『美貌格差社会』〜「負け組み」の絶望感が日本を引き裂く〜

社会科学部二年 中村翔

「美貌は、夏の果物のように腐りやすく長持ちしない。」
これはかの有名な哲学者F・ベーコンの言葉ですが、時代は変わり、今では「良い防腐剤?」が社会には流通するようになりました。年間30万人の美容整形、コスメやスキンケアなどの化粧産業、フィットネスクラブやダイエット食品などなど、今や商品化された「美」の市場が、社会に隆盛しています。

元来より人は、特に殊更‘女性’は、生まれながらに「美」という競争のスタートラインに立たされてきました。日本でも小倉千佳子の言うように「金と顔の交換」である性別役割分業に基づく考えは今なお残存しています。ゆえに美貌の格差は今に始まったことではありませんが、今回美貌格差を述べさせていただくのは今話題の格差社会と通ずるものがあるからです。

格差!格差!と言われる今日ですが、マスコミのよく言う所得格差にしても教育格差にしても、何も今に始まった話ではありません。しかし巷を賑わす最大の理由は、①に右肩上がりの経済成長の終わりと、②に中間共同体(企業や家族)の機能不全に伴う個人のリスク社会化と、それと表裏一体の“自己責任原則の浸透”により、昔からあった格差が実感レベルのものとなったからでありましょう。

ではこれに鑑み現在の美貌格差は、いかなる状況に置かれているでしょうか。

①右肩上がりの経済成長を終え、物質的に豊かな日本は消費社会の渦中にあります。こうした成熟社会においては、人々の価値観は多様化し、人々はその消費に差異や個性といったものを求める時代だと言われます。しかし美の消費行動を見てみましょう。情報化社会における美のイメージ発信(広告、CM、雑誌)を背景に、日本の美容整形では計算された理想の顔を基準に外科医がその欠点を指摘してそれを克服する形(欠点修正型)で行われており、また化粧に関しても資生堂のビューティーサイエンス研究所が行った心理学実験で、特に20代30代の女性において「化粧をすると個性がなくなる」との結果が出ており、つまり現在、ここ日本では『美の画一化』が起こっているわけです。

②さらに美容整形や化粧に加えて、80年代に「フィットネス」や「ボディコンシャス」の概念が到来し、現在ではもうすっかり日本に定着しています。最近では女優や人気歌手が憧れられる外見を作り維持するための自助努力は、隠れてやるものでなく彼女ら自身が語り、一般に知れ渡っており、かつその努力は賞賛され、評価されます。そのため(社会一般に認められる)美を求める努力を怠っている人(特に女性)は蔑まれる傾向があります。今や顔や身体の形態にまで、美の自己責任原則が浸透していると言えましょう。


こうした「何が美しいか」という『美の画一化』と『自己責任原則』は、美容整形や化粧産業、ダイエット産業などを「コンプレックス産業」として隆盛させています。美の画一化が齎しているもの、それは美を図るモノサシの統一化です。しかしそのモノサシで自分を図り、比較することで見えてくる欠点(のように見えるもの)の数々。コンプレックスや醜塊恐怖はここから生まれます。そして自己責任原則に基づき、克服しようと努力するのです。

美容整形への女性の意識調査(日韓比較)でも、韓国人が美しくなるために手術を受けるのに対して、日本人はそのほとんどが「マイナスをゼロにして人並みになりたい」という欠点の克服が理由です。これは化粧品売り場や雑誌の美容相談も同じ傾向だと言います。また厚生省の国民健康調査においても「肥満の実態と痩せたい願望がずれている」ことは明らかになっており、摂食障害の原因もこの理想のイメージの自分と現実の決して埋まらないギャップにあります。
またさらにこれらの価値は世代間を越えて広がっています。2000年以降、キッズコスメ(子供用化粧品)は急増し、美の市場は小中高生というフロンティアを開拓しています。しかし世代間交流の少ない今、発達段階の子供に美しさの基準や外見を変化させるための多様な手段を与えてしまうことは、その外見の美的価値を画一化させますます価値観を狭くし、結果美の基準も自己表現の手段もさまざまあると覚えられず、それ以外を排除するような傾向を生む恐れがあります。

消費社会の核心は、「高度に商品化された物資とサービスに依存することを、この社会の‘正常な’成員の条件として強いる」ところにあります。そしてこの成員に「必要なライン」は際限なく上昇・拡大し、そこから多くの「脱落者=負け組(排除)」を生み出します。

勝ち組負け組みとはよく言いますが、競争自体は悪いことではありません。ただ、競争するレーンを選択できない時に、競争社会の問題はあると思います。生まれながらに美という競争のレーンに立たされ、画一的な美というストップウォッチ(モノサシ)で図られることを、果たしてどれだけの人が望んでいるのでしょうか。『希望格差社会』(山田昌弘著)では、リスクの個人化と自己責任原則が市場価値・経済力というレーンの競争において絶望的に格差を拡大させていることを指摘していた。しかし経済的な格差は、まだ再分配できます。ですが美貌格差はどうでしょうか?『美貌格差社会』においても、有名なガリバー旅行記(スウィフト著)に出てくる「美人税」を導入し、コンプレックスに悩む人に補助金を出すべきでしょうか。いや、きっとそれも消費社会の成員の条件を引き上げるに過ぎません。

解決策は、美の価値基軸を一人一人に取り戻すしかありません。お互いがお互いを丸ごと承認できるような、そんな親密な人間関係を築くしかないように思えます。それこそが、日本中の身体コンプレックスや身体劣等感に悩む方々を救うことにつながるのではないでしょうか。