「議論するということ」〜倫敦の街角、スピーカーズコーナーより〜 文化構想学部2年 室崎雄志

 スピーカーズコーナーという場所をご存じだろうか。イギリスはロンドンのハイドパークの一角にある、様々な人々が自説を論じている場所だ。ここで演説しようとする人は、イギリス王室への批判とイギリス政府の転覆についての2つを除けばいかなる話題についても、法的問題を気にすることなく語ることができるらしい。

 私は先日ロンドンに行く機会に恵まれたので、このスピーカーズコーナーという場所に立ち寄ってきた。
結論から先に言おう。当日の天候は雨、そして平日ということもあり、残念ながら壇に登り演説をしている人を見かけることはなかった。

しかし、なんだか諦めきれなかった私は折角来たのだからと思い、公園を散歩していた方に勇気を出して話しかけてみた。

「すいません、この辺りが有名なスピーカーズコーナーですよね?」

たまたま散歩をしていた初老の男性は、私のしゃべる下手な英語に、少し驚いた顔をしながらも、笑って答えてくれた。

「ええ、そうですよ。でも今日はこの天気だし演説をしている人はいないようですね。日曜日だったら多くの人がいるんですが。」

思った通りやはり今日は誰も演説をしていないらしい。至極残念であったが、私は泣く泣く演説を聞くことを諦め、お爺さんにお話しを伺うことにした。

「あなたはよくここを散歩されるのですか?よかったらどのようなスピーチが行われているかを聞かせていただきたいのですが。」

「いいですよ。ここでは本当にいろいろな人がいろいろなことをスピーチしています。たとえば神様について語る若者がいたかと思えば、現在の政治の情勢について語る老人がいたり、と本当に様々です。人によっては本当に自分の意見を滔々と述べていることもあれば、聴衆の身の上相談や、聴衆と議論することを楽しんでいる人もいます。本当に見ていて聞いていて飽きないですよ。」
やはりスピーカーズコーナーは噂に聞いていた通りの場所であった。お爺さんの話によれば日曜日には100人を優に超える人々が議論をしているらしい。
ここで、少々気になっていたことを質問してみることにした。

「日本では一般の人々同士が町中で議論する、といったことがあまり見られないのだが、イギリスの人たちはこういった場所で演説したり議論したりすることが恥ずかしかったりはしないのでしょうか?」

「どうだろうね。私たちにはこういったスピーカーズコーナーがあるから誰でも演説できるだけかもしれない。ロンドンの街中で演説している人はそんなに見ないしね。でも私はこういった場所があっていいと思うよ。みんなが思っていることを好き勝手言って、そしてみんなと議論できるなんて、素晴らしいじゃないか。」

お爺さんはそう言って
「イギリス人は議論するのが好きなのさ。」
と笑っていた。

確かにイギリス人は議論好きというのはあながち間違っていないかもしれない。同行していた私の友人も、たまたま同じ便に乗り合わせた初対面の方から、「あなたは(政治的に)右の思想をお持ちですか?左の思想をお持ちですか?」と問われ、議論が始まり、その後1時間にもわたって議論が続いたらしい。

 
その後もう少し話しをして、お爺さんは散歩に戻って行かれたのだが、彼の話しを聞いて私はこういったスピーカーズコーナーのような場所が日本にもあってよいのではないだろうか、と思った。

我々雄弁会員もしばしば街頭で演説をさせていただくのであるが、やはり(おじいさんの言うように)100人もの人と街頭で議論する機会というものはなかなか恵まれない。
個々人の言説というのはより多くの人、多くの考えと触れることで練磨されるものだと私は考える。

政治的無関心な人々」の増加が訴えられて久しいが、こういった現状を看破するためにも、我々はもっと人と議論することが重要なのではないだろうか。
日本にもスピーカーズコーナーができたら素晴らしいと思いませんか?


(注:文章作成には細心の注意を払いましたが、文中における会話において、著者の英語力が決して高くなく、また、コラムを書くにあたって編集もしているため、発言者の意図を正確に伝えきれていない個所がある可能性がございます。予めご了承ください。)

<おまけ>スピーカーズコーナーにて拙い英語で演説する著者