『そこに帰る場所がある』 社会科学部1年 清水健太

私は先日、故郷である愛知県長久手市で、成人式に出席した。
スーツに身を包み、逸る気持ちを抑えながら会場へと向かう。到着すると、会場の外には色鮮やかな人集りができていた。談笑する新成人たちと、会場へと移動するよう彼らに頻りに促している市の職員。その賑やかな雰囲気の中、私は多くの再会を果たした。小学校時代・中学校時代を共に過ごした仲間。恩師の先生方。だがその中でもひときわ嬉しかったのは、一人の「転校生」との再会だった。

彼が私のいたクラスにやってきたのは、中学校生活も残り半年を切った11月の初めだった。
彼は、以前は熊本にいて、そこで喧嘩したりバイクを盗んだりといった「やんちゃ」を繰り返してきたという。熊本では手におえなくなったため、半ば故郷を追われるような形で愛知にやってきたと、こういうことらしかった。
その「経歴」通りといっては偏見になるが、彼はなかなかに「やっかい」だった。授業中の私語などは当たり前。合唱の練習をしている時も、途中から加わったため参加しない彼は他のクラスメイトにちょっかいをかけ、練習を楽しそうに邪魔していた。合唱の仕切り役だった私は、いかにクラスの雰囲気を保つかに苦心した。
そんな彼だったが、元々明るく社交的な性格だったこともあり、すぐにクラスに打ち解けた。卒業までの短い期間ではあったが、毎日をとても楽しく過ごしているように見えた。かつてしていたという乱暴な言動も、クラスでは一度もなかった。
そして迎えた、翌年3月の卒業式。配られた卒業文集をめくっていると、その中に彼の言葉を見つけた。その時私は、彼の本当の気持ちを知った。そこにはただ一言、クラスへの愛と感謝の気持ちが、よれよれの汚い字で書かれていた。
私はそれを読んで、心の底から嬉しさがこみ上げた。彼は、今や彼も含めて「私たち」のクラスを、本当に好きになってくれていた。彼がこのクラスで過ごしたのは、わずかに四か月程度。それでも彼にとって、このクラスは自分の居場所、自分を認め、受け入れてくれる大切な場所となった。彼は故郷を追われた。それでも、やってきた異郷の地・長久手で、いわば「帰る場所」を、手にすることができたのだった。

中学卒業後、彼は就職した。それ以来、彼と会う機会は一度もなかった。だが時折、彼のことを思い出しては、一人心配していた。彼は今も元気でやっているのだろうか、中学時代のまっすぐな心のままでいるのだろうかと。
人は自らのおかれた環境に強く影響される。彼が熊本で「やんちゃ」を繰り返していたのも、逆に長久手で周りの人たちに心を開いたのも、彼がどのような環境におかれていたかに依るところが大きかったと思う。私は、クラスを離れて社会に出たら、また熊本にいた時のように周りの人に背を向け、「やんちゃ」に走ってしまうのではないかと、いつも心配だった。

そして迎えた、今年の成人式。そこで彼と再会して、心配は安心に変わった。
久々に対面した彼は、金髪とサングラス、それに真っ黒なスーツと、通りで会ったら避けてしまうような装いだった。それでも5年前と同じ、明るくまっすぐな彼のままだった。
私は平静を装い、「仕事はどう?」と何気なく聞いた。すると彼は、「おお、ちゃんとやってるぜ!」と頼もしく返してくれた。
きっと、この中学卒業から今日まで色々な困難があったことだろう。中卒者の就職後3年以内の離職率は、大卒者のそれの2倍近く、6〜7割に上る。中卒での就職は、相当に厳しいものであるに違いない。それでも彼は、5年前のまっすぐさを失わず、一生懸命働き続けてきたのだ。
私は、彼をこの日まで支え、走らせてきた最大の原動力は、やはり共に過ごしたクラスの仲間、そして長久手という「帰る場所」だったのではないかと思う。
そこに帰る場所がある。
ただ一緒にいる、ただそこに居るだけで力が湧いてくる、かけがえのない「帰る場所」。
それがあるからこそ彼は、今日まで変わらずにいてくれた。
そんな気がするのだ。

「帰る場所」は、自分が生まれ育った場所である「故郷」とは違う。確かに、多くの人にとって「故郷」は同時に「帰る場所」でもある。私もそうだ。しかし「故郷」だけが「帰る場所」ではない。かつて熊本から転校してきた彼にとっては、たった四か月ばかりを一緒に過ごした仲間、そして長久手こそが「帰る場所」である。あの日彼が成人式の会場に来てくれたことが、何よりもそのことを物語っていた。
人にとってより重要なのは、「故郷」というよりは、それも含めた「帰る場所」なのではないか。「帰る場所」は人の手で創出することができる。「無縁社会」などと言われる今日、社会が求めているのは、「帰る場所」となるようなかけがえのない仲間や場所ではないか。
そんなことを考えるとともに、自分もそんな仲間や場所を創出する力になりたい、と強く思った。そんな再会だった。

式の後、私は彼と写真を撮った。そこで彼は、間もなく父親になること、そして新しい家族のためにももっと頑張って働くのだという決意を、嬉しそうに語ってくれた。
それを聞いて、私も無性に嬉しくなった。そして彼の幸せを心から願った。