第一弾:格差問題から考えるリスクの個人化

政治経済学部2年 山田麻未


最近良く耳にする格差社会という言葉。本が多く出版され、雑誌でもよくその悲惨な実態を叙述したり、格差社会・競争社会をいかにうまく乗り切るかの処世術などの特集が組まれています。
例えば毎日新聞でも「格差の現場から」というタイトルで連載がなされていたのを目にした方も多いのではないでしょうか。規制緩和の波に飲まれ、業界大手が過去最高の利益を上げる一方、半数の会社は赤字に苦しみ、末端でほとんど寝ずに仕事をこなしている妻子持ちのトラック運転手の月収は、月30万円を切ろうとしている現状。年金の収入が少ないために、物価の安い海外に移住する日本人。病気にかかっても、患者になれる人となれない人の分断・・・そんな人々の叙述がなされているのを見て、みなさんはどう思ったでしょうか。

小泉首相が「格差は悪くない」という趣旨の発言をしたことも、話題となりました。その発言を裏付けるとするデータも挙がりました。活力ある社会を実現するためには今の方法が必要だと言います。

確かに、私も所得格差を均質にすることは「悪平等」だと思います。それなりの行動にそれなりの対価を求めるのも最もであります。

では何が私は問題とし、解決すべきだと考えるのかと申しますとそれは、先にあげたような人々の状況なのです。

景気の回復やデフレ脱却、ゼロ金利解禁が報道され、マンションや車から缶コーヒーまで、商品がブランド性を押し出し、高級品さを売りにし始めていることは、普段の生活でも感じることだと思います。
しかし、経済協力開発機構OECD)は今月20日、日本の相対的貧困層の割合は先進国で2番目としました。また、最初に述べたような実状が存在しています。
この両極端な報道が同時になされているのが現在なのです。


育児や介護といった身の回りの生活も、規制緩和の波を乗り越えて安定した収入を得るのも、老後の生活を確保するのも、病気になって病院にかかるのも、健康な体を維持するのも・・・かつてそれを守ってくれていた地域の人々や、会社共同体、手厚い福祉を担保してくれていた国家はもはやなく、「自立」が叫ばれ、全て自力で獲得しなければならない時代。個人がリスクを管理することが求められています。


仕事を探しているし、その能力も持ち合わせているにも関わらず、仕事がない人。仕事に就き、過酷な状況下でも働いているにも関わらず、家族で生活するのに十分な収入が得られない人。彼らは怠惰なわけでもなく努力しているけれど、現状は厳しい。しかしそれも彼ら自身の選択であり、その結果の責任は個人に帰結されてしまうのがリスクの個人化です。

私はこのリスクの個人化を問題視しています。
これまでリスク分散の役割を果たしていたコミュニティを私たちの連帯によって新たに創り出す必要があると思います。
これからコンテンツを通して、この現状の原因の把握と、リスクの分散を目指して解決の方策を提示してまいります。