『漂流者たち』 社会科学部2年 齋藤暁

大学では学期末を迎え、学生達は試験やらレポートやらに必死になっている。
皆、正直試験なんかよりも、向かって来る長い長い春休みを心待ちにしていることだろう。
僕もそんな学生の一人なのだが、二年間という長いのか短いのか良く分からないが、それなりの期間を経てそれなりに学んできたつもりである。
そんな一学生の僕が、ちょっと皆さんに唐突な質問をしてみたい。

「あなたは、今居場所がありますか?」

あまりにも唐突すぎるこの質問ではあるが、どうだろう。
僕は“ある”と勝手ながら思っている。
幸い、津波で実家が半壊したが家族親戚は皆無事であったし、今もこのサークルの同期や先輩後輩、大学のゼミなど、こんな僕であるが大切にしてもらっていると思うし、感謝している(これも勝手な想像である、ちなみに彼女はいない)。

だが、この二年間で居場所が無い、もしくはあるか無いか曖昧な人たちと僕は出会ってきた。
このサークルに入ったことを契機に、児童相談所乳児院、保護シェルター施設へフィールドワークとして数回足を運んだからだ。
少なくともそこにいる子ども達は、理由は多岐に渡るが家族とは一緒に住んでいない場合が殆どである。

話は変わるが、先日仲の良い先生の授業でドキュメンタリーを2本観た。
1本目はDV被害を受けた母の下で育つ娘の話、2本目は渋谷の家出少女の話であった。
DVは一見、暴力を受ける側だけが被害者かと思われるが、実はそれだけではない。殴られる母親を目前にしたその子どもも、精神的な被害を他大に受けるのである。
その子どもは、DVが原因で鬱になった母親とうまくコミュニケーションが取れない。
「なぁ、褒めて、ウチのこともっと褒めて!!」
娘の言葉である。
次に観た渋谷の家出少女たちは、家族とうまくいかない、学校でいじめられるなどの境遇であった。彼女たちは渋谷の街へ出てきて援助交際をし、バック片手に街をふらつき、時に自傷行為に走る。
そんな彼女たちを救おうとする元暴走族のNPO代表と、彼女たちの物語であった。
彼女たちには、帰る家が無かった。

皆さんはこのドキュメンタリーの当事者に対して、どのような感情を抱くだろうか?
可哀想だと思いますか?それとも甘ったれるなと思いますか?
ここでは価値判断は置いといて、皆さんがどれだけこれらの当事者のことを想像したかを聞いてみたい。

僕は今まで、自らの思慮の浅さ故に軽率な発言や行為を繰り返し、多くの人を傷つけてきた。
ある時から他者への想像力を自分自身意識し始めたが、馬鹿なもので今でも多くの人を日々傷つけている。少なくとも僕はそう思っている。そして、どんなに他者への想像力を膨らませて分かったフリをしてみても、結局すぐにフリだってことがばれてしまう。
そして、その度に痛い目に遭ってきた。
でも、それでもこの営みは止めてはいけないし、絶対やめちゃだめだと思う。
先述したような児童虐待やDV、家出して自傷する少女は実際に起き、存在しているのだから。
そして、これらには共通したものがある。
彼ら彼女らには親密圏という居場所が無い。
日々の無数のコミュニケーションで積み上げられた信頼感。
無条件で私を愛してくれる人のいる空間。
どんなに社会が私を無視したとしても、私を私として認識してくれる人たち。
多少のいざこざはあって然るべきである。
しかし、彼ら彼女らにはそんな親密圏が無い!
本来安住の場所であるはずの親密圏で問題は起き、親密圏からの追放が起きる!
先述のドキュメンタリーの娘の言葉
「なぁ、褒めて、ウチのこともっと褒めて!!」
これは強烈な自己承認への欲求なのです!

また、これら親密圏で生じる問題の当事者は子どもだけではない。
夫婦間のDVに限らず、会社に人生を賭け家族を顧みない父親は家族を無視している。そして、そのしっぺ返しとしてそれまで居場所だった会社からリタイアした後、家に居場所が無いことに気づくケースが近年増えている。家族に相談できずに自殺していく中高年の数は全く減っていない。

親密圏で起きる問題、親密圏から放逐される人々、僕はその人たちを「漂流者」と呼びます。親密圏という家族などの親しい者たちの空間、誰でも親密圏に入れる反面、誰でも居場所を失くした漂流者になり得るのです。
最後にもう一度皆さんに聞きます。
「あなたは、今居場所がありますか?」


このサークルには天下国家を語る人が多いけど、ミクロな、家族や個人の問題を語る人はどちらかと言えば少ないと思う。
でも僕みたいな人間が雄弁会にいてもいいんじゃないかと思う。

新入生へ、もしこの文章を読んで入会したなんてことがあったら、三年だけど遠慮なく声かけてください。

たまたま読んでくださった方へ、最後まで読んでいただき有難うございます。もし何か思う所がありましたら、コメント頂ければと存じます。

あと最後に言わせてください。

僕は人に寄り添って生きていきたい。

そう思います。