WEB企画「輝く未来へ」     文化構想学部2年 室崎雄志

〜序〜
 1980年代末のバブル期には失業問題は日本社会から消滅したと思われていた。「失業対策に政府が税金や人材を投入するなど無駄遣いである。」とまでささやかれていた。しかし、その失業問題が、日本社会を席捲している。
 ワーキングプアと呼ばれる人々のことも、雇用の問題を語るときには欠くことのできない問題である。ワーキングプアとは、定義は不明確ではあるが、正社員並みにあるいは正社員としてフルタイムで働いてもギリギリの生活さえ維持が困難、もしくは生活保護の水準にも満たない収入しか得られない就労者のことであるとされる。(一般的に200万円以下の所得といわれることもある。)
 日本における失業率が、つい先日5,7パーセントを突破し、また、ワーキングプアの人々をはじめとする生活保護水準以下の所得水準におかれている人々が100万世帯を突破していることからもこれらの問題が特に重大であることは皆さんご承知の通りかと思う。
 さて、すっかり前置きが長くなってしまったが、「労働」というのは人間にとって特別な意味のあるものである。それは、古来より人間は労働によって糧を得てきたことに端を発し、現在でも、社会システムを労働が支えていことは自明である。
 私が抱く問題だと考えていることは、労働に付随する経済的な要因によって「個人の『生』が保障されない」状況である。
私は「自らの理想追求に向けて努力可能な社会」が実現されることを理想としている。
このような理想社会像を抱くからこそわたしは、持続可能な生活を阻害する要因である労働の問題を重要だと考えるのである。

現代社会とはどのような状況にあるのか〜
 現代日本社会を形容する(あるいは表象する)言葉として「グローバル化」という言葉が頻繁に使われる。「グローバル化」とは技術革新や冷戦の終焉などの要因によりヒト・モノ・カネの大規模な移動が可能となり、地球が時間的、空間的に圧縮されたことである。グローバル化、とくに経済の発展に伴い各国経済の結びつきは一層強まっている。輸出入、すなわち財の国境を越えた移動を通じて各国経済は相互関連しているだけでなく、資本の移動、さらに人の移動を伴って連動を強めている。その結果としてグローバル経済圏にアクセスしている企業は、もはや世界的視野を持つことなしに企業戦略を練ることはできなくなった。たとえば労働者に対する賃金についてであるが、国内の労働需給がどんなに逼迫していても、国際競争に直面している企業は国内の事情だけで賃金を引き上げるわけにはいかなくなった。人材獲得のために賃金を引き上げれば、その分企業は競争力を失ってしまうからだ。製品価格は国際相場で決まっており、これを与件として、企業は生産コストを切り詰めなければならない。それだけ賃金に対する抑制圧力は強まらざるをえない。
国際的なつながりは貿易を通じてだけ労働市場に影響をもたらしているわけではない。今や資本の国際間移動も労働市場に重要な影響を与えるようになった。97年以降、外資系企業の日本における投資額は急速に拡大し、旧大蔵省の統計によると、わずか三年で4倍近く拡大したそうだ。これにともない「物言う株主」の存在も拡大し、株主配当に重きが置かれるようになり、必然的に労働分配率は低下することとなったとも言われている。そして、こういった金銭という意味の資本だけでなく、人的な資源も国際間での移動が活発化した結果、人材獲得競争は国内企業だけに限られたものではなくなった。高い能力をもった優秀な人には従来の日本企業では考えられないほど高い報酬が支払われるようになった。こうした変化は国内企業の報酬体系にも影響を及ぼし始めている。
また、企業が国境を超え投資先を自由に選べる時代になると、国際的連鎖は単に賃金や雇用水準のみの影響にとどまらない。ときには国内の法律をも動かす。たとえば、国民の基本的な生存権を規定する労働基準のあり方にも影響は及ぶ。国内労働者の保護を考え、労働時間や休暇制度、さらには最低賃金や安全対策といった基本的雇用条件に対し、あまりにも経営者にとって厳しい労働者保護規制がかけられると、企業はそうした国を嫌い、規制の緩い国を投資先として選択する(フライトする)可能性も出てくるのである。その結果、国内労働者の保護を目的に設けられた規制が、逆に労働者の雇用の場を奪ってしまうという皮肉な結果を招きかねないのも事実である。

 経済の国際的つながりが雇用にどのような影響を与えてきたかを検討する場合、なんといっても財の移動、すなわち貿易を抜きにしてその効果を論ずることはできない。年々の輸出額比率を見てみて気がつくのは国内景気との関連である。景気が悪化した時にこの比率は上昇する傾向が確認されている。それだけ外需は内需の低下をカバーし、消費と共に景気の下支えの役割を演じてきたと言える。他方輸入額比率のほうも長期的にみると右肩上がりを示しているが、輸出比率に比べると、その伸びは小さい。高度経済成長期には(物価変動などを考慮に入れた実質ベースで)輸入比率は輸出比率を上回っていた。しかし、80年代になると両者の関係は逆転し、輸出比率が輸入比率を上回るようになった。
さて、それでは輸出入の増大が国内雇用に与えた影響をみてみよう。輸出の影響を見たときに、特に注目されるのは、直接効果以上に波及効果が大きいということである。直接効果に限定して輸出の影響を見たときにはわずか6%足らずの影響しか存在しなかったが、波及効果を入れると日本全体の総需要の13%を輸出が作り出している。それだけ輸出産業は部品メーカーへの波及効果が大きく、すそ野の広い産業であると言えるだろう。
他方、輸入についてはどうか。絶対額においてはもちろんこのあいだ輸入も拡大したが、総需要における輸入額のシェアはむしろ低下するようになった。輸入額そのものが総産出額に占める割合はわずかに低下している。
こうした輸出入の推移を反映して、貿易が雇用に与える影響はどのように変化したのだろうか。輸出が創り出した雇用への直接効果は90年から98年の間に人数においても構成比においても拡大した。しかもこの間、波及効果に関しても直接効果以上に拡大したから、両者を合わせた輸出の雇用創出効果はこの間急速に伸びたと言える。
これに対して輸入の雇用喪失効果は輸入額そのものが伸び悩んだことに加え、波及効果が縮小したことも手伝って、雇用全体に占める比率でみると輸出とは逆に低下した。
こうした事実は何を示しているのだろうか。輸出産業、および、これに部品を提供する産業の労働生産性は高く、逆にいえば雇用吸収力は輸入産業に比べて小さい。その結果、雇用に与える影響を見ると、輸出の雇用拡大のほうが輸入の雇用縮小効果を下回っており、結果的に国際貿易は我が国の雇用を減らす方向に働いていた。要するに、我が国における雇用の拡大・維持は従来にもまして輸出に大きく依存する体質ができあがっている。それだけ逆に、輸出が削減された時、日本経済全体の雇用は大幅に減少せざるを得ない。今の金融危機下の日本の現状は、まさにそれである。

また、蛇足になるが、賃金にかんしても少々触れておきたい。労働市場が完全競争状態にあり、労働者の移動が外部労働市場を通じて自由に行われているならば、産業が異なり、企業の支払い能力に差があったとしても、生産性の等しい糖質の労働者には同一の賃金が払われるはずである。働いている産業の競争が激しいからといって、賃金を抑制したのでは、労働者は他の産業に逃げてしまう。
あるいは、賃金が高ければ労働者がやる気を出し生産性が上がるという効率賃金仮説が成り立っていなければ、一般に規制で守られているからと言って、企業は労働者に高い賃金を払う必要はない。しかし実際には転職を行うのには費用がかかる。あるいは一度身につけた企業特殊的な技能は他の企業、他の産業では使えないため、賃金が多少下がったからと言ってその企業をやめることは労働者にとっても損になる。そこに、いわゆる「ホールド・アップ問題」が発生する。労働者は一定の範囲で企業のいうままに動かざるを得ないという問題である。その結果、競争の激しい産業では、企業が人件費を抑制し、逆に雇用を守ろうとする状態が発生しうる。年齢が若く金属の短い労働者にとっては転職コストが比較的低いが、これに対し年齢が上昇し勤続年数が長くなってくると、転職コストが高まる。だからこそ、労働市場の流動化が必要なのである。
 さて、ここまでグローバル化に伴う労働状況の変化を述べてきた。つづいてはまた違った観点から雇用を見てみよう。

少子高齢化と雇用〜
 現代社会を形容する言葉としてよく使われるのが「少子高齢化」である。女性のライフスタイルの変化、医療技術の進歩などの影響によって少子高齢化が日本で進行しているのはご存知の通りだとは思う。現在は多くの先進国で所得が高まると子供の数が減るという傾向があることが報告されているが、必ずしも所得の高まりがこういった傾向を招いたわけではない。マルサス人口論の中でも指摘され、また、イギリスの産業革命時代に見られたように、所得が上昇すると、むしろ結婚年齢は早まり、出生率は上昇したのである。農業の生産性の向上は一人当たりの消費可能な食料を増やす。これにより人は飢餓から解放され、間引きをしないで済むだけの経済的ゆとりを得た。経済発展の初期段階における所得の上昇は少子化をもたらすどころか、逆に子供の数を増やし、人口を増加させたのである。
 それが時代の変遷につれ、経済成長と子供の数の関係も変わっていった。ゲイリー=ベッカーによると、所得が上昇するにつれ、子供の数から質への需要の転換が起こると指摘している。これはどういうことであろうか。子供への支出は食費や教育費など養育に直接かかる費用ばかりではない。育児のために親が仕事を中断しなければならないとすれば、これによって失われる給与所得も立派な機会費用となる。あるいは、金銭的な費用ばかりではなく、子供を持つことにより自由な行動が束縛されるとすれば、こうした心理的費用も養育費用にふくまれるだろう。
 さらに、一昔前であれば、親の仕事を手伝ってくれることにより、労働力を確保できるという考えから、子供を増やす人も多かった。子供を持つことは、費用をかけ、子供を養育し、将来その見返りを期待すると言った一種の投資行動であったとみなすこともできた。ところが、子供が独立した後親に仕送りをするものは減り、また親のほうも仕送りを受けなくても家計を維持するだけの経済的ゆとりが確保されるようになると、子供を持つことの便益は低下してくる。老後についても、社会保障が充実し、さらに子供が介護してくれることがあまり期待できなくなると、この面での心理的経済的便益も低下する。
 以上見てきたように、現在の少子化の風潮は経済面などを考慮して個人の選択した結果起きていると考えられる。で、あるならば、少子化を解消するため、ひいては親が子供を多く持つようにするためには、子供を持つことに対する費用の一部を社会が負担しなければならないのであろうと私は考える。
 そしてさらに、どんなに画期的な少子化対策がうたれたとしても、子供が成人するには20年要することから、今後数十年は若年人口が減少するという想定の下で我々は政策を考えなければならないのである。

 さて、また前置きが長くなってしまったが少子高齢化に伴う労働人口の変化に関して見ていこう。
 人口が減り、しかも高齢化が進展して、労働可能年齢人口が減少してくれば、労働力人口も減少してくるであろう。旧厚生省によると労働力人口は2005年にピークを迎え、6856万人に増加するが、その後減少をはじめ、2010年にはそこから120万人も減少すると予想されている。そしてさらにこの間、若年や壮年の労働力人口が400万人以上減少すると言われているのに対して、高年層の労働力人口は300万人近く増加されると予想されている。(もちろん労働環境の変化によって労働力率は大きく変わるだろうが。)
 少子化に関して言えば、若者にとっては競争相手が減る分、就職に有利なはずである。しかしながら現実は深刻な就職難の状態が続いている。これは、我が国では景気が悪化しても企業はすでに雇った社員について雇用保障を強く求められるために、雇用調整は新規採用の抑制によって行われることが多く、それだけ不況のしわ寄せはこれから就職しようとする若者や転職せざるを得なくなった中高年に集中しやすい。あるいは企業は一度労働者をやとってしまうと解雇することが難しく、人件費は固定化、硬直化するから、これを避けようとしてますます正社員の採用に慎重にならざるを得ない、という現状が影響している。
 であるから、雇用機会を創出するには、正社員の解雇規制を緩くしてやるか、もしくは経済全体の雇用を増やす必要があるのだ。


労働市場全体で雇用を保障する〜
 正社員の解雇規制を緩くして、労働市場の流動化を図る政策に、以下のようなものがある。デンマークの政策であるが、「黄金の三角形(ゴールデン・トライアングル)」と呼ばれ、①解雇しやすい柔軟な労働市場、②手厚い失業給付、③充実した職業訓練プログラムを軸とする積極的労働市場政策、の三つが有機的に連携している。


〜国内雇用に関して〜
つづいては国内の雇用を増やすことに目を向けてみよう。国内の有効求人倍率を見てみると、人材が過分に供給されている製造業等の職業がある一方で、金融や介護などの三次産業や、農業などの一次産業では「人手不足」と呼ばれる現状が起こっている。
要するに、職業間での人的資源の過不足配分が起きているのである。よって、この職業間の人的資源格差とよばれる現状を是正することが重要となってくる。

(参考:民主党ホームページより)


〜政策―フレキシキュリティ導入への第一歩〜
フレキシキュリティを日本に導入する場合、第一に正社員の解雇規制を緩和すること。第二に失業給付などセーフティネットを手厚くして職業能力開発とセットにすることが必要となる。その際正社員の解雇規制緩和だけを先行させてはならない。これは、当然ながらセーフティネットの充実なしに解雇規制の緩和を行ってしまえば、失業率が上昇するのは目に見えているからである。よって、まず考えるべきは、職業能力開発と失業給付などのセーフティネットの拡充である。

ではまず職業能力開発に関して考えよう。職業訓練を受けるに際しては、まず自分にマッチした職業や、職業訓練校を紹介してもらうために、適切な職業斡旋所の提供があげられる。

そして続いて、当然ながら職業訓練そのものの充実が必要となる。
よって、①職業斡旋、②職業訓練の二つに関して現行の政策に関する分析をおこなう。

まずは1つめ。現在、職業の斡旋は主に行政機関である公共職業安定所(通称ハローワーク)が行っている。ハローワークは国家機関であるが、ここ数年、国のコスト削減方針により、大幅な人員削減が行われ続けているのが事実である。
先に述べたように、昨今の不況の影響を受け失業者が増大している中で、大幅な人員削減を行った結果、求職者1人に対する職員の数は、英米など主要先進国のなかで日本がもっとも少なく、他国より少ない人員で多数の業務を遂行することになり、当然そのことは、サービスの低下を招く結果になった。  人員不足、求職者増大によるサービスの低下、それが職業斡旋機関の現状である。

つづいて2つ目の職業訓練の分析にはいる。現在も、職業訓練制度として、政府は職業訓練施設の紹介等を失業者に対して行っているが、失業者の多くがこの職業訓練制度を活用できていないという現状がある。
その原因は、失業者(特に、失業した後、保険の受け取りなどを満足に行えていない失業者)が訓練機関に長期間通うことになると、どうしても訓練に時間がとられてしまい、生活費を稼ぐためのアルバイトなどがしにくいため、訓練をあきらめて、当座の生活費を得るために奔走してしまうといったことにあるのだ。(職業訓練セーフティネットがうまくかみ合っていないということ。ちなみに失業給付が受けられず、職業訓練の必要な人は50万人にも上るとされる。)

以上二つの分析から、失業問題解決のためには、職業斡旋におけるサービス低下を解消すること。そして、職業訓練のいっそうの普及、つまり、失業者の誰もが職業訓練を受けられること、が求められることがわかる。

 それでは以下に政策を提言したく思う。


一つ目の職業斡旋におけるサービス低下解消に関しては、公共職業安定所の民営化を提言する。
「民営化」というのは、現在でも一部行われている、業務の民間企業への委託、それを、全面的に民間へ委託するというものである。

委託された民間団体は、職業安定所としての役割を国から全面的に引き継ぎ、さまざまな一般の企業に対して職業斡旋、並びに職業訓練機関の斡旋を行うことができる。民間企業が職業の斡旋を行ったほうが相談者のニーズにより近いサービスを提供できる。(公共職業安定所のサービスを受けた7割以上もの人間が、民間委託することによるサービス向上を求めているというアンケート結果があることからも、ニーズがあることがわかる。)また、民間委託したほうが実際に1,5〜2倍近い斡旋ができることや、さらには民間企業が行うことで30%ものコストダウンが可能というデータもあることから、この政策は有効であると考えられる。
 
続いて職業訓練の拡充・普及に関してであるが、雇用保険給付期間の長期化と教育訓練期間の延長、並びに専門化を提言する。これは、現在、雇用保険の給付がどんなに長くとも1年間しか受け取れない現状があるが、1年という短い期間では専門的な職業訓練ができないため、まず、生活を安定させるために、雇用保険の受取年数を増やした上で、職業訓練をそれに伴って長期化させ、訓練内容をより充実させる、といったものである。
 日本の職業訓練所は欧米諸国と比較しても十分なほどの予算をもって運営されているが、なぜ日本では欧米と比較して機能していないのか。それはやはり雇用保険というセーフティネットがしっかりと確保されていないせいで、人々が満足に利用していないのが原因であるのだ。だからこそ、雇用保険受取年数の長期化と職業訓練の長期化をセットにすることで、今まで職業訓練を受けることが不可能であった人や、より専門的な訓練を受けることができていなかった人も、職業訓練所を有効に活用できるようになるのである。

以上のような政策によって、能力開発は達成され、日本にフレキシキュリティを導入する足掛かりとなるのである。また、職業訓練の充実・労働市場の流動化を図ることは、職業間での人的資源の過不足配分の解決にもつながるのである。








〜参考文献〜
 「雇用と失業の経済学」 樋口美雄 日本経済新聞社
 「日本的雇用慣行の経済学」 八木尚宏 日本経済新聞社
 「雇用政策の経済分析」  大竹文雄
 「週刊東洋経済」 東洋経済新聞社
 「労働市場の経済学」 大橋勇雄・中村二郎 有斐閣
 「日本的雇用慣行の経済学」 八代尚宏 日本経済新聞社
 「社会保障論」 中島誠
「農業再建」 生源寺眞一 (岩波書店