『「千と千尋の神隠し」が教えてくれるもの 〜Good human relation 僕らの胸にも髪飾りを〜』社会科学部2年 日下瑞貴

1 初めに
以前は、スタジオジブリから「『天空の城ラピュタ』が教えてくれるもの〜anastorophe崩壊へ〜」とサンライズから「『コードギアス反逆のルルーシュ』が教えてくれるもの〜虚構の世界から、ポストモダンの動物たちへのメッセージ〜」と題したコラムを書いた。 
ラピュタでは、なぜラピュタが崩壊へと向かっていたったのか、ラピュタが我々に投げかけた問とは何だったのかを検討し、「手前の技術に猛進し、地を離れた我々の罪」、「その結果としての崩壊」との解釈を行った。
コードギアスでは先のラピュタの問いから現代社会に対する考察を、東浩紀の『動物化するポストモダン』と絡めて行った。「現代社会は量的消費を行う動物的人間が支配する世界」と一応の結論を出した。その最後で私自身の価値から、疑問を呈したのが前回のコラムまでである。(興味があれば遡って読んで頂きたい)
今回は、スタジオジブリ制作「千と千尋の神隠し」から聞こえてくる静かで温かなメッセージに耳を澄ましてみましょう。


2 物語のあらすじ
本題に入る前に作品のあらすじを記しておこう。
物語の主人公、荻野千尋(おぎのちひろ)は10歳の女の子です。引越しの途中迷い込んだトンネルの向こうは不思議な町。迷い込んだ不思議な世界で、千尋の両親は断りもなしに勝手に料理を食べ、豚になってしまいます。千尋不思議な少年ハクに出会います。千尋はハクの助言に従い、急いで川まで戻るが、川は増水しトンネルの向こう(元の世界)へ戻ることはできません。ハクの助けにより千尋は、油屋(ゆや)の経営者であり、魔女でもある湯ばぁばの下、荻野千尋ではなく「千(せん)」として働くことになります。千は不思議な世界の中で、ハクや同僚のリン、釜爺(かまじぃ)達に助けられ、また千自身の努力、勇気、愛で、様々な困難を乗り越えていく。不思議な世界での経験を通じ、千は(内面的に)成長し、千尋として両親と伴に元の世界に帰って行く。


3 伝わるメッセージ
この作品からは千尋や湯ばぁばの息子、坊に見られるよう「経験を通じた子どもの成長」や千尋の両親やネズミに変えられた坊に気付かない湯ばぁばなど「盲目的(動物的)な大人」、油屋に訪れる八百万の神から見えてくる「現代の神」、油屋で働く女性が風刺する「成長の陰にいる女性の姿」など実に多くの観点を持っている。語っても語りつくせない名作なのだが、紙幅の都合上その全てを語ることはできない。
そこで今回は、幻影のような体に仮面を被った化物「顔ナシ」に注目し、千と千尋の世界で展開される人間関係を中心に、作品を読み解きたい。


4 千と千尋の世界
物語の場面はトンネルの向こうの不思議な世界。不思議な世界はテーマパークの残骸のような様相を呈しており、千尋の父曰くバブル崩壊と伴に破綻したものらしい。高度に資本主義化した社会で、人々が心のゆとりを失った時代の遺産、そんな雰囲気が漂っています。
この世界で、「荻野千尋」という代替不可能な一人の人間は「千」という数字、人から数へと変化します。湯屋の出勤帳を見ればわかりますが、必ずしも数字でなくてもよいのですが、基本的にひらがな二文字、ないし、漢字一字の、便利な呼び名があてられます。この世界で存在価値とは労働であり、人は人であるが故に価値があるわけではない。存在は目的ではなく(労働のための)手段なのです。一人のかけがいの無い人間が、一つの資源として扱われてしまう、そんな世界です。
さて、そんな世界に出てくるのが顔ナシです。顔ナシ、「顔」が「無い」存在です。おそらくはその見た目から誰かが命名したのでしょう。顔ナシは顔が無いだけではなく、名前すらありません。黒い幻影のような胴体、歩くときにだけ薄らと現れる肢体、顔の部分には無機質な仮面、口は仮面の下に、声すら出ない。顔ナシが登場する場面を順に追い、そこに込められた意味を私なりに解釈したい。


5 顔ナシと千〜無条件の承認と他者の存在
顔ナシが初めて登場するのは、千尋とハクが豚になってしまった両親に会いに行く途中の橋の上です。千尋は顔ナシに気付き会釈をしますが、ハクには顔ナシが見えていないようです。
千尋が桶の水を捨てようと引き戸を開けると、雨の中に佇む顔ナシを見つけます。千尋優しく、「そこ濡れませんか?」「ここ空けときますね」と声をかけます。千尋の優しい声に引きつけられるように、顔ナシは油屋へと足を踏み入れます。
千と同僚のリンは大きくて汚い大湯の掃除を命じられます。あまりに汚れがひどいため、千尋は番台に薬湯の札を貰いに行きます。しかし、番台は千に薬湯をくれません。その時顔ナシが背後からスッと現れ、札を渡します。
千が掃除に戻ると再び顔ナシが現れます。顔ナシは大量の札を千に渡します。「千が必要としているものを渡したい」とも「千の役に立ちたい」どちらとも解釈できます。千に「そんなにいらない」と断られると急に哀しそうな顔になり消えてしまいます。銭ぃばが「魔法でつくっちゃ何にもならないからね」と言うように、代替可能な役立つ物で関係を築こうとしている顔ナシには、決して良い人間関係は築けないでしょう。
次に千と顔ナシが顔合わせするのは顔ナシが食料をむさぼりつくし、金をまき散らしているシーンです。顔ナシは千に大量の金を差し出します。この場面に注意が必要です。この時の顔ナシは湯屋のカエルを飲み込んでおり、これ以外の場面ではカエルの声を使っています。しかし、千にだけは自らの声にならない声で語りかけます。なぜこの場面だけ敢えて聞き取りにくい自らの声を使うのでしょうか。誰にも気づかれることなく一人で生きてきた顔ナシの存在に気付き、雨に濡れる顔ナシに気を使ったのも千でした。顔ナシの存在をなんの目的も持たずに認めてくれた千。彼女にだけは自らの声で語りかけたかった。これが顔ナシの本意ではないのでしょうか。
さて、千に再び認められなかった顔ナシはさらに荒れ狂い、使用人の二人を飲み込み、どんどん大きくなっていきます。「千はどこだ!千を出せ!」と要求するその勢いはあの湯ばぁばでも手に負えません。
千は顔ナシの部屋に呼ばれます。いくら御馳走を食らおうが、大人数にもてはやされようとも、決して顔ナシは満たされない。単純に自分を認めて(承認して)くれた千を欲するのです。
顔ナシは千に「金を出そうか、何が欲しい」と千からの要求を求めます。千凛とした顔つきではっきりと言います。「あなたは来たところに帰った方がいい。あたしが欲しい物はあなたには絶対出せない。」
そして川の神様にもらったニガ団子を食べさせます。顔ナシは暴れまわり、食べた物を吐き出し、小さくなり、最後にカエルを吐き出し、声も失います。ニガ団子のおかげで、元の顔ナシの姿に戻るのです。
ハクを助けるため、千とネズミにされた坊と小鳥にされた湯バードと顔ナシは銭ぃばの住む6番目の駅、「沼の底駅」へと向かいます。千に「おいで、おとなしくしててね」と優しく言われた顔ナシは黙って千の横に座ります。あれだけ暴れまわっていたのが嘘のようです。泣いた赤子が母に抱かれ静かになるのとなんだか似ている気がします。窓外を眺める千の眼差しには、10歳の女の子とは思えない程の芯があります。
銭ぃばの家に着き、千はハクの犯した過ちについて謝り呪いを解いてくれとお願いします。(実は千の誤解であり既に呪いは解けているのですが)。食事を済ませた後はみんなで髪飾りを編みます。顔ナシは銭ぃばに教わりながら自分の手で糸を紡いでいきます。千は「こうしている間にもハクが死んでしまうのではないか」と不安に思い、帰りたいと言い出します。
その時強い風が吹き、ハクが千たちを迎えに来て皆で油屋まで帰っていくシーンです。
銭ぃばは顔ナシに言います「お前(顔ナシ)はここにいな、私の手助けをしておくれ」と。「あ・あ・あ」顔ナシは笑い、静かに首を縦に振ります。
顔ナシは一体何が嬉しかったのでしょうか。この時の顔ナシは物語中で最も幸せそうな顔を浮かべます。「ここにいな、手助けをしておくれ」たったこれだけの言葉が、何をしても満たされなかった顔ナシの心を満たしてくれています。何が出来るわけでも、何かを持っているわけでもない。特別なことなど何もありません。ただ顔ナシを顔ナシのまま承認し、必要としている。たったそれだけを伝える言葉です。されども、顔ナシが最も求めていたものは正に「他者から無条件に承認される」、たったこれだけのことだったのです。だからこそ、何をしても満たされることのなかった顔ナシは、千に惹かれたのだし、その心は今ここで初めて満たされたのです。
我々は普段様々な立場で生活しています。顔立ちも性格も人それぞれです。しかし、どのような立場にいようとも、その人がどのような人であっても、その人がその人というだけで、受け入れられる、それが「他者から無条件に承認される」という意味です。
監督の宮崎駿は「顔ナシは誰の中にも存在する」、こう言っています。誰しもに多くの金銭や贅沢な食事を望む気持ちはあるでしょう。それは決して悪いことではありません。ただ、それが行き過ぎてしまうと自分を見失い、本当に必要なものが何か分からなくなってしまう。そして人を幸せにとって欠かすことのできないのが、自分と同じくらい尊い「他者の存在」、「他者からの存在の肯定」ではないのでしょうか。顔ナシは、当たり前過ぎて普段は忘れている、本当に大切なものを思い出させてくれます。


6 心の一部としての髪飾り
物語の最後、千尋は両親と元の世界へ帰ることになります。ハクは千尋に「トンネルを出るまで決して振り向いてはいけないよ」と告げる。ハクとの別れを不安に思いながらも千尋は元の世界へと帰っていきます。
しかし、千尋はやはり不安になり、つい後ろを振り向きたい衝動に駆られます。その時、銭ぃばからもらったお守りの髪飾りが輝きます。千尋は勇気を持ち直し、振り向かず、再び前に進みます。トンネルの入り口でまた振り向きたい衝動に駆られます。その度に、髪飾りは輝きます。千尋を励まし、勇気づけてくれるのです。銭ぃば、顔ナシ、坊、湯バード、みんなで紡いだ糸は千尋の心とつながり、千尋を助けてくれる。そんな意味が込められている気がします。
確かに千尋は経験を通じ成長し、顔つきも大人っぽくなりました。しかし、それでも不安なのです。いくら年を重ねようと経験を積もうと自分だけではどうにもできないことはあります。どんなに苦しくてつらくとも純粋に自分ひとりだけで生きていける、そんな超人は果たして存在するのでしょうか。
つらく苦しい時に助けてくる存在が自分以外の他者であり、この場合は髪飾りです。千尋が一人で不安に押し勝ったのではなく、みんなが心で支えてくれた、それが輝く髪飾りが示すものなのではないでしょうか。決して目に見える形でなくても良い。他者との関係性が心の中でも連続している。髪飾りからはこのようなメッセージを感じ取れます。
千と千尋の神隠し」を観ていると心底胸が温かくなります。千尋やハク、湯ばぁば、銭ぃば、そして顔ナシ。彼らから僕が受け取ったメッセージを少しでも共有出来たなら嬉しく思います。
これからも千尋が不安になる度、髪飾りは輝き、千尋を励ますことでしょう。決して見えなくても心の中で。
髪飾りは最早、千尋の心の一部として千尋を励まし続けるのだろう。
Good human relation. 
僕らの胸にも髪飾りを。