『SNSにおける言説』 政治経済学部1年 井守健太朗

SNSというものをみなさんはご存じだと思う。Social Network Serviceの略称であるSNSは、インターネット上において、リアルタイムで国境を越えて多くの人と繋がることが出来るツールとして、多数の現代人が利用している。代表的なものとしてTwitterFacebookが挙げられる。インターネットメディア総合研究所の調査によると、インターネットユーザーのおよそ半数がSNSを利用しているのだ。
アラブの春」とも呼ばれた中東の民主化運動でも用いられたのがこのSNSであった。多くの民衆はSNSでの活動家の呼びかけに答え、集まり民主化を訴え、時の政権を打倒した。余談だが、ジャーナリストの津田大介氏はこの現象を「動員の革命」と呼んでいる。政治運動に限らずとも、SNSでは記者会見の生放送なども行われ、キャパシティー1000人の会場で行われる記者会見を何万人もの人々がリアルタイムで見ることもできるのだ。これらは、SNSの「動員の革命」的要素を端的に表している事例である。
また、もう一つのSNSの特徴として「情報の速報性と拡散性」が挙げられる。私の記憶に鮮明なのは、2011年に日本を襲った東日本大震災での出来事だ。当時、予備校の自習室で勉強をしていた私がふとTwitterにアクセスして見た光景は、惨憺たるものであった。迫りくる津波の画像、また津波に襲われた後の被害の画像などショッキングな画像がTwitterで3月11日の17時ごろには見ることができた。しかも、リツイートと呼ばれるTwitterのツイート(つぶやき)拡散機能によって、まったく交流のない震災の被害を受けたユーザーの震災に関わる情報を私は見ることができた。このように、Twitterにはどこのメディアよりも早く、現地の方々が切羽詰まる状況で撮った生々しい画像が上げられ、私はどのメディアを使うよりも早くTwitterというSNSを用いることで東日本大震災の被害状況を確認することができたのである。
冒頭でも述べたように、現在SNSを利用する人々の数の割合は高く、また利用者も未だ増加中である。しかも、先述した2つのSNSの特徴は、特に言論活動を行う政治家や思想家にとっては有用なものであり、実際SNSを利用するこれらの人物は多く見受けられる。例えば大阪市長橋下徹氏はTwitterで新聞社や有識者と激しい議論を行っている。
しかし、ここで一旦立ち止まって考えたいことがある。それは、私たちは言説に責任を持たなければならないということである。確かにSNSを用いることで私たちは気軽に情報を発信し、それを瞬時に多くの人に見てもらえるようになった。私たちの言説・行動は可視化され、場合によってはそれが拡散されることもあり、見ず知らずの人々の目にも晒される。だからこそ、SNSでの言動に対して慎重にならなければならず、また責任を負わなければならないのだ。
例えば政治活動は、それをSNSで発信すれば、日本人だけでなく海外の人々の目にもとまる。そして、それは海外のSNSのコミュニティの中で良くも悪くも「日本人がやったこと」として取り上げられ評価を受けることとなる。影響力がある人物ならなおさらである。しかも、瞬時に多くの人々に拡散された場合、一度誤解が起きたり不正確な部分が露呈したりした場合、その言説をなかったことにするなど不可能なのである。
SNSというツールは、識者によっては「メディア革命」と呼ぶ人がいるほど社会に影響を与え続けているものである。もちろん気軽にSNSで交流の幅を広げ、見知らぬ人とコミュニケーションを取れることは魅力的である。しかし、私たちは自分の言動が「しっかり見られている」ことを意識するべきなのではないだろうか。他のネットコミュニティの監視に常に晒されているのであり、そのコミュニティは日本に限らず世界中に存在するのである。そういった場所で安易な言動を取ることは命取りと言える。
最近は日本だけでなく海外においても、SNSにおいて安易な言動が行われる事例が散見される。そして、そのことが予想だにしなかったナショナリズムにつながることや、国家単位で思わぬ誤解を招くにまで発展することもある。SNSは実際これまで述べてきたような魅力的な特徴が存在する。しかし、私たちは今一度、自分の言説に責任を持つことを意識して情報や言動を発信するべきなのではないだろうか。それによってSNSの有用性はさらに増す、と私は考える。
私が所属する雄弁会は一定の影響力を持つ団体であり、ことさら社会に関する言説を発信する団体である。実際、このように今、ブログという形で私も言説を発信している。また、会員の行う弁論の原稿というものも雄弁会HPに掲載されており世界中からアクセスが可能である。SNSほど即時性のあるツールではないが、ネット上で言説を発信している点では一緒だ。ゆえに、一雄弁会員として、私は自分の言説により一層深みを持たせ、世界の目に晒しても恥ずかしくない言説を発信していきたい。