「『生きる』ということ」 人間科学部二年 驥本憲広

人生で一番最初に絶望したのはいつの時だっただろうか。
人は壁に打ち当たる度に、その壁を乗り越えたり道を迂回することで進んで行く。しかし、誰一人として解決できなかった問題がある。「死」である。いままで何千、何万とある人類の歴史の中で何十億、何百億と人はいたにも関わらず死を克服できた人は誰もいなかった。

 それは物心ついてしばらくした後のことだったと思う。私が入園する前には家にいたはずの祖母がいないのだ。仏壇の部屋に行けば遺影が飾られている。病気で死んでしまったことは、当時幼かった私も事実としては知っていた。けれでも、人が「死ぬ」ということはまだ正確に理解できていなかったと思う。ひとたび、人の死について考えたときどうしようもない恐怖に襲われた。まだ幼い自分もいつかは姉くらいの年になりいずれは大人になりいつか死を迎えるのだということを、それがどうしようもなく不可避的なものであることを。
 
 今まで偉大な発明発見をしてきたアインシュタインだってエジソンだって不死の薬を開発することはできなかった。それがどうして自分にできるのだろうか。考えれば考えるほど目の前が真っ暗になり、何度枕を濡らしたか分からない。
 
 おそらく多くの人がそうであるように、私はこれまで何度となく死について考えてきた。
 死者は生きている。私はそう思うのだ。死んだ人間のことを自分の心に中に生きているということがあるが本当にそうだと思う。生前に遺した言動が、残された人間に影響を与え続けているのだ。
 なぜ私たちは会ったこともない偉人の名前や顔を知っており、その人がどういう人間で何を後世に残したか知っているのだろうか。それは死者が現代にも生き続けているからに他ならない。私は夏目漱石という作家が好きである。漱石の作品を読むと、現代でもなお通じる考え、価値観を想起させてくれる。だから漱石の作品は今でも教科書の題材に使われ続けているのだと思う。
 
 先日、日本人3名のノーベル物理学賞受賞が発表された。彼ら3名の名前は後世に残るだろうし、LEDに関する発明をしたという事実性は彼らの死後も決して消えることはない。ここで勘違いしてほしくないのは、ノーベル賞を受賞したからその事実性が残るのではない、賞を受賞する、それだけの研究をしたからこそである。

 私たちは、皆が皆、偉人になれるわけでもなければ先陣にたって社会を変えようとするわけではない。多くの人は、一般人であり、為政者や学者などではないのだ。では、後世に名を残せなかった人は、その人の他界を持って「死んでしまう」のか。私はそうは思わない。
 一人の人間のできることは限られているように思えるかもしれない、しかし、確かに僅かながらにでも社会は一人一人によって動かされているのだと思う。自分のした行動が他者に思いもかけない結果をもたらすことがある。

  また、人間関係は日々の積み重ねであるように私は思う。長い日々の中で、憶えているようなことは少ないかもしれない。しかし、そのときにあったことは、お互いに何か感じ何かを思ったはずなのだ。その流れを汲んで次の結果がある。だから、私にとっては取るに足らないような出来事も瞬間も全て大切にしたい一期一会の想い出なのだ。何が言いたいかというと、人はこの世に生きている時点で、人とささいな関わりを持った時点で社会に何かしらを残したことになるのではないかということである。
 
 しかし、それでも、私は強く自分がこの世に生きていたという証を残したいと、強く社会と人々と関わりたいと、そう思うのだ。