『私って何者』文学部一年 新谷嘉徳

「私って何者。他人って私とどう違うの。そもそも人間って何。」このように考えたことのある者は少なくないと思う。私も例外ではなくその問いと長い間付き合っていた。私がその疑問を抱くようになったのは小学生からだと認識している。小学生時代から考えるようになったのは事実ではあるが答えは出る気配もなくいつの間にか中学生、ついには高校生になっていた。「その疑問は時が解決してくれるだろう」という甘い考えは通用することはなかった。結局一層深刻になったのである。そして高校生のある日病気になってしまい何日か保健室生活を余儀なくされるのであった。余談ではあるが私が通った学校は全寮制で保健室しか行き場はない。この問いは私を生きづらくしている大きな要因である。この疑問に対立して願うことがある。それは「自分らしくありたい」ということである。この願いを叶えるべく私はある人生で最大の決断を行うに至った。それは渡仏である。中学一年生からトゥールに隣接するサン=シール=シュール=ロワール市にある全寮制の日本人学校に通うことになった。小学生の頃に感じる生きづらさ、居心地の悪さの原因は親の考えを押し付けられる環境にあったと考える。私はその環境に嫌気がさし強く親離れを望むに至ったのである。もちろん渡仏することによってその生きづらさも和らいだ。しかし解決するかに見えたもののその感情は再びやって来ることとなった。今度は親ではなくクラスメイトとの関係によって発生したのである。20人程度で構成されるクラスで彼らは異なるバックグラウンドを持ち異なる性格を有している。彼らと過ごすとなると私はこれまた居心地の悪さ、生きづらさを感じるようになる。もちろん全員ではないが、ほとんどのものとは関係が築けない。いや関係は築けているのだけれども何か物足りないような共感できない部分があるといった方が正確だろう。そのモヤモヤ感を打破するに彼らの色に染まろうと努力したのである。思ってもないことを発言したりと、とにかく周りと合わせていた。根拠はないがいつかはそうすることによって解決の方向性を見いだせると考えていた。けれども結局モヤモヤ感は無くなることもなく次第に増大する羽目になってしまった。
この経験から言えることは合わせる必要がないのではないかということだった。少数でも気の合う仲間だけでいいではないか、無理に合わせる必要はないのでは、そう答えを出すことによって居心地の悪さ、生きづらさはいつの間にか消えていたのだ。結局「私って何者」と悩む必要はないと思う。私は言いたい。気の合う仲間を大事にするべきだと。もちろん仲間以外にも家族や恋人も有り得るだろう。そして私は思うのである。「私って何者」という疑問は彼らが解決してくれるとともに自然と決定づけてくれると。自分に問いかけても答えはない。自身の存在意義、自身の評価は他人を通して初めて知ることができるのである。私は少数ながらも気の合う仲間を大切にしていきたいと思うとともに一回目のコラムをこれで終わらせて頂く。