「自由」政治経済学部一年 井守健太朗

 先日、G・オーウェル著『1984年』を読んだ。この作品は1949年に執筆されたもので、反共産主義の立場の人々から熱狂的な支持をとりつけ、当時の冷戦下の欧米諸国のバイブルになったとも言われている作品である。60年経った現在でもなお世界中の人々に読まれている、いわば20世紀の名著といって差し支えのない作品であろう。
 この本の内容に関しても非常に興味深くあったが、それよりも私の目に止まり心が打たれたフレーズがあった。それは、「自由は屈従である」というフレーズだ。このフレーズは、『1984年』に登場する当局によるプロパカンダである。あなた方(民衆、ここでは特に労働階級者)の自由とは、当局に対しての屈従なのです、従いなさい、さすれば自由は与えられます−そんな当局の威圧的で強権的な声がまざまざと聞こえる。もし現代の支配者が当局のような存在で、私自身この小説に登場する主人公ウィンストンのように正常な人間であれば、必ずや嫌悪感を覚えるだろう。嫌悪感というより、それは憎悪、恥辱的、そのような言葉が適するほどなのかもしれない。ウィンストンの場合、不幸ながら周囲のほとんどの人間は嫌悪感を抱かない人間であった。というより、抱くことのできない人間であったのである。当局による厳しい言論統制、画一的な教育によって、民衆は疑問すら抱くことができなくなってしまった。
 しかしこの作品とは異なり、2013年も迎えた今、世界は作品のような状態を回避できでいると言えるだろう。多くの人々は『1984年』のような世界観に対して、私と同じような嫌悪感を抱くはずだ。そう、我々は自由を獲得したのである!第二次世界大戦後、人類は成熟した社会で自由を得た。民主主義という安定した政治体制のもと、自由にサービスを受け、モノを消費し、自由に主義主張を掲げることも自由に恋愛することもできるようになった。なんと、素晴らしい世の中であろう!
 1年前までの私なら間違いなくこう言っていたであろう。そして、このコラムを読まれている多くの方も、この考え方に同意して頂いているかもしれない。しかし、8ヶ月間様々な本を読み学んだ結果、自らの自由に対して懐疑的になる部分が現れた。そう、果たして我々は本当の「自由」を獲得しているのか、という疑問だ。
大学に入学してからの8ヶ月、様々な自由を享受した。サークルを選択する自由、興味のある科目を選択するという自由。こういったように、私だけでなく皆さんの前にも、生活において様々な選択肢が用意されていることは自明だ。そして、自らの持つお金、情報、地位、そういった資源がある範囲においては、我々はあらゆる選択肢を選ぶことが可能である。しかし、私は問いたい。これは本当に自由な状態と言えるのであろうか、と。
それでは、話を分かりやすくするために、オーウェルが『1984年』の中で主張した自由とは異なった状態、すなわち不自由な状態とは何かを定義付けしたい。先ほど、選択をする自由の話をした。選択をする自由に関しては『1984年』の中でも否定はされていない。作中に出てくるジンという飲み物は好きなときに飲むことは出来たし、皮肉にも当局を鼓舞する活動に関しては好きなようにあらゆるデモに参加することもできれば、団体や連盟に参加することも出来た。もちろん、作中で登場する人々の行動を四六時中監視するテレスクリーンのような、大きく選択の自由を阻害するような要素は大きいが、選択の自由の一切を否定はしていない。つまり、制限はあったものの、『1984年』の中では選択は自由に行え、従ってオーウェルの考えた不自由とは選択が出来ないことではない、と結論付けることが出来る。選択の自由の一切は否定していないのだ。
ここで、話を戻したい。それでは一体、オーウェルの考えた不自由とは何であろうか。オーウェルが『1984年』の中でその一切を否定したものこそ不自由の象徴である。そう、それは「考えること」である。作中で、労働階級者はそもそも教育というものを受けられないため考える資源を持たない。これは多くの共産主義国家、あるいは開発独裁国で実際に行われた政策である。有名な話だが、カンボジアポルポト政権は有識者を皆殺しにした。眼鏡をかけているだけで、その人物は殺しの対象となっていたのである。つまり、考えることがそもそも出来ない状態に置かれていたのが作中の民衆であった。対照的に、主人公のウィルストンは自分の考えに基づいて、当局の理念に対して疑問を持ち続けた。すなわち、端的にこれを表す言葉が作中にある。「方法は分かる、しかし理由が分からない」という言葉だ。ウィルストンは作中を通じてずっと、当局がなぜ強権的に徹底的に共産主義的な政策を推し進めるかを理解しようと試みた。当局はというと、思考という概念そのものを取り除いてしまった。これは小説の中で、二重思考といった言葉に代表される。つまり、例えば現在に起きた事象と整合性を取るように過去の資料を改ざんするといった、民衆から「考える」という行為そのものを取り上げたのである。これこそがまさに、不自由そのものであった。
ここまでの話を踏まえ、私なりに「自由」とは何か、という問いに答えるなら、反証的ではあるが、「考えること」そのものであると答えたい。「自由」とは選択ができることではない。選択は自由の必要条件ではあるが、それのみではあまりにも視野が狭いと感じる。明確に『1984年』で当局が主張する自由と今の自由を区別するならば、今はどんな考え方であってもそれを考えることを許さないものは何もない。それは表現の自由という言葉で、きちんと権利として保障されているものだ。
ここで最初の疑問に戻ろう。我々は本当に「自由」と言えるのであろうか。ただなんとなく生きてみる。なんとなく周りに合わせてみる。既存の価値観に対して、それをそのまま受容する。私自身、このようなことは何度もある。また、同時に見聞きしたことも何度もある。報道に対する見方、ネットという情報資源に対する接し方、イジメ、差別。数え挙げればキリがない。歴史的に見ても、このような態度は悪い結果をもたらしてきたことの方が多い。ナショナリズム全体主義といった言葉がすぐに浮かぶはずだ。ある事象を目の前にして、その「方法は分かる」−これだけで終わっている人もたくさんいるはずだ。理由は何か、このような問いを問うてきた人々はどれほどいるだろう。また、そもそも方法をある程度理解している人々もどれほどいるだろう。『1984年』作中において、主人公ウィルストンは反体制側の筆頭ゴールドスタインの本を読んだとき、既にその当局に対する批判の理論は理解していた。理路整然と否定できるレベルに達していた。それでも彼が疑問を持ち続けたのは、なぜ当局がこのような政策を取るのか、ということであった。方法と理由、我々の生活で生ずる事象に対してその両方に考えを巡らせ、ある程度理解しない限り、私の結論では本当の意味での「自由」を獲得したとは言えないのである。
最後に軽くまとめをして終わりたい。私はこのコラムを書くに当たって、現代世界がもしオーウェルの描いた不自由と反対の自由な世界であるならば、それは屈従ではなく、一体何だろうと考えた。とっさに思いついたのが解放という言葉だった。きっと『1984年』のあの威圧的で強権的な世界が自らの脳内の固定化していたのであろう。自由は解放である!私の短絡的な発想というどうにも抜け切れない悪い癖のせいでこのような結論に達してしまったが、多くのこれを読まれている方は、既に本当の屈従の対義語を浮かべになられておられるだろう。そう、それは「抵抗」なのである。我々の世界が、選択の自由でもない『1984年』とは異なった自由を享受できる世界であるならば、その世界における自由とはまさに「抵抗」なのである。このことに気が付いたとき、私の世界は大きく広がった気がした。私の住む世界、そしてこれを読まれている多くの方も共有しているであろう世界において、抵抗とは武力を示し暴力を働くことではほぼありえない。それは、必ずや「考える」という行為によってなされるものであろう。考え行動し、そこで様々な他人の正義や理念にぶつかる。他者承認をもって自らの幸せを望む人間もいれば、他者承認をもって権威を得たいと望む人間もいる。日本だけでも1億人以上の人間がいる。皆が皆、同じ理念、正義を振りかざし、全く同じ方法を行使するはずがない。人々はそれぞれに多様であり、違う考えを持ち、価値観を持ち、それに従って人生を生きる。『1984年』と今が本質的に違うと言える部分は、まさにこの部分なのである。最後にこの言葉で終わりにしたい。
問おう、我々の自由は抵抗であるか。