「かあさん」

政治経済学部一年 柴田 秀並


8月6日、私が関わっているNPO法人子ども広場不登校サポートセンターで、第一回親子セク*1が催されました。その一環として、立川で不登校児のお母様方と話し合いの場が持たれ、私もボランティアとして参加しました。そこでの会話で不登校児を持つ母親から頻繁に耳にしたのは、「自分の育て方のせいでこうなったと言われる」、「自分の育児能力が劣っていると非難されるのが怖く、周囲の人には相談できなかった」など、悲痛の叫びでした。お母様方の思いつめた横顔を見て、私は胸が張り裂けそうになる思いでした。

未だに世間では育児=母親の仕事という先入観が存在していることを今回の話し合いで痛感しましたが、育児が母親の仕事と認識されるようになったのはそう古い話ではありません。戦前に広範囲にみられた直系家族の農家では、育児はもっぱら祖母の仕事であり、母親はいち労働者でありました。高度成長期において、人口の都市流入や小市民運動が進み、核家族・小家族という形態が生まれ、また同時に、「稼ぎ手」と「主婦」という夫婦の役割分業が一般的な家族システムとなりましたが、この職住分離によって、父親が養育現場から姿を消し、母親は家庭の問題のすべてを背負わされたのです。まさにその段階から、育児=主婦の仕事という認識が生まれたのです。高度成長期においては、このジェンダー化による役割分担は産業システムからの要請にうまく適合した形態でありましたが、80年をピークに家庭における専業主婦の割りあいは減少し続け、既婚女性の就労が一般的になっていきました。その結果、女性の家族システム維持における女性的役割 (母)の比重が相対的に弱まりました。このように女性が社会進出する一方で、父親の家庭での役割拡大が期待され、具体的支援策として育児休業制度やエンジェル・プランなどができましたが育児に対する意識として母親にすべての責任を押し付ける風潮が未だに残存しているのです。今回の話し合いに参加したお母様もみんな働いている方でした。それにもかかわらず、子育てのすべてを任されているのです。なかには、前日夜勤で眠く、終わったらすぐに寝ると仰っていた方もいらっしゃいました。そのお母様は、夜働いていると同時に、子育てをしているのです。そして、自らの子どもが不登校になったことに一人責任を感じているのです。
これはあまりに大きな負担ではないでしょうか。


親子セクが終了し、家に帰るべく一人電車に乗っていると、向かい側の席に子連れの母親が座っていました。二人の子どもはポケモンスタンプラリーを全て埋め尽くしたらしく、満足そうにはしゃいでいました。その子ども達を抱きかかえるように座っている母親は、疲れからかスヤスヤと眠っていました。その幸せそうな寝顔がとても印象的でした。

*1:親子セクション=親子班という意味