ローマへ通ずる道

政治経済学部2年 佐々木哲平

小泉政権が成立してから5年。
この長期政権がこれまでに行ってきたことは近年の他の政権に比べれば非常に多い。
その中でもこの政権を象徴する政策が「民営化」であった。
道路公団民営化」、「公的金融機関民営化」、「郵政民営化」、・・・そして最近になって新聞紙上を賑わせているのが、竹中総務相が旗振り役となって議論された「NHK民営化」である。
不祥事や不払いの多発といった信用を失墜させる事件の最中、公共放送のあるべき姿、そもそも公共放送自体が必要なのかといった疑問からである。

NHKを民営化するとは言うまでもなく、各種メディアとの市場競争にさらされることであり、視聴率の獲得こそが最重要課題となる。
5月23日付の新聞によれば一応民営化の方針はなくなったらしいが、ここ最近の公共放送「NHK」は大きな変化をしたと私は思う。
以前のような堅苦しい番組ばかりではなく、積極的に笑いを取るような娯楽的な内容をより多く交えるようになった。
これをNHKが民放に対抗するための自助努力と評価することも確かにできる。
一方で「公共放送本来の役割を放棄している」との批判もある。
しかし、ここで忘れてはならないのは「視聴率向上=(娯楽番組)」という構図が自然と成立してしまっていることである。

最近になっての激しいNHKバッシングは不祥事を契機にはしているが、民営化が検討されていることからも、より根本的な問題として現代の視聴者のニーズにあっていないという問題点が挙げられる。
逆を言えば、近年の逆風強まる以前における「つまらない(娯楽的要素に乏しい)NHK」はある程度視聴者のニーズにあっていたのである。
つまり、テレビ視聴者の中で「娯楽至上主義」が強くなっているのである。

人が娯楽に強い関心を持つのは成熟社会においては当然のことであろう。
これは現代の多くの先進国においてもそうである。
ただし、娯楽にしか価値を見出せない社会になりつつあるとすれば、不安を覚えざるを得ない。

一方で、現代の日本には「その日暮らし」「しばらくは食っていけるから」というニートやフリーターが増えつつあるといわれている。
将来設計など放棄した刹那的な生き方ももはやひとつのモデルとなりつつあるようだ。

繁栄の極みにあったローマにおいて市民の生活は「パンとサーカス」という一言で言いあらわせる。
土地を失い、ローマ市流入してきた市民はパンの配給とコロセウムの見世物を中心に生きていた。
その結果がローマ市の没落と退廃であり、ローマ帝国の瓦解であった。
巨大化しすぎた帝国を内部から支えることができなくなってしまったのである。

こう見るとかつての帝政ローマ現代日本には類似点が多いように思えてしまう。
日本は「パンとサーカス」の時代に突入してしまったのだろうか。