「基地と沖縄」文化構想学部一年 桑江リリー

沖縄の基地問題が全国的に有名になったのは2009年、当時の鳩山政権が普天間基地移設問題解決に着手したことが大きな要因では無いだろうか。それ以来、沖縄の米軍基地と言えば普天間という印象が強くなったが、実際には極東最大の米軍基地と呼ばれる嘉手納飛行場や、普天間の移設先候補で知られる辺野古にも米軍基地など、沖縄には数多くの基地がある。

私の出身地は沖縄である。
生まれてから18年間沖縄で育ち、先祖も代々沖縄の人間であった。戦後、祖母の代からは米軍属の人間を相手に商売をし、生計を立ててきた。
そんな私が基地問題に人一倍関心を持ったのは当然とも言えるだろう。

沖縄から上京してきて初めて知ったことがある。
何かの拍子に米軍基地の話になると必ずと言って良い程皆、沖縄の人間は基地の全面撤廃を願っていると思われることである。
テレビでは基地問題のことを報道する際などに、基地に反対している市民団体などをしばしば映しているし、確かに基地問題が身近ではないであろう大部分の本土の人々がそう感じてしまうのも無理はないだろう。
当然ではあるが、私達が常々問題だと強く思っていることは、故郷を離れてしまえば単なる些細な一離島の問題に過ぎなくなってしまう。それ自体は仕方のないことだが、地元の人間が米軍基地に対してどのような思いを抱いているのかを、少しでも知って頂ければ幸いと思う。

物事には概して良い面と悪い面の両方があるもので、その為に多くの沖縄人は米軍基地に対して複雑な感情を抱いている。治安の悪さや騒音被害などに鑑みると、米軍基地には勿論反対である、と答える沖縄人は多いだろう。しかしその一方で、雇用や経済効果など基地があることで享受できる恩恵も勿論あるのだ。現実に密接に米軍基地と関係しているからこそ、一概に撤廃とも継続とも言えない苦悩がある。

普天間基地が問題になっている理由は、他の在沖米軍基地とは違いその周辺が住宅地である為である。
普天間基地の閉鎖及び返還は1995年におこった米兵による少女強姦殺人事件が発端となり、市民団体の抗議が実を結んだ形で同年米軍により決まった。しかし18年経った現在でも返還が実現していない。これは日本側の対応が決定していないからである。

私は沖縄人として思うことがある。基地問題に関して憤りを感じている沖縄人の大半は米軍に対してではなく、日本政府が対応してくれていないということに不満を感じているのではないかと。自分たちが蔑ろにされていると感じるから、自分たちの問題が忘れられてしまわぬように、島の外まで届くようにあんなにも声を上げているのではないだろうかと思うのだ。

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