「旅」法学部一年 高野馨太

私はよく旅に行きます。家族旅行は昔から、一人旅をし始めたのは高校一年生の頃からでした。それから、しばしば暇を見つけてはバックパックを背負って国内を回っております。私は旅行をしているというよりも旅をしていると言いたい。むしろ「今回はそういう経験であってほしい」と思って毎回旅立っています。旅と旅行の語義は一般的に同じです。しかし、その語感は異なるのではないかと個人的に思います。
例えば、ちょっと極端ですが、中世イスラムの偉大な旅行家(このような人々は旅行家と呼ばれておりますが) イブン・バットゥータの三大陸周遊は旅行でありましょうか、あるいは旅行かも知れない。だが、それは旅といった方がより相応しいのではないか。例えば、友人と数日間タイのバンコクに行って夜街で遊んで帰る。これはあるいは旅かも知れない。しかし旅行と言ったほうが適当だという感じがする。
旅と旅行の決定的な違いは、今回例に出したイブン・バットゥータの壮大さもさながら、その深さだろうと思います。すなわち、旅は現地の人々(の生活)により触れることができ、また人生経験に厚みが増すような、あるいは凄絶な経験。一方の旅行とは言ってみればチープで快適なものだと私は思っています(旅行者をけなしているというより、私の両語の認識ですのでご了承ください)。
いわゆる旅行者は現地で美食に舌鼓を打ち、ホテルに泊まって温泉を楽しみ、観光名所を回って楽しかったと感想して帰って来る。旅行者は現地の上辺の部分しか目に入らない。それは人生を豊かにする経験というよりも趣味の好きが果たされた一瞬の快適に如かない。
旅人は著しく好奇心旺盛である。現地の人々に溶け入るのを好んで、気にいった街があればしばらく逗留して遊ぶ。何事にも貪欲に経験してみる。何か苦行に近いものを楽しんでみたりもする(旅先の場所からして危険な、苦行のようなところもある)。旅人は旅情に駆られて、またザックを担いで旅先に飛んでいく。旅人は、あるいは「旅は人生の縮図だ」などとぼやくようになる。旅人は、旅先で多くの物事を知る。人々の生活、あるいは社会を知るということであります。
高校の二年と三年の間の春休み、一人沖縄本島に行っておりました。10日余というさしたる日数ではありませんが、これによって多く物事を学び、考えたように思います。おそらくこれは旅だった。そう私は思っています。
現地の農村から都市部の名護、那覇で知り合った幅広い年代の方々、宗教家、基地反対運動家、大学教授まで、幸いにして様々な方々と知遇を得、教訓や戒めも頂いて、それは二年経った今日でも時折反芻されることであります。
中でも印象に残っている一例を挙げてみますと、八重山から出稼ぎに来ていた還暦を迎えたころの方と夜の那覇市街でひょんなことからお会いしたときのことです。話は先の大戦のことから、米国統治期を経たその方の半生、そして私の将来にも及びました。当時、当大学を志望していた私は、「早稲田に行きます」と言うと、「日本を頼むな」と。一期一会かな、寂しいなとお話になられながら、その方とは夜更けに別れました。幸いにして私は、翌年早稲田大学に合格して現在に至ります。
この時のことが今でもふと思い出されます。我々は日本を託されている、小身ながらに心が奮います。我々は俗に名門と言われることの多い大学に属しているわけであります。かつてと比べて、大学生がエリートとして目されることはあまりありません。しかし、我々は、あくまで相対的にですが、社会的に見たら上層に位置する存在であり、畢竟その責務を強く意識しなければなりますまい。日本を頼むな、とかくいう彼らから、我々は我が国のかじ取りを任されているのであります。
 沖縄行は、社会の一端を垣間見、曖昧模糊たるものではありましたが、私に国家のイメージを与え、愛国心を昂揚させる契機となったと言えましょうか。そして、その想念がゆっくりと広がって現在に至っているような次第です。私の出発点はあの旅であって、沖縄は私の第二、三の故郷だというようにも感じます。誠に、旅は豊穣な経験をもたらすものだと思います。
 社会を知る、これはやはり我々の義務ではありますまいか。ましてや私などは、社会を語る熱っぽい団体(弊団体)に属しております。私もまだまだ何も分らぬ若輩者であることはもとより承知の上、旅によってから何から、今後も見聞を広げて参りたいと思っております。そういう際に、私が胸に持って臨みたいのが、これまた沖縄でお会いした方のお話になったことで、「人のことをバカにしたら人間はお終いだ」ということであります。自戒を込めてここに記して結びとさせて頂きます。長々しい拙文、どうかご容赦ください。