第一弾:家を失った子供たち。

法学部1年 小島和也


 朝、目が覚めて朝食をとり、外に出る。木漏れ日が気持ちよくて誰かに挨拶をしたくなる。大学進学に合わせて田舎を離れて東京で下宿しているのだが、それ以来決まっていつもアパートの隣の家のおばあちゃんに出会って挨拶をする。東京では珍しく私の住んでいる所には未だに地縁的な付き合いが存在していた。田舎に居たときのことを懐かしみ、また人付き合いの暖かさを感じることができる。このような地縁的共同体の中の人間関係、とりわけ他世代間交流に人間関係の重要性を改めて認識することができた。しかしながら、よく考えると不思議なことが起こっているのだ。それは隣の家の人のことは知っているのにも限らず、自分の隣の部屋、上の部屋、自分のアパートに住んでいる人の事を何も知らないのである。地域の中に一つだけある、自分のアパートがやけに風景に馴染んでいなかった。

     「地域共同体の崩壊。人間関係の希薄化。」
といわれ初めてかなりの時が過ぎた。実際に東京のどこに行ってもアパートやマンションが立ち並び、私のように隣に誰が住んでいるのか分からないという人はたくさんいるであろう。戦後増えたとされているニューウタウンについても同じことが言える。地方には未だに地域共同体が残っているところも多い。しかし2006年現在、市町村の40%が過疎市町村であるように地方には共同体を作る基盤も無くなっている。また、読売新聞の世論によると「人間関係が希薄化した」と考えているのは80%もいることが分かった。


 このように、人間関係が希薄化したといわれる現代において、悲惨な事件が起こった。
秋田での虐待事件である。この事件は自分の子供を失った悲しさゆえ容疑者が2つ隣の家の子供を 殺してしまった事件である。ここまでは悲劇の母親ということで報道されていたのであるが、最近になって実は自分の子供を虐待し川から落として殺してしまったということが分かってきたのである。
                そう「幼児虐待。」
 最近、毎日のように親が子供に虐待をする事件が報道されている。最新の厚生労働省のデータでは3万3000件と1990年と比較して30倍にも増えているのである。また助けを求めることのできない、親に頼ってでしか生きることのできない子供が虐待によって3日に1人死んでいるのである。さらに、2002年「“It”(それ)と呼ばれた子」という本が日本に衝撃を与えたのは記憶に新しい。この本の中の子供は悲惨な虐待を受けるのだが、幼児虐待を受けた子供というのは最も信頼すべき存在に裏切られ「自己肯定感」、「信頼感」を失ってしまうのである。実際に虐待を受けた半数が「人間関係において他者を信頼することができない」と語っている。
さらに虐待は虐待を生む。すなわち「虐待の継承」である。過去に虐待を受けたことのある親は、過去に虐待を受けたことのない親と比べ6倍も虐待を行っている。
このように“幼児虐待”とは子供のその後の“人間関係を構築することを困難”にし、さらに“次世代の子供に虐待を継承”してしまうものなのである。誰もが幼児期を生きる。この幼児期において育児を担保している社会はそのほとんどが家族である。最終的に子供の責任を負うのは家族であるので、育児家族の中でその大部分を担保するべきであると考える。このときにおいて、虐待を受けその後の人間関係に大きく負の影響を受けることを私は見過ごすわけにはいかない。

 幼児虐待の原因として最も多いのが「地域からの孤立」による「育児不安」である。つまり、人間関係が希薄化したことによって虐待は起こっている。
 


このような現状に対して私は、地縁的共同体に存在していた共助関係を復活させるべきであると考える。なぜならば、これまでの地縁的共同体に存在していた他世代間交流に価値を感じるからである。

 そのために以下になぜ幼児虐待が一向に減らないか、また幼児虐待を減らすにはどうすればよいのかを提示していきたいと思う。