『リーダーのあるべき姿』  政治経済学部1年 中川紘一

 千年ほど前の言葉に「先憂後楽」というものがある。

普通の民衆などは周りの人が心配し始めた後に心配し、周りに先んじ楽しもうとしてしまうのが常である。しかし指導者や国政者、リーダーシップを発揮する人はそうあってはいけない!その逆の姿勢が為政者には望ましい、というような意味である。
つまり、庶民が気付かない・考えない頃から問題や心配事を憂い、それらが解決し庶民が楽しんだことを見届けた後、自分の生活を楽しむべしと。
 
 先憂後楽、国民の立場からすればこの言葉は当たり前のことではないだろうか。政治家や官僚が自己の利益や楽しみの前に世間の問題を解決する。そしてその代償として国民は税金を納める。
いつからかこの心は失われつつある。
天下りや無駄使いを無くそうという流れの中をすいすい泳ぎながら、夫婦でゴルフをしまくり贅沢三昧をした自衛隊背広組トップ。
電車賃がないと電車を使わない学生やサラリーマンがいる一方で、休みだから旅行へ行こう、ついでに交通費もただ乗りしちゃお!という政治家。
これでは先憂後楽どころ無憂全楽である。そんな人間による指導の元で事が上手くいくはずがない。こういう行為はストレス発散などの一過性のもので本当はちゃんと考えているのです、と言う本人たちがいる。もしかしたら本当かもしれない。しかし人の上に立ち国を動かす以上、そんな言い訳は許されない。

こういった人間が組織に入ることでその組織は多かれ少なかれダメージを負う。最近でいえば、一部の厚労省の人間による障害者自立支援法を悪用した郵政不正といわれる問題がある。これは一部の人間によって行われた事件だが、厚労省全体のイメージダウン、郵政には不正による損失がのしかった。
それは一人のわがままな子がグループに入ると全体の士気や効率が低下してしまうような単純明快なものだ。

千年も前から先憂後楽であるべき、という言葉が受け継がれてきたのは、それが完全でなくともこの言葉に説得力や答えがあるからと考える。
人の上に立つ者・社会や理想を語るものは先憂後楽を忘れてはならない。そして、忘れる人間が減ってゆけばおのずと社会も良くなるだろう。
先憂後楽の精神を持ち、維持し続けられるような政治家の登場がこの国を変えていく。私もこの精神を忘れた為政者・リーダーにならぬよう、日々自己鍛錬を怠ることのないよう努力していこうと思う。