「種」

教育学部1年 岩本慧


『社会的孤立状態はなぜ生じてしまうのか?』

今回はその原因を時代潮流から探っていきたいと思います。

前回、社会的孤立状態の最も恐ろしいリスクの一例として挙げた孤独死孤独死という言葉が登場したのは、1960〜70年代と言われています。この時代のわが国は、高度経済成長の時代です。
高度経済成長の時代に、我が国は『近代化』の完成をみました。『近代』の特徴として、形式合理性の重視、再帰性といったことが挙げられます。具体的には、個々人の単位において、絶対的な価値体系(ex宗教・伝統)から解放され、個々の欲求に合理的に行動できるようになりました。社会システム(物質的な再生機能=産業・行政・教育…)も、限りなく合理化されます。このシステムの合理化には巨大な富と可能性を我々に与えました。すなわち、財・サービス生産が合理化されて私達は経済的な利益を得て、それを使う多くの選択肢(ex消費活動)を得ることができたのです。


 この過程で、我が国の個人を取り巻く関係性が一変しました。
 まず家族形態が変わりました。『イエ』と呼ばれる直系制家族(農村部に多く見られた、男性たちの子孫から構成され、一つの世帯にその妻たちと扶養される子供たちの全てが一緒にすんでおり、最年長の男性が家長となり、他世代が同居する拡大家族形態。)が、戦後のベビーブーマー世代において、長男は農村に残り、伝統的直系制家族を維持し、次男以下は労働力として農村から都市へ大移動しました。
この移動した若者が、多産少子型の人口構造と相まって大量の核家族を形成しました。そして、第一次産業から第二次産業第三次産業の比重が増し、「稼ぎ手(生産)=夫、主婦(再生産)=妻」というジェンダー分業構造が高度経済成長期の産業構造にマッチしたこの「近代家族」は、時代潮流にあいまって広がっていきました。
また、1972年に男女雇用機会均等法が制定されたことに見られるように、この時代は女性の社会進出が活発になり、子育てなどの再生産活動を行う妻も、働きに出るなど、共働き家庭も急増していきました。この過程で、家庭の私的領域と公的領域の区別がなされ、問題を生じさせました。それは、家庭の私的領域における出来事が「治外法権化」され、家族構成員は家族内の生活に生じる課題を家族内の問題として家族内から外に出さず、たとえ家族外(近所から国家まで)の人々に問題提起しても家族内の問題として排除されたりしてしまいかねない可能性を生んでしまいました。これらの現象が複合的に絡み合い、個人を取り巻く家族は地域と密接にあった関係から離れていったのです。


その家族を取り巻いている「地域」も変わっていきました。高度成長期の都市化は、先に述べた核家族を大量に生み出しただけでなく、都市に流入した家族は地縁というものを持たないために地域共同体との関わり合いが希薄になってしまいました。
そして、個人が所属する「共同体」も、『ムラ』から『カイシャ』になり、まさに都市の中のムラ社会を形成していったのです。そうした構造は「限りない成長」の時代には一定の好循環となりえたし、「国を挙げての成長の追及」という目標の共有がそうした個々のムラ社会をつなぎとめる機能を果たしていたのですが・・・

近年は世代間格差を理由に、高齢者の中にも核家族化を志向する傾向もあるだけでなく、「カイシャ」から離れた彼らは、生活に生じたリスクを緩衝することが困難になります。(「カイシャ」に所属いたころは、終身雇用などの組織内の福利厚生があり自助可能でした)
近年は経済のグローバル化の中、地方経済も衰退したことによって地方の人口が都市へ流出して地方の過疎化も進行しました。過疎化は高齢者のリスクを緩衝していた家族・地域が喪失させ、彼らは孤立していきました。伝統的な家族、地域共同体を保持していた地方においても、「近代」の波が押し寄せ、飲み込んでいったのです。

核家族化により家族から切り離され、地域共同体が崩壊し、「カイシャ」から切り離された、個人、すなわち高齢者の方々が、孤立していったのです。

では、どうすれば彼らが幸福に生涯を過ごせるのか?次回は現状の政策を分析し、高齢者の方々の孤立状態を打開するための解決策を展開していきます。