決してこの時代に限っての犯罪類型ではない)。経済的条件が犯罪の原因であるのかどうかについては様々な研究がなされており、例えばイギリスで1925年に行われた調査では、ロンドンの人口(約430万人)のうち約30%が極貧または貧困の階層に属するという実態調査を根拠として,各非行少年の家庭の経済状態について調査を行なった結果,全非行少年の約五六%がこの極貧または貧困階層に属するという事実を明らかにした。しかしながらこれ以外の約44%の非行少年が経済的には中流以上の家庭に属しているという点に注目すると,生活経済条件は,多くの犯罪発生要因の一つでしかなく,生活困窮のために罪を犯す人間の数に比較すれば,裕福でありながら罪を犯す人間(とくに青少年)も相当数にのぼるように思われる。

「遊び型」犯罪

社会の発展と共に生活型犯罪は減少し、次に「遊び型」犯罪なるものが現れ始める。「生活型」犯罪は経済的困窮を原因とするが、この「遊び型」犯罪は遊びやゲーム感覚で、スリルや冒険を楽しむためになされるもので、1965年以降、高度経済成長期時代に主流になり、顕著になってきた犯罪である。戦後においては、貧しい階層の人々の犯罪が多かったのが特徴だが、60年代辺りを境に、今度は中流層の人々の犯罪が目立つようになってくる。(このことは昭和27年から37年の間で極貧階層の犯罪数が11000件から6500件に減り、逆に中流階層の犯罪件数が34000件から70000件へと増加したことからも明らかである。)
この犯罪の特徴として第一に考えられるのは,その即行的な性質である。欲求を満足するのに、ただちに無計画に行動にうつす、いわば短絡的な傾向をもっている。
また第二の特徴はその享楽的な性質であり、即行的に欲望に直進する反面、その欲望は,とくに急迫したものではなく、二次的な、享楽的なものである。「生活型」犯罪は,少年についても,犯罪や非行においつめるものは,経済的な困窮であるとされたが,1960代以降のケースをみると,経済的困窮の結果というよりも,享楽追及にあらわれる葛藤という面が多い。 
この「遊び型」犯罪は「自己確認型」と一部重なり、「生活型」と「自己確認型」との中間的存在と位置付けられる。スリルを求めての万引きや、犯罪を楽しむようなタイプのもので、ネットでの集団自殺などもこの部類に入る。

「自己確認型」犯罪

そして3つ目の類型として挙げられる自己確認型犯罪とは、自己の存在感、支配力、顕示欲を満たすための犯罪である。「自己確認型」は人間関係の希薄化を背景にした現代型犯罪で、「空虚な自己」に表される犯罪はこの種の犯罪に挙げられる。これは日本では1980年代以降から現れ始めた犯罪で、この種の犯罪では物欲、性欲、憎悪や悲しみ、怒りといった感情が関与していないか、関与していても二次的なものにとどまっている。つまり、従来の古典型、遊び型などの犯罪にみられた、欲求などを満たしたり、スリルや快楽を求めるといった、ある意味で明確な理由が存在しないので、犯行が一見分かりにくい構造であることも特徴となっている。
「自己確認型」犯罪には3つのパターンが存在する。「空虚な自己」のみの、自己確認型犯行の典型であるストーカーなどに見られる歪んだ愛情表現を「自己確認型」犯罪の第1型とすると、「幼児型万能感」、自己の力や支配力を犯行によって確認するものは第2型とされる。そして「空虚な自己」と「幼児型万能感」が混合されたものが第3型である。これは「自己顕示」的な特徴が強いものをいう(神戸の児童連続殺害事件や佐賀のバスジャック事件などはこれにあたる)。この「自己確認型」犯罪をおかす目的は、犯罪行為を行なうことで、自己の姿を社会に映し、「本当の自分」を確認するためだと考えられている。
人は、自分以外の他者という「鏡」に自分を映すことで、自己の存在や現実の姿を知り、自己をより強く、逞しく、健全に成長させていくが、人間関係が希薄化した現代社会においては、そうした自分の姿を映してくれる「鏡」となる相手や関係を求めること自体、難しいのが現状である。生きる楽しさも、将来の夢も、自分がしたいことも、わからない、何もない自己の空虚感は、他者との関係性を持つことなくがないため、自己の存在感を構築できないことから生まれる。学校での態度も良く、成績も優秀で真面目といったごく普通の少年が突然、罪を犯してしまうのもこうしたことが背景に挙げられる。

以上のことから鑑みるに、現代の犯罪の特徴は性欲や物欲といった欠乏からの「生活型」犯罪ではない。高度経済成長を遂げ、豊かになっていく社会の中で、欲望は満たされ、一見すると何不自由のない暮らしでありながらも、一方で人間関係の希薄化といった、所属する集団や共同体がなかったり、あってもそこでは孤立し、深い孤独感を抱いていることが原因となって、目立った非行や前科もそれまでにない若年層を中心に、「自己の空虚感」を埋めるために罪を犯す人々が増えている。「自己確認型犯罪」はこうした犯罪行為とこれに対する社会の反応によって、不確かな「自己の存在や力を社会に映し出す」ことを目的や動機にするということに特徴がある。この問題を解消するに当たっては集団や共同体の中で他者との関係性を主体的に構築することが必要となる。それには共同体の構築はもちろん、その中における人間相互の関係性のあり方も重要である。


以上、今回は戦後の犯罪類型を探りながら空虚感と人間関係の希薄化との関係性を述べたが、次回、第2弾の下では人間関係の希薄化はなぜ進んだのか、その原因を共同体の動態にあて、今回ふれた内容をさらに具体的に分析していくことを中心に行っていく。


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