「2つの9・11」 

商学部3年 小松平信吾



9月11日。今日で同時多発テロから5年が経った。

5年前、僕は高校生だった。正直に言うと、その日のことはあまり記憶にない。

とは言っても、その記憶自体は凡庸で、テレビを見て驚くだけ。欧米と中東の歴史的な背景もたいして知らず、ただぼけーっと画面を見ていた。学校でも別段、何の議論も起きなかった。

けれども、唯一鮮明に記憶していることがある。
それが、タイトルのもうひとつの9・11だった。

9月11日は、GHQがA級戦犯として東条英機を逮捕しようと東条の自宅を訪ね、東条が拳銃で自殺を図った日であった。

当時の新聞などを読むと、東条自身が自ら発布した戦時訓に背いたということに対する反響はすさまじいもので、戦中を支配した論理と倫理が崩壊したという事実に立ち往生する当時の人々の様子が良くわかる。(ような気がしただけかも知れない)

敗戦という体験を、どのように正当化ないしは拒絶するのか。
戦後のあらゆる言説のスタートは、この一点に集約できた。

当時を支配していたあらゆる言葉が意味をなくしたとき何を語れるのか
従来の言葉では語りえない体験を目の当たりにした時何を語れるのか。
言説構造はどのように変動していくのか。

9・11後の世界や、今日の日本も同じ状況にあるのだと思う。
とりわけ、今日では従来の言葉は完全に無力と化している。

内輪での言葉遊びを超えて、「愛国心」や「天皇」、「革命」を僕たちが共通の実感を持つ言葉として、語ることは不可能だ。

もちろん、そうした言葉遊びなど関係なく、国際政治は進む。
それを踏まえても、僕は現代に生きる一人の人間として、当時の、そして現代にも貫かれる「言葉の無力さ」に、言葉をなくしている。
自らの「語りたいという欲望」のみが先行するなかで、従来の言説では語りえない「現代」や「私たち」をいかに言語化するのか。

2つの9・11を振り返ったとき、5年前、薄ぼんやりと考えていたことを、今も考えていることに気づかされる。