『3.11を思う』社会科学部2年 齋藤暁

2011年3月11日14時46分
宮城県沖を震源とする東北地方太平洋沖地震が起きた。
僕の故郷はもっとも被害の大きかったと言われる宮城県気仙沼市の鹿折地区である。

あの日僕は東京にいたのだが、地震が起きた瞬間、直感的に思った。
「宮城にきたかもしれない。」と・・・

その直感は残念なことに的中してしまった。
その数十分後、大津波気仙沼を襲った。
テレビやネットを通じて地元である鹿折地区を見たが、至る所に瓦礫があり、最寄りの駅前には300トンのマグロ漁船がポツンと置かれている。
幸い家族は無事で、我が家の方は1階が浸水し、家財は泥まみれ、今は津波の心配の無い山の方へ引っ越している。
僕自身、まだ気仙沼には帰れていないが、先日ボランティアで宮城県石巻市へ行ってきた。
気仙沼には5月か6月に帰る予定である。


さて、地震後の経緯を話したところで、一度気仙沼という土地の話をしてみようと思う。

気仙沼は非常に不便な街だ。」

県庁所在地の仙台からどんなルートを使っても2時間はかかる。
宮城県の人間は「陸の孤島気仙沼」と揶揄することもある。
なんせ仙台東京間が新幹線で2時間を切る時代だからだ。
この不便さ故に、地震後も支援が遅れていたと聞く。

若い人にとっても住みやすい土地とは言えない。
大学や専門学校に進学するには必ず気仙沼を出なくてはならない。
就職先も無いため、皆気仙沼を出ていく。
そして、気仙沼での就職は決して魅力的では無いが故に、大学を卒業しても帰ってくることはない。
僕の中学の同級生は80人いるが、10人も地元に残っていないはずだ。
僕に至っては、家族の理解もあってか中学を卒業して早々と仙台へ出て行った。
この現実は、僕の出身中学だけの出来事では決してないはずである。
むしろ、この現実は気仙沼に限らず日本の地方の市町村で起きていることだと思う。
中でも、気仙沼は県庁所在地である仙台から極端に離れた場所故に、若者の流出が他の市町村より激しい。

高齢化も例の如く進行中だ。
たまの休みに帰省しても、至る所で見かけるのは年配の方々ばかり。
若い人を見るなら、まぁジャスコにでも行けばよいところだろうか。


勢いで書き連ねたが、これらは事実である。

ここで話を津波以後の話に戻そうと思う。

時間ばかりが過ぎていき、津波から早くも1か月半が経ってしまった。
ボランティアで行った石巻では既に復興し始めている光景を見ることができ、妹との電話からは中学校が始まったとの報告もうけた。
僕自身募金活動もしており、復興は皆の力で僅かではあるが一歩ずつ、一歩ずつ始まっている。

しかし、落ちついたここ最近で復興とは何かを考えるようになった。

元の気仙沼に戻すことが復興だろうか、聞くところ10年近くかかるらしい。
復興のコストも当然かかるが、僕がふと思ったのは先述した気仙沼の話である。
元の気仙沼に戻すことは即ち、先述した問題をもそのまま復元することになるのではないだろうか。
気仙沼はまだある程度の人口がいるが、近隣の自治体の中には先述の問題がさらに酷いところもある。
自治体の病院も老人しかいない。

「このままあの寂れた街を造り直して良いのだろうか。」

毎日考える。
例えばコンパクトシティのように、都市機能が充実したところに近隣自治体を移転(集落移転)させたほうが良いのではないのか。
若者が住めるような街づくりをしてこそ、復興ではないのか。
それこそ、コストをかけて取り戻すべき街なのではないのか。
元の街に戻しても、いずれ自治体として機能しなくなる日が来るのではないのか。
僕は早々と気仙沼から出てきた人間だが、気仙沼がやはり好きだ。
そして、好きであるならば、今後も持続するような街であってほしいと思う。

だがこれらの考えを実行した時、今まで住んでいた土地を追われる人、今まであった景観や伝統が無くなる可能性がある。
目に浮かぶ爺ちゃん婆ちゃん達の反対の声。
幼い頃を過ごした町が無くなる、若しくは変わってしまうことへの哀しみ。

そんな人たちを想像すると、街を造り変えろとは言えなくなる僕がいる。

ただ、ただ僕が思うに、僕にとっての故郷への思い出は、勿論海や山に囲まれた自然もあるが、本当に僕にとっての思い出は、家族や親戚、友人や恩師と過ごした一定のコミュニティにあったのではないかと思う。
還る場所は、気仙沼という地ではなく家族なのではないかとも思う。


まだ、自分自身の答えは出ていない。
勿論簡単に出せる答えではない。

しかし、どう復興するか決断する時は案外すぐそこに迫ってきている。

皆はどう思うのだろうか。

現実に目を向けて考えてほしい。
今後、気仙沼をどうしていけばよいのか。


気仙沼、産まれて15年住んだ地
気仙沼、海と山に囲まれた自然
気仙沼、中学時代毎日走り回った漁港
気仙沼津波に飲まれた瓦礫の街

気仙沼、我が故郷