『生き方を。。。。。どう決める???』    法学部3年 津田遼

1.本コラムの目的――人生における『社会変革』の位置付けって???
 「なぜ、社会を変える必要があるのか?なぜ、社会で起きている問題を解決する必要があるのか?」 
 本サークル、雄弁会は、「社会で起きている(または将来起こりうる)問題を解決したい!人々を不幸から救いたい!幸せにしたい!」と考える学生が集まり、議論・研究・説得していく場所だ。私はこのサークルに今から2年と半年前に縁があって入会することとなったのだが、それ以来、自分の人生のありたい姿を真剣に考えれば考えるほど、上述の問題にぶち当たってきた(2007年度後期コラム「雄弁会でどう変わったか」参照)。
 医療問題を解決したいと思う一方で、毎日5時に帰宅して子供とキャッチボールをする人生も歩みたいと思う。異なる文化を背景に持つ人と交渉もしてみたい。これらの感情にどう整合性をつければいいのだろうか?

 本コラムは、「社会で起きている(将来起こりうる)『問題』を解決したい!人々を幸せにしたい!」と少しでも考えている方々(当サークルでは、これを「『社会変革者』と畏れ多きながら言いますが)に、とりわけ読んでもらいたい。そして、それを真剣に考えた上で、批判してもらいたい。




2.人生の目的、それは『自己実現
 上述の問いに答えるためには、「社会で起きている問題を解決したい」という感情、「こんな仕事をしてみたい、社会とこんな関わり方をしてみたい」という感情、そして「こんなプライベートライフを送りたい」という感情などといった様々な感情を比較可能にするモノサシが必要だ。
 もちろん感情を数値化することなど到底できないから、厳密な比較ができるわけではない。しかし、少なくとも、ある程度は比較しなければならない。そうしなければ、上述の問いの答えを出すことはできないから。
 では、これらの様々な感情を比較可能にするモノサシとは何か。それは、自己実現という基準である。自己実現』とは、自らが理想とする人生を実現し、当人が享受しうる最大限の幸福を得ることだ。この『自己実現』を可能な限り実現させることが、(当人が自覚しているか否かは別として)全ての人間の人生における最大の目的である。プロサーファーにとっても、専業主婦にとっても、サラリーマンにとっても、政治家にとっても、これは共通の真理だ。

 この『自己実現』という概念、3つに分類することができる。

 第一に、親密圏(家族や友人)との関わりの中や、趣味の中、そしてプロとしてのスポーツ・芸術等の中に求める形。これらは、本人のみ、もしくは本人を取り巻く小さなコミュニティ内で達成しうるものである。終末に友人とドライブに行く、彼女と旅行をする、子供の授業参観に行く、プロボクサーとして己の極限に挑戦するなどといったことを通して実現できる『自己実現』がそれだ。
第二に、自らにとっての理想社会を実現させることで実現する形。理想社会とは、「自分が最も望ましいと思う社会」のことである。マーティンルーサーキングJr.にとっては、それは人種によって差別されない社会であっただろうし、ガンジーにとってそれは自らの存在と文化に誇りを持って自立的に生きていける社会であっただろう。これは具体的には、その理想に最も反する状況(=問題事象。キングであれば有色人種への差別が行われている状態。)を解決することで達成される。
第三に、自らが社会に対して行う行為「そのもの」にやりがい・魅力を感じることで実現する形。これは、具体的には、人と接することが好きな人は人と接する仕事に、海外で異文化の中で交渉を行うことに魅力を感じる人は海外での仕事に、研究をするのが好きな人は研究職に就く事で、実現される『自己実現』の形である。
 そしてこれら3つの『自己実現』の形のうち、1つ目は本人のみ、もしくは本人を取り巻く小さなコミュニティ内で完結するのに対して、2つ目と3つ目の形は、社会との関わりの中で実現されるという点で大きく異なっている。
 以上、『自己実現』を構成する3つの要素を挙げた。




3.いかに『自己実現』を図るか?
 全ての人間の人生の目的は『自己実現』であり、それは3つに分類される。そのようなことを踏まえれば、人生において社会における問題事象を解決することは、どのような位置づけとなるのか。
 
 それは、2つ目の『自己実現』の形、すなわち、自分が理想とする社会の実現による『自己実現』に他ならない。よって、問題事象の解決とは、なにも「崇高」な行為でも、「高貴」な行為でもない。あくまで、「私はこのような社会を理想とし、それを実現したい。そうすることで、私は満足し、『自己実現』ができる。」というものである。
 
繰り返しになるが、人生総体としての『自己実現』は、3つの形に分類される。つまり、人生総体としての『自己実現』は、3つの『自己実現』の和である。ゆえに人生総体において『自己実現』を図るには、これら3つの形に気を配る必要がある。
 では、これらの『自己実現』の形の全てに視野を広げ、適切な比較考慮を行い、人生総体としての『自己実現』を図るために適切な意思決定を下すにはどのようなことを行えばいいのか。
 
 それは次の一言に収斂される。

 絶対に自分を誤魔化さない、ということだ。

 日々の生活で、私たちはいろいろなことを感じる。
夕飯を美味しいと思う。海で泳ぐのが楽しいと思う。物理の実験が楽しいと思う。小学生が校庭で遊んでいる姿を微笑ましいと思う。イスラエルで起きているテロ事件は悲しいことだと思う。竹馬の友と飲む酒は最高だと思う。卒業論文を書くのはつまらないと思う。などなど。
 そのような日々の生活で感じたことを出発点に、正直に考えていくこと。それが、人生総体として『自己実現』を図る上で最も重要なことである。そこに誤魔化しがあれば、いかに「立派そう」に聞こえることを述べて周りの人間を欺くことができても、『自己実現』を達成することはできない。
 例えば、今この世の中で起きている問題事象のいくつかを解決し、世間から「彼は偉大な男だ」と評価されたとする。しかしその行為が自分自身の価値観を反映したものでなければ、そんなもの本人の『自己実現』に鑑みれば無意味である。

よって、自分はどのような価値観を有するのか、自分にとって一番大切なものは何なのか、という根本的な部分を常に自問自答する必要がある。

もちろん、それを行うことはたやすいことではない。堂々巡りになり、自分が何なのか、分からなくなることもある。自分をより深く理解するどころか、さらに迷いの闇深いところへ放り投げられたように感じることもある。そしてそのようなことをせずに、ノリで生きることができればどんなに楽なことではないかと思い、思考を完全にストップしたくなることもある。

しかし、投げ出してはいけない。自分を誤魔化さず、自問自答を繰り返す。このことを続けていくことによって、本当に少しずつではあるが、自分の『自己実現』の形が、分かるようになってくるはずだからだ。

 今一度問う。
「なぜ、社会を変える必要があるのか?なぜ、社会で起きている問題事象を解決する必要があるのか?」
 
 社会を変える必要はない。問題事象を解決する必要も全くない。
 しかし、自問自答の末、「自分はやはりこの問題を解決したい!」と思うのであれば、すればいい。それに人生におけるどれだけの労力と、時間と、犠牲を払うのか。それは、その他2つの『自己実現』の形と比較考慮し、決めればいい。『社会変革者』とはそういうものであるし、そもそも人間であればそれ以外はありえない。


 もっとも、社会との関わりの中で『自己実現』を図る場合には(1.自らが理想とする社会の実現、すなわち自らにとっての問題となる事象の解決によって『自己実現』を図る場合と、2.自らが社会に対して行う行為「そのもの」にやりがい・魅力を感じること『自己実現』を図る場合)、それが社会に受け入れられ、社会全体にとってプラスに働くものでなければならない。
 いかに自分にとっての理想社会といえども、特定の民族が恩恵を受ける反面で特定の民族が虐げられる社会や、環境に配慮しない経済発展を志向するがために人々の健康を著しく害するような環境汚染を生み出す社会などを実現させることは許されない。社会との関わりの中で『自己実現』を図るものは、その点を肝に銘じる必要がある。


 そうやって、それぞれ生き方を決めればいい。



写真は以下より転用:
鳩山総理の写真 http://mainichi.jp/kansai/forum/archive/news/2008/20080129oog00m010010000c.html
手をつないでいる写真 http://www.seoulnavi.com/blog/blog_top_view.php?blog_id=5004112
サーフィンの写真 http://ameblo.jp/makkun0625/theme-10010430024.html