「新しいまち」政治経済学部 一年 齊藤雄大

 番号が割り振られたトラックが閑散とした道を行き交っていた。そして、多くのショベルカーが、土砂を積み上げる作業を進めていた。あの日から、4年半以上が経った今、被災地の人たちは何を考えるのだろう。
私は、今月初旬、岩手県陸前高田市を訪れた。3.11の津波の被害を受け、市内のほとんどが荒野となった場所だ。滞在していた2日間は、天気も良く、防寒のために持って行っていたコートもリュックの中から出すことはなかった。復興公営住宅の建設、住宅の高台移転、道路の拡張工事など、新しいまちとしてのスタートを切るべく復興工事が進められていた。いたるところに、大きな看板に大きな文字に“新しいまち”という文言が掲げられていた。

では、“新しいまち”として目指すべき姿とは、どのようなものだろうか。当然、防災というキーワードは重要になってくるであろうが、それだけではない。震災によってさらに深刻化した人口流出、少子高齢化、老朽化や、産業の基盤である漁業がしやすいまちづくり等考慮しなければならない要素は、数え切れないほどある。しかし、これらの問題を抱えているのは被災地だけでない、日本各地の地方都市で同様の問題を抱えているのだ。そして、その解決策の一つとして、進められているのが、コンパクトシティである。コンパクトシティとは、行政機関はもちろん、民間企業のオフィスや商店、そして、住宅までも比較的近距離や主要道路沿いに集めることによって、インフラの設備や公共交通機関の効率性を上げようとするものである。このコンパクトシティ政策を積極的に進めている自治体の一つが、北海道の夕張市だ。

ご存知の通り、夕張市は、2007年に財政破綻し、財政再建が必須となっていた。そこで、新しく市長となった、元・東京都庁職員の鈴木直道氏は、コンパクトシティ政策を中心にまちの再建に取り組んだ。その際、補助金や新しい住居の確保など、様々な支援策を講じたが、住民の反発は大きかったという。先祖代々受け継いできた土地を離れたくない、もう何年生きられるか分からない人生なのに、思い出の土地も奪ってしまうのかと。しかし、現在では、鈴木氏の交渉もあってコンパクトシティとして一定の効果を上げている。その詳細については、ここでは言及しないこととする。今回私が訪れた陸前高田市は、市街地のほぼ全域が、津波の被害を受けたため、ゼロベースのまちづくりを行うことになった。そして当初コンパクトシティ政策を中心にまちづくりが、行われていた。防災の観点から見ても、行政機関や住宅が集中していた方が効率的に防災計画を講じることができる。しかし、現在では、コンパクトシティそして、津波からの保護を重視した防災計画も行っていないという。ではなぜ、陸前高田市の政策方針は、変更されたのだろうか。それは、住民の強い意思だったという。陸前高田市として、まちづくりを行う際に、住民の意見というものを重視した結果、政策方針が変わったのである。

民主主義国家である日本において、政治が、住民の意見を重要視するのは、当たり前かもしれない。しかし、まちの将来を考えたとき、政治が住民の多数派と意見が異なっていたとしても、政治家が自らの方針を打ち出していく必要もある。陸前高田市では、実際に行政の職員が、実際の多くの家(その多くが仮設住宅)を訪問し、住民の声というものを聞いて回ったのだ。そして、防災計画に関しても、やはり水産業中心のまちとして、海と共に生活していきたいという住民の意思を反映し、堤防等で津波の脅威を防ぐという守りの計画ではなく、有事の際にしっかりと避難できるようにしていく防災計画を作ったのだ。具体的には、道路の片道4車線化や避難所、避難経路の整備、拡充である。そうして、震災からのまちづくりというものに、真に住民の意思が反映されることにより、住民の復興からのモチベーションや行政への信頼というものにつながっていったのは間違いない。震災の荒野から、立ち上がるためには住民と行政が一体となっていくほかないのである。そして、この陸前高田市の取り組みは、他の自治体としても、“前例”として活用していくことができる。首都直下型地震南海トラフ地震、いずれも予測ではあるが、甚大な被害が予測されている。その対策を講じる際に、住民の意見を直接ヒアリングするというプロセスをやはり重視すべきである。前述の通り有事の際に、行政と住民がいかに協力していけることが、復興計画を円滑に進めていくための最重要課題となるのである。そのために、今回の陸前高田市の“前例”をもとに、事前協議の段階から、住民参加型のまちづくり計画を行うものである。それによって、いざ有事の際にも、住民側も何を次にすべきかを共有していることで迅速に行動をとることができるのである。

そもそも、住民が助けられる側で、行政が助ける側ではないのである。住民の代表が、行政であり、この場合で言えば、地方自治体なのである。震災から、4年半以上経った、復興は道半ばであるが、震災当時の混乱はすでに終息している。被災地をこれからもしっかり見つめていくとともに、被災地の復興と自分たちのまちを見比べながら、自分たちのまちのことも見つめ直さなければならないと思う。自分たちの命と、このまちを守るために。





<復興のシンボル・奇跡の一本松>(筆者撮影)