『死刑制度と刑務所のあり方を考える』政治経済学部一年 小林圭

刑務所は何のためにあるのか。受刑者を社会から隔離する懲罰のための組織なのか。それとも受刑者を再教育するための組織なのか。この問題は死刑制度にも当てはまる。死刑を執行するのは懲罰として行うのか。それとも矯正教育を行うことが不可能であるから、社会に復帰できないので死刑によって社会から排除するのだろうか。
犯罪を起こした青少年は少年院・鑑別所といったところでは矯正教育を受け、社会に復帰する。これは「子供は未成熟な存在であるので教育による更生の余地がある」という考え方に基づいている。そのため刑罰が成人では死刑・無期懲役にあたるような罪を犯した場合にも死刑や無期懲役になることはなかった。しかし、成人の場合には死刑・無期懲役という刑が執行されている。
現在の死刑制度をめぐる議論では様々な意見が出されている。賛成派からは「被害者の処罰感情に応える」や「犯罪への抑止力につながる」といった意見が、反対派からは「一度執行してしまえば冤罪の場合取り返しがつかない」や「もはや犯罪への抑止力にはならない」といった意見が出されている。しかし、これらの意見には他の懲役・禁固・罰金・拘留という刑罰と死刑を同列なものとして扱っていない。なぜなら刑罰には本来、目的を果たすための役割があるからだ。つまり懲役・禁固・罰金・拘留には冒頭で述べたような目的があり、死刑も同様に目的があるということである。現在の死刑制度をめぐる議論では死刑だけを個別に論じ、他の刑罰とはある種別格のようなもとして議論が進んでいる。死刑制度だけではなくその他の刑罰をどのように位置づけるかによって死刑のあり方、その他の刑罰のあり方が定まる。そのことによって総合的な刑罰の在り方が決まってくるのではないか。
私たちは刑罰について自分自身には関係のないものであると考えがちである。被害者として事件・事故にあったことがある人は別として、自分自身が被害者として、また加害者として刑罰と向き合うことになるという想定をしている人は多くはないだろう。私自身も事件・事故の当事者にはなったことがない。願わくは一生、当事者にはなりたくはない。しかし、何が起こるのかが分からない人生であるからこそ刑罰に関する認識をもっておく必要があると思う。