「インドへの旅と"他者への想像力"」

法学部2年 津田遼
先日、二週間ほどインドに旅をしてきた。生まれて初めての海外への一人旅。
 コルカタ空港に到着したのは夜10時ごろ。空港に足を踏み入れてすぐさま、ここは完全なる自分にとって完全に未知なる大地であることを自覚した。血痕のような染みがついた壁。薄暗い電灯。紙のないトイレ。いたるところに立っている機関銃を構えた警察。空港を出ると、いきなりやってきた「公認タクシードライバー」と名乗る男に連れられ、日本なら確実に「廃車」になっているだろうタクシーに乗り、ホテルがある町の中心へ向かった。
 霧と間違えるほど汚染された空気の中を、十分に舗装されてなく車線ラインもなく凸凹した幹線道路を40分ほど走り、ようやく町の中心部に到着する。車を降りると、すぐ近くには野犬が徘徊している。ほこりとカレーと排泄物とスパイスと、全てが混ざり合ったような強烈な匂い。インドの夜はとても暗い。とても怖い思いをしながら、12時前にようやく空いているホテルを見つけ、チェックイン。以前、父親の仕事の関係で5年間ほどアメリカに住んでいたこともあり、「海外慣れ」はしているつもりだったが、そんな強気な気持ちは一気に吹っ飛んでいった。
 翌日からも、「刺激」の連続であった。街を歩けばどこを見ても当然ながらインド人だらけ。車線のない凸凹した道をクラクションを常に鳴らしながらサバンナのヌーの群れのようにカオスに行き交う車。その間を車にはねられないように避けながら歩く人々。道端には屋台が並び、スパイスが効いたカレーや甘いチャーイ(スパイスの効いたミルクティー)やよくわからないお菓子が売られている。
 いわゆる「観光客目当ての詐欺」にも市場で遭遇した。市場の「公認ガイド」と名乗る男と、「ガイド」の途中で出会った通行人の男、店員、店員の息子、そして一度買った商品を返品しよう店へやってきた「ネパール人」の客、全員がグルな巧みで壮大なスキットであった。ホテルに戻り、そこの従業員のカーンと商品を購入した話をし、自分が詐欺にあったことにようやく気付いた。その後、顔に疲れがどっと出ていたのを察してか、カーンは「俺が夕飯を外で買ってきてやるよ」と言い、わざわざ外に夕食を買いに行き、部屋まで持ってきてくれた。詐欺を働いたのもインド人だが、疲れ果てていた自分を心配して助けてくれたのも、他でもないインド人であった。
 インドの聖地、ガンガ(ガンジス河)が流れるヴァラナシの町では、河の水面に上る日の出を見るためにガンガへ歩いていったところ、偶然そこで沐浴をしていた30代のガネスという男と仲良くなった。彼は4時間ほど町を色々と紹介してくれた上で、最後は「チャーイをご馳走するから家においでよ」と言って、彼の家へ連れて行ってくれた。
同名のインド料理の料理人とも食事をとったレストランで仲良くなり、勤務後にレストランの屋上で星を眺めながら「人生において大切なもの」について議論をしたりもした。その他にも、「ねー、写真を撮って♪」と集まってくる小学生くらいの子供たちや、インドの急激な欧米化に危機感を覚え、伝統文化の重要性を熱弁するおじさんと親しくなる機会にも恵まれた。



 帰国を翌日に控えた夜、就職試験を受け終わり故郷に帰る途中の青年たちと夜行電車で出会った。歳は、私より2−3歳年上といったところだろう。「君は旅人かい?」という質問から始まり、インドに来た理由や、インドで回ったところについて、日本におけるセックス事情について(変わりつつはあるが、インドではセックスに関する会話はタブー視されているため)、日本とインドの差異について等、数時間に渡って、時に楽しく、時に真剣に、話し合った。
 夜も明け、もうすぐ終点に着くというところで、彼らのうちの一人が、「これまでのインドでの経験を踏まえた上で、君はインドに住みたいと思うかい?」と言う質問を私に投げかけた。
 私がこの旅で訪れたコルカタ、デリー、ヴァラナシは、日本で言えば大阪、東京、京都、といったところ。そのような大都市にもかかわらず、日本とは異なり、町の人々は見知らぬ自分にフレンドリーに話しかけてきたし、逆にこちらから声をかけたときにも親しげに答えてくれた。初対面の私を家に招待し、家族を紹介してチャーイを振舞ってくれたりもした。詐欺に遭ったり、腹痛や熱に悩まされたりしたインドではあったが、インドに親しみを感じ始めていたのも、また事実であった。
しかし、「インドに住みたいか?」と聞かれたときに、とっさに思ったのが、「いや、日本がいい」ということだった。なんだかんだで、自分は日本人なのだなということを、この時、すごく実感をした。そして、成田空港に到着した時、看板に書かれた「おかえりなさい」と言う文字が、とてつもなく心に響いた。



 ふりかえってインドでの二週間を思い出してみると、会う人会う人、皆インドを愛している人ばかりであった。「たしかに経済力では日本やアメリカには負けているけど、インドには素晴らしい文化と可能性があるんだ!」と熱っぽく語る多くの青年や老人に出会った。それを言われた当時は、「価値観は人それぞれだから、そんなもんかな」といった程度にしか思っていなかったが、自分の日本への愛着に改めて気付いた時、彼らが語る「インドの魅力」については十分理解できないにしても、彼らの「インドに対する愛着や誇り」という感情は、とてもよく理解できるように思えた。私が夕日が沈む多摩川に心を奪われるように、彼らはガンガの日の出を眺め心が奪われ、私が夕方に家々から香ってくる夕食の香りに郷愁を覚えるように、彼らもまた、インド独特のスパイスの香りに同じではなくとも同質なものを感じているのだろう。


 今も昔も、世界は「問題」で溢れかえっている。その原因は問題によって様々であるが、多くの問題に共通するものとして、「他者への想像力」の欠陥が挙げられるのではないかと思う。例えば、国家間の領土問題などに関しては、そこを所有するための法的根拠や歴史的根拠を考慮することはもちろん重要であるが、と同時に、自分がその土地に並大抵でない愛着を感じているように、相手側も同じように感じているということを心底理解し、その感情を尊重することで、問題解決への大きな一歩が踏み出せるのではないかと思う。また、自分が自らの家族や友人を心底愛し大切に想うように、他の人々もまた同じように思っているということを、「単なる知識」としてではなく、「心で理解」することで、様々な問題を解決に導く大きな原動力となることは間違いない。

 そんな、当たり前でありながらも、とても大切なことを改めて心に強く訴えてくれた、インドの旅であった。