『空間についての小考察』 社会科学部1年 清水健太

 去る7月某日の午前、私は目白通りのとあるパティスリーを訪れた。一人きりの、ささやかな誕生祝いである。お店は繁盛している様子で、騒然としない程度にお客がやってきていた。ショーケースに整然と並んだガトーたちは、月並みな比喩だがさながら色とりどりの宝石のようだった。私はそこで、ケーキとコーヒーとを小一時間ほどかけて堪能した。
 
 木の濃い茶色をいかした、落ち着いた雰囲気。その雰囲気に絶妙に調和した、パティスリーには珍しいビートのきいた音楽。ブランデーのきいた、少し大人なケーキとともに、大学や駅前の喧騒とはまるで正反対の、優雅で穏やかなひと時を過ごすことができたのだった。

 ある空間には、その雰囲気にふさわしい服装や活動というものがある。短パンにサンダルでパティスリーに行くのは、どこか憚られる。コンサートホールでは、たとえ自分ひとりしかいなくても、大騒ぎしてはいけないような気持ちになる。ファミレスや居酒屋は、愛し合う者同士の沈黙とは相いれないだろう。空間の持つ雰囲気は、そこにいる人の心情や言動に、大きな影響を与えるのである。

 午後から大学に行き、昼食を取った。とりながら、大学の持つ雰囲気についてしばし思いを巡らす。大学における空間とは、大きくは校舎とキャンパスである。校舎は、新しいものも古いものも、それぞれに意匠を凝らした造りになっている。その内部も、それが集まって作りだすキャンパスも、決して雑な空間ではない。だが、さっきまでを過ごしたパティスリー比べて、気持ちに余裕のない、無機的でプラグマティックな雰囲気であるように感じた。

 自分は大学生として、日々多くの時間を大学で過ごす。勉学に励み、友人と語らい、課外活動に熱中する。だが、これらの活動を包む空間の多くは、機能優先で没個性的なものである。ふとした瞬間、自分の今に思いを巡らしたり、何も考えずに感傷に浸ったりするのには、本来適していない。人には、心の緊張を解き、じっくり自分と向き合うような時間が必要だと思う。大学のような場所にばかりいたのでは、心は知らず知らずのうちに疲弊して、余裕をなくしてしまう。そのように感じる人は恐らく自分だけではあるまい。

空間の方から、人を優雅で穏やかな気持ちに誘う、そんな雰囲気。あのパティスリーで感じたその雰囲気を契機に、特定の空間が醸し出す雰囲気、それが人に及ぼす影響の大きさと、活動に応じ適切な空間と雰囲気を選び取ることの大切さを感じた一日であった。