「かなしく思うことなんて本当に何一つないよ」社会科学部二年 平野真琴

 2011年の3月11日は卒業を一週間前に控えた高校にいた。場所は東京。あの時の周章狼狽ぶりは共にいた人間であればいつでも思い出されよう。堀井憲一郎は『いつだって大変な時代』で「全貌がわかるにつれて、かつてない大きな地震だったという“あと情報”によって、その地震をくらったときも大変だった、と害のないように記憶がうっすらと塗り替えられているような気がする。意識が、整合性のあるようにあとで変えられていく。何かが違って伝わっていく」、「3月11日に何をやったかはおぼえているのだけれど、そのときの気分はどんなものだったのかは塗り替えられる」と言っているが、実際その時の様子は今でも目に浮かべることができるし、心情の変化も仔細に記述することができる。「すさまじい津波の光景を見て最初に感じたことは、「当たり前のもの」が崩壊する、ということだった」(勢古浩爾『人に認められなくてもいい 不安定な時代の承認論』)などと考える余裕はなかった。本当に死ぬかと思った。
 さて、震災はテレビ画面を津波映像で占拠し、原発を誘爆し、日々を余震・輪番停電地獄に陥れた。卒業式の謝恩会を流会せしめ、晴れて合格を勝ち取った大学は入学式を取りやめ、剰え当局は一ヶ月の休校を宣告したのである。実際この一ヶ月間は我を暗鬱たるプラネタリウムの中に閉じ込めた。星は見えるし輝いているがすぐに消える作り物、そんな中に自分はいた。さて、その一ヶ月は結局家に籠って本の頁をめくる意外やることがなかった、というより気分や実際問題としてそれしかできなかった。城山三郎の『男子の本懐』には左遷の憂き目に遭った井上準之助が沈鬱に読書に耽る日々を過ごす姿が描かれているが、自分と重なって思うところがあった。受験勉強を挟んだこともあって最初は一頁を読むのにも苦労し時間がかかったが、毎日読んでいると段々とスラスラ頭の中に入ってくるようになるものである。とにかく高橋正衛から田中角栄まで色々読んだが、特に丁度ドラマ化もされていた若泉敬の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を読破したことはなかなかの思い出である。電気が使えなかった(使いたくなかった)ため外が明るい内にしか読むことができなかったのもなかなかの思い出である。
さて、あれ以来読書ノートをつけている。たまに読み返すと、読んだ本に対応してその時の状況や心情が思い出されて懐かしく思われる。そうであれば日記という感じでもあり、自分の宝物と形容できる。ちなみに、その中から小説名を探すのには少々の苦労を要する。平野啓一郎は『私とは何か 「個人」から「分人へ」』の中で「『小説を読まない人間ばかり』というのは、いかにも寂しい話である」とこぼしている。自分もその「寂しい話」に一役買っているということになるが、角田光代は今でも愛読している。彼女の小説の設定はそこまで突飛なものというわけではないが、それだからこそ共感や感情移入できる隙を与えてくれる。
 角田光代は『さがしもの』の中で、「本は人を呼ぶ」と書いている。今まで読んできた本が、全て「自分を呼んだ本」なのかは分からない。右の本棚を見ながら歩いていたから切通理作の『日本風景論』を手に取り、前日に東京の変遷について講義を受けたから橋本健二の『階級都市―格差が街を侵食する』が目に飛び込んできたのだとすれば、今このノートに記録されている本たちは、色々あったであろう過去を紡いできた自分の歴史に他ならない。それはこれからも同じことである。色々あって、色々あって、本当に色々あって、一方本当に色々なくて、そして今はひとつだけある。明日は色々あって、また色々ないかもしれないけれど、「明日過去になった今日の今が奇跡」だと本当に思う。

「あなたはその、本当に楽しい毎日が過ぎていっても、また違うかたちでの、その年齢でしか受け取れない楽しみはたくさん用意されているはずだから、たくさん笑ったあとで、かなしく思うことなんて本当に何一つないよ」
(角田光代『愛してるなんていうわけないだろ』)

(敬称略)