Contents for Sending Values  共に在る「世界」 第一弾:問題提起

政治経済学部2年 佐々木哲平


私立学校が増えました、公立離れが進んでいる、学区制が抜本的に改まった、などなど・・・テレビや新聞ではよく聞いていたが、上京してから感覚的にようやく実態を理解できるようになった。十数年前住んでいた頃は一番近い公立学校に通っていたのでそれが当然のことだと思っていたが、今では電車に乗ると朝には通学、夕方には帰宅の小学生を見るたびに、自分の考えが固定概念化だったと改めて気付く。

そんなある日、知人からの体験談を聞いた。一人の小学校の低学年だと思われる子が電車の中で眠っていて、いつまでも寝ているものだから起こしてやり、寝過ごしてしまったので隣のホームまで案内してあげたそうだ。それだけなら、めでたし、めでたし、なのだが、それだけではない。小学生を起こして話しかける時も、案内する時も、常に周囲に不審の目でみられ、知人も周りの目を気にしながら行動せねばならなかったそうだ。
 それもそのはず、その時は少年・少女を誘拐したり、殺人したりといった事件が頻繁に起こっていて、「怪しいおじさんに気をつけよう」キャンペーンのようなものが風潮となっていたからだ。勿論のこと、今でも人間不信に陥らざるを得ないような事件は多発している。「怪しいおじさん」のレッテルを貼られぬためにもできうる限り他人には干渉すべきでない、子供が一人で寝過ごしていようが自己責任、そんな世の中に現代はなってしまったと思う。

 一方で何年か前、とあるニュースがあったのを思い出す。小笠原諸島のある島で何十年ぶりに強盗事件が起きたそうだ。その島の住民はといえば家に鍵をかけるなんてことはほとんど無く、警官も含め誰もが事件なんて起きるはずが無いと思っていたそうだ。
 かつてはどこもこの島まではいかないにせよ、このような生活を送れていた。だが現実は誰をも信用できない、頼れるのは自分だけの社会である。従来は存在していた地域共同体は地方農山村部を除けば崩壊してしまったも同然であるし、その結果地域住民を、さらに言えば人間を信用できた基盤は消えうせてしまったのである。
 このアノミー化してしまった社会を再び安心できる社会に転換するのは、現在採られているような警官の増員、監視カメラの増設、警備員の配置、刑罰の厳罰化などではない。監視カメラがあれば人間を信用できるといったことは無いであろうし、監視の目の行き届かぬところでより巧妙な犯罪が起きるか、人目すら気にしない突発的なものの二つに二極化するだけである。結局のところ人間不信は、延々と続くだけなのである。
 ここで注目するのは地域社会である。密な人間関係を保障し、互いを信用させ、個々人の社会化を通じて共通善を再生産する、これらの機能を持っていたのがかつての地域共同体であったからだ。

 以下に地域社会について、ならびに残存する共同体の護持と、崩壊してしまった地域社会を再建するにはどうすればよいか、考察していきたいと思う。