『想像力の創造』  国際教養学部1年 尹世羅

 「ドアが閉まります、ご注意ください。」
プシュー。ドアが閉まるのとほぼ同時に、私は山手線の列車に飛び乗った。弾んだ息を整えながら、座れる席はないかとあたりを見回す。だが、あいにく席はすべて埋まっていた。

 「ちぇっ、この時間だったら座れると思ったのに。」
と、その時、不思議な光景が目に入った。大きな荷物を持った、腰の曲がった白髪の老人が優先席の前で立っていたのだ。そして、その老人の目の前には、二十代と思われる若者が音楽を聴きながら、携帯電話を片手に平然と座っていた。

 確かに、日本には優先席を譲らなければいけないという法律はない。しかし、法的義務がないとしても、高齢者や妊婦など、優先席を必要としている人たちに席を譲るのが人間として当たり前の行動ではないだろうか。
私はその若者に席を譲るよう促すために声をかけようとする。しかしその瞬間、ある先輩が私に対して言った言葉が頭に浮かび、でかかった言葉をつばと一緒に飲み込んだ。

 「道義だけで人は動かない。メリットがないと人を動かすことはできないよ。」
その先輩の考えでは、人を説得するには、その人にとってのメリットを見出すことが必要だということらしい。そこで私は、この若者が優先席を老人に譲ることでどういうメリットがあるのかを考えてみました。しかし、いくら考えても、人に親切にしてうれしい気持ちになるということ以外は思い浮かばなかった。ましてや、経済的メリットなんてもってのほかです。
 
 では、この人に席を譲らせるように説得するのは不可能なのだろうか?

 こんなことを考えているうちに、電車は次の駅に着き、その老人は電車を降りてしまった。しかし、その後も、どこかすっきりしない気持ちと疑問が残った。

道 義だけで人は動かない。自分に直接関係あること、自分にメリットがあることでないと人を説得することはできない。といいますが、本当に人間は自分の私利私欲のためだけに行動する生き物なのでしょうか。私は違うと思います。もしすべての人たちが自分のことしか考えていないとしたら、世界に数多くあるボランティア団体や多くの募金が集まるユニセフの存在はどう説明することができるでしょうか。自分の利益のためではなく、他者の生命、人権を守るために行動している人はたくさんいる。たとえば、国境なき医師団の人々は、自国での安定した収入を捨て、紛争地帯などの危険な地域に赴き、人種、宗教、政治にかかわらず、病気で苦しむ人々を分け隔てなく救い続けている。

 このような博愛精神を持った人々は世界に数多く存在します。NGO・NPOの職員や人々の幸福のために社会変革を目指す雄弁会員がその顕著な例です。

しかし、現状ではそういう「他者への思いやり」の気持ちが欠けた人が多くいるのも事実でしょう。今朝見かけた若者もそうですが、そういう人々はなぜ自分のことしか考えられないでしょうか。

 それは、他者の痛みや苦しみを理解しようとする「想像力」の欠如からきていると思います。もしあの若者に、高齢者が電車の中で立ち続けるつらさを「想像する力」があれば、迷わず席を譲っていることでしょう。
いま世界で起こっている問題のほとんどは、この「想像力」の欠如からきていると思います。たとえば、差別の問題などがそうだ。もし全ての人に、他者との違いを理解し、他者の気持ちを想像する力が備わっていたら、差別からくる紛争や虐殺は起こりえないとおもいます。

 では、そのような問題に「俺は関係ないから、」と興味を示さない人に対して、どのような説得方法をとったらいいのでしょうか。私の考えでは、「タニンゴト」を「ジブンゴト」に変える「想像力」を、人々の心の中に創造することが唯一の道だと思います。そして、その想像力を育てるのに一番有効な道具は「雄弁力」、つまり「言葉の力」です。今も昔も、感動的な演説は人々の頬に涙をもたらし、心を動かす。そのような演説をする人に共通しているのが、人々の良心を刺激する「誠意」のこもった言葉です。

 真の雄弁家。それは、メリットで誘導するのではなく、「誠意のある言葉」で人の心を動かす力を持った人のことだと思います。私はそんな雄弁家になりたい。