『地震のあとに』政治経済学部一年 伊藤直哉

昨年の3月11日、日本は未曾有の大地震を経験した。既に1年半の年月が流れた。当時の記憶が薄れてきている人もいるかもしれない。しかし、私には未だに当時の記憶が鮮明に残っている。なぜなら、比較的身近に放射線の影響が目に見えて存在しているからだ。私は千葉県北西部の「ホットスポット」と呼ばれる、放射線が比較的多く注がれている場所に居住している。先日、近くのショッピングセンターに自転車に跨りながら行った。驚いたことに、その途中にあった公園は除染のために閉鎖されていた。立ち入り禁止と書かれたフェンスが隙間なく公園の周りを取り囲んでいた。その中の芝生だったところには、2メートル近くある植物等の雑草が群生していた。あまりにも非現実的な光景が直ぐそばに広がっていることに愕然とした。このような、震災の爪あと、ひび割れた道路や倒れた灯篭が未だに直されていない状況を見るたびに地震が起きた日のことを思い出す。
地震が起きた日、私は母親と家の一階のリビングにいた。昼食を食べ終えて少し経過した後、普段より長い初期微動を感じた。やや経って、今まで経験したことのないほどの大きなゆれが起こり始めた。家具は揺れ動き、食器がぶつかり激しい音を立てていた。「これは危ない!」家から脱出したほうが良いのではないかという考えが頭に浮かんだ。直ぐに母親に提案したが、消極的な返答が帰ってきた。母親曰く、家を出るときに瓦が落ちてくるかもしれない、と。しかし、落ちる瓦に当たって怪我をするより、家の倒壊に巻き込まれてしまう方が被害は大きいと私は判断し、母親の手を引いて窓から外へ飛び出した。幸い、家が崩れることも瓦が落ちてくることもなかった。実際、家具もさほど倒れなかったことからして、被害と呼べるものは無かったと言ってよいだろう。最近になって、その地震が起きた日のことを考え直すことがある。果たして地震が起きたときに家を脱出するべきなのか、それとも瓦の落下を恐れて家の中にとどまるべきなのか。この答は比較的簡単に見つかった。もし仮に大きな地震が発生したら、直ぐに家を脱出する必要があるということだ。そう考えた理由として、阪神大震災の住宅倒壊の話を知ったからである。阪神大震災の発生で多くの家屋が倒壊した。この地震はゆれ方が特徴的で、家屋の倒壊にかかった時間はゆれ始めてから10秒に満たなかったものあるという。つまり、家を出るかどうかを迷っている時間がない場合もあるということだ。ここにきて私は地震に備えてある程度の知識と対策を考えておく必要があるという考えに行き着いた。先ほど出した例の場合、個人でできる範囲の対策として、家を最短で脱出でき、瓦が落ちてくる心配のない窓から脱出できるルート考えるといったことがあげられる。
高い頻度で震度4程度の地震を経験していて、地震というものに恐怖を抱いておらず、東日本大震災が起こる以前は地震を甘く見ている自分がいた。地震の恐ろしさを目の当たりにしてようやく、予測することが出来ない地震の発生に備えて、どんな小さなことでも良いので対策をしておく必要性を認識した。そして、「いざは常なり」という表現があるように、常日頃から防災意識を持つことで、いざ地震が発生したときに混乱や誤った判断をすることを防いで難を逃れることが出来るのではないか。
 日本は世界的に見て地震の発生が多い。地震だけではない、火山や台風等の災害も多い。戦争や飢餓などにより一度に多くの人間がなくなることの無い日本は一見すると平和に見える。しかし、ふとある時には先の大震災のような事が発生してしまうことを肝にとどめ、今を生きていられることに感謝して日々自覚的に生きていこうと思う。