「神通力」

法学部2年 小島和也

私が幼いころ、宗教深かった祖母から聴かされた言葉が今になって思い出される。
数多くあるこの言葉の解釈の中に「他心通」というものがある。これは簡単に言えば「人を見て法を解け」というような意味であり、俗人には俗人に合った比喩で、修行僧には彼らにあった言葉で真理を解いた宗教家を形容して出来た言葉である。
確かに、相手の思うところすべてを知って、それに合った言葉を述べるなんてことは不可能なのだけど、毎日の何気ない関わりの中で“気を付けたい”と思う言葉である。
今春から新たに初めたバイトで、家庭教師をやっているのだが、私と5歳ぐらい離れた子供の話を聞いたり、その子供と話をしたり―――――彼らとの係わり合いの中で、この昔聞いた言葉をとりわけ思い出した。
最近、同じく家庭教師をやっている友達から「返答に困った質問の話」を聞いた。
「俺ね、“いじめ”の無い学校が第一志望!!」
彼は、心の中で
「どこの学校でも“いじめ“はあると思う・・・」
と思いながらも
「そっか〜、じゃあ偏差値が同じような子が集まる学校を目指そうよ!」
と言ったそうだ。最近の多くのいじめの事例を見てみると、それぞれ個別具体的な原因が存在しており、原因を一つのものに特定することができない(特定してその他に当てはめることが出来ないOR当てはめにくい)という特徴がある。その中でもあえてどの事象にも当てはまる要素を考えてみると、ほんの些細な性格や容姿やしぐさや学力など、差異がいじめの対象となっているようだ。差異の少ない状態にするという意味では、友達の家庭教師がふいに発した言葉にも一理あるのであろうか。。。
ところで問題は、彼自身は偏差値の高い学校を目指すという目的のために子供の家族から雇われているということである。だから彼自身返答に困ったのだ。
もし、子供の不安や関心が「偏差値」にあるのならば彼の第一声は「偏差値68の学校が良い」というものであっただろう。
もし本当に、子供の不安や関心が「いじめられないようになる」ということならば、なぜ友達は家庭教師に雇われたのであろうか?なぜ母親は家庭教師を雇ったのであろうか?
こんな不思議を感じながら
もし誰かが子供の関心を親に伝え、もし私が雇われ、同じ質問をされた場合、どのように答えるか想定してみた。
「そうだな〜、世の中にはたくさん人がいるから価値観の合う人もいるよ。その中で、色んな人がいることを知りに行こうよ、今度一緒に。そうすれば“いじめ“がない学校に行けるかもね。」