第三弾:資本主義の分析と発展の展望(後半)

国際教養学部2年 鶴渕鉄平


第三弾前半では、世界システム論の枠組みの把握と、サブ・サハラ・アフリカの現状と理論との整合性について検証した。その結果、世界システム論は、サブ・サハラ・アフリカの現状を資本主義を中心とした観点から把握するものとして適していると判明した。
今回は、世界システム論を提唱するウォーラーステインの未来予測と、世界システム論への批判・それに関するウォーラーステインの言及を把握し、それらからサブ・サハラ・アフリカの発展の展望を見出す。

世界システム論による未来予測

ウォーラーステインは、『脱商品化の時代』において、3つの主要な長期的趨勢によって、資本蓄積に限界がきているとする*1。そして、無限の資本蓄積が、史的システムとしての資本主義の規定的特長である以上、それらの3つの長期的趨勢によってシステムの構造的危機がもたらされつつあると述べている。その長期的趨勢とは以下3つである。
①世界=経済全体の平均で算出された実質賃金水準の上昇*2
②生産に投入される物財の費用の上昇(主に処理費用の上昇)
③高い税金に対する不満が広がっている中での、行政サービスに対する大衆的要求の水準の上昇


これらの資本蓄積の危機を更に強めるものとして、ウォーラーステインは「国家の正統性の喪失」を挙げている。国家機構は、領土の支配権、法律制定の権利、課税権により、資本蓄積極大化のための決定的なメカニズムとなってきたとされる*3。そして、非平等主義的、軍事主義的、植民地主義的な体制に反対する反システム運動(共産主義運動や民族解放運動)が、1945年〜1970年の間に世界中のあちこちで権力の座についたことを述べ、それらが世界規模の富むものと富まざるものとの二極分化はおろか、国内の二極分化に対して優位な改善をもたらすことが出来なかったと結論付ける*4。そのため、「世界の大衆たちは、いったんは変革の担い手として国家に頼ったものの、いまや変革を推進する国家の能力に対するもっと根本的なところで懐疑主義に回帰したのである」とする。

以上が、ウォーラーステイン、「資本主義的世界システムが危機に陥り、システムの移行期に入っている」とする主張の概略である。そして、ウォーラーステインは、移行後の将来の世界のかたちについては「帰結の選択肢が未知かつ不可知な選択の無限性に依存するものである以上、帰結の予測が不可能なのである」として、つまり、将来の在り様は予測できないものと述べている。しかし、帰結としての将来世界像はさておき、移行期の世界については次のように述べている。

①国家組織が正統性を喪失するにつれて、集団及び個人のセキュリティが恐ろしく低下し、日常的な暴力の量が増大する。
②近代世界システムを理解しようとして発展してきた標準的な政治学的分析が妥当しなくなり、政治的には大混乱を招く。


コンテンツ第三弾前半で考察したように、ウォーラーステイン世界システム論は現実世界に妥当している。しかし、その世界システムが危機を向かえ、システムの移行期にあるという主張には、私は疑義を呈する。なぜならば、資本蓄積に関する長期趨勢というものが、サブ・サハラ・アフリカの多くの地域では、当てはまらないからである。以下、それぞれの長期的趨勢について考察する。
第一に、長期的趨勢の①「世界=経済全体の平均で算出された実質賃金水準の上昇」、というのは、端的に言うと、多国籍企業が工場の移転により人件費を安く出来る地域がなくなりつつある、ということである。最初は低賃金を甘受していた工場移転先国の(主に農村地帯からの移民)労働者も、他の地域の労働者と同じ水準の賃金を求めて圧力を行使するようになる。そうなると資本家は再び立地を移転させるしかない。ウォーラーステインは、この主張に合わせて、「25年もたてば世界の農村地帯がほぼ消滅してしまうということを予見することは、決して無理な話ではない」とし、「資本家はいま立地している分の悪い場所で階級闘争を遂行するということ以外にはない」と結論付けている*5。しかし、サブ・サハラ・アフリカにおいては、むしろ農業生産に押しとどめる国際枠組みが強固であることを前に把握した*6。アフリカの貧困層の多くは、工業労働者ではないのである。
次に、長期的趨勢②「生産に投入される物財の費用の上昇(主に処理費用の上昇)」についても当てはまるとは言えない。発展途上国においては、多国籍企業を誘致するために、環境規制をあえて低い基準にとどめるということが往々にしてありエリザベス・エコノミー著『中国環境リポート』では、中国の地方において環境よりも開発を重視する傾向が指摘されている*7。更に述べると、発展途上国の中でも「後発」発展途上国に位置づけられるサブ・サハラ・アフリカにおいては生活環境への配慮を背景とした処理費用の増加というものには疑問が呈される*8
最後に、長期的趨勢③の「高い税金に対する不満が広がっている中での、行政サービスに対する大衆的要求の水準の上昇」、については、サブ・サハラ・アフリカの社会保障体制の未整備という点から否定し得る。


以上のように、ウォーラーステインの将来予測は、「資本の蓄積の限界」という根拠への疑義から、賛同しかねるのであるが、サブ・サハラ・アフリカが世界システムに組み込まれ、不平等な状態にあることは否定し得ない。では、そのサブ・サハラ・アフリカの発展の展望はどこに見出せるか。
以下に、世界システム論への批判とそれに関するウォーラーステインの近年の言及から、発展可能性を探る。

世界システム論への批判と、それに関するウォーラーステインの考え

世界システム論をターゲットとして、過去に様々な批判が登場した。その矛先は、主として、ウォーラーステインの理論に、権力や特権、剥奪といった政治的側面に対する言及が弱い点、また、既存の秩序に対する挑戦がどのように生じるかについてあまり説明しきれていない点に向けられている。世界システム論は、一部の発展途上国が、半周辺の立場に移行する条件を整えるために政治権力を行使する能力を、過小評価している。シンガポールやマレーシアなど、過去に成功を収めたNIEsの指導者は、自分たちの国の産業の未来が低賃金やローテクノロジーに封じ込められてしまう危険性を十分認識していた。そして、これに立ち向かうために、例えばマレーシアでは、11の大学を設立して、30マイル×10マイルの広さを持つ「サイバーシティ」の計画を立てていた*9。「(ウォーラーステインの)世界システム論において、おそらくアジアはもっとも『手強い』、『扱いにくい』対象であろう」*10と述べられるように、世界システム論においては、アジアの成長をどう説明するかが、往々にして批判の対象とされる。この東アジアの勃興について、ウォーラーステインは『新しい学』において言及している*11。まさに「(東アジアの)この成長を説明するものは何か。」という問いに対し、ウォーラーステインの回答は、まず、「アジア勃興の時期は、コンドラチェフ波のB局面*12であった。この時期は、生産活動の配置転換があるので、世界システムのある地域にとっては、全般的な経済的地位が相当程度改善する。」というものである。さらに、「東アジアは冷戦構造の前面に立っており、冷戦という理由により経済的・政治的・軍事的に支援を得てきた」からだとされる。
この言及でも、やはり、アジア諸国が国内状況の改善と成長のために行ってきた自助努力への比較考察が不十分と言えよう。例えば、経済学者のアマルティア・センは、アジアの発展の鍵は、識字教育や計算教育などの基礎教育の充実・医療の充実など、人間的発展の実現が挙げられるとしている*13。国単位のダイナミズムに言及しないのは、世界の動きを総体として語ろうとする世界システム論の宿命であるのかもしれないが、発展において、国内努力の存在は無視し得ないであろう。

サブ・サハラ・アフリカ発展の展望

前章までで踏まえたように、世界システム論においては、周辺国・半周辺国の、ヒエラルキーを上るために行われる国内努力への考察が不十分であった。そして、現実にはそういった国内努力により発展がなされた面がある。ゆえに、この国内努力を、(世界システム論の「中核−半周辺−周辺」が当てはまる現在世界における)サブ・サハラ・アフリカ発展の鍵と見出せる。 
しかし、単に「国内努力」というならば、独立後のアフリカ諸国において政府主導の開発路線がとられてきた。そして、ガバナンスの失敗や汚職などと関連して、自力発展の道は徒労に終わってきたのである。ゆえに、国内努力=自助努力のみでは不足なのである。
では、自助努力以外に何が必要か。それは、開発の内容の評価や助言、あるいは達成度合いを評価する存在である。この存在があることで、開発が貧困層の生活改善につながるものであるか、発展の成果が一部の権力者の私服を肥やすことに費やされないか、などをチェックすることが出来る。
これまで、世界銀行IMFがその役割を担う存在であったといえよう。しかし、最近までの構造調整アプローチにおける世銀・IMFの働きかけは、自助努力を無視した過度な政策強制であった。そして、その働きかけは、多くのサブ・サハラ・アフリカ諸国で貧困を助長した、というのが世銀自身も認めている結果である*14
自助努力のみではいけない。援助機関の介入がありすぎてもいけない。
サブ・サハラ・アフリカの発展のためには、自助努力の重視と「適切」な評価・助言に基づく発展戦略が必要なのである。

結び

以上、今回コンテンツ第三弾では、世界の不平等な経済体制を分析するものとして世界システム論を取り上げ、その理論や展望から、サブ・サハラ・アフリカの発展の可能性を見出すことを行った。そして、得られた「可能性」は、「自助努力の重視と適切な評価・助言に基づく発展戦略」であった。

では、自助努力重視とはどのように発展戦略に反映されるべきか。適切な評価・助言とはいかなるものか。現在、世銀では、これら自助努力や適切な支援、そして参加型開発を標榜して、貧困削減戦略ペーパーと言った援助プログラムが採られている。ゆえに、次回コンテンツでは、貧困削減戦略ペーパーを中心とした世銀の現在の政策を分析することで、発展戦略の在り方を掴む。



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*1:イマニュエル・ウォーラーステイン著『脱商品化の時代』(2004 藤原書店)P.82

*2:ここでの「実質」の意味は「生産コストに占める賃金の割合で見た」ということと述べられている。

*3:『新版 史的システムとしての資本主義』P.57〜68

*4:イマニュエル・ウォーラーステイン著『脱商品化の時代』(2004 藤原書店) P.90〜91

*5:以上、イマニュエル・ウォーラーステイン著『脱商品化の時代』(2004 藤原書店)P.84〜85

*6:詳しくは、第二弾:・サブ・サハラ・アフリカの自由貿易体制への組み込まれ過程における、【生産物の利潤が農民に還元されない現状】の章http://d.hatena.ne.jp/yu-benkai/20060801/p1をご参照ください。

*7:詳しくは、エリザベス・エコノミー著『中国環境リポート』2005 築地書店(P.266〜267)をご参照ください。

*8:『世界ブランド企業黒書 −人と地球を食い物にする多国籍企業』(2005 明石書店)には、アフリカにおいて環境破壊を進める企業の実態が描かれている。

*9:ロビン・コーエン&ポール・ケネディ著『グローバルソシオロジーⅠ 格差と亀裂』(2003 平凡社)P.177〜180より

*10:川北稔 編『知の教科書 ウォーラーステイン』(2001 講談社)P.177 

*11:イマニュエル・ウォーラーステイン著『新しい学 21世紀の脱=社会科学』(2001 藤原書店) 【東アジアの勃興、あるいは二十一世紀の世界システム

*12:経済学者ニコライ・コンドラチェフが、産業構造を変えるような大きな技術変化に伴う循環として証明しようとした、半世紀程度の周期の景気変動をもととする。ウォーラーステインは、これに、フランソワ・アミンの用語を適用して、世界システムの規模で経済社会の総体としての活力が上向きで、蓄積のメカニズムが順調に機能し、システムに対する信認が安定している時期をA局面、逆に経済社会の総体としての活力が下向きで、蓄積のメカニズムが機能不全を起こし、システムに対する信認が不安定化する時期をB局面とした。B局面において、既存のメカニズムの機能不全から、産業構造の変化や配置転換の圧力が生じると、そのような変化を自らにとって有利なものにしようとする政治的な行動の余地や効果が大きくなり、結果として、各国経済の序列に変化が生じる。そして、その変化が大きい場合には、それは戦争やヘゲモニー(中核諸国の中で圧倒的経済力を確立する国)の交替を引き起こすとされる。

*13:アマルティア・セン著『貧困の克服−アジア発展の鍵は何か』( 2002 集英社) 第一章「危機を越えて−アジアのための発展戦略」

*14:世銀・IMFとサブ・サハラ・アフリカの関係について、より詳しくは、以下をご参照ください。早稲田大学雄弁会HPhttp://www.yu-ben.com/frame.htmlにおける、構造把握研究会『蒼い星』  レジュメ「サブ・サハラ・アフリカと世界市場の関わり」http://www.yu-ben.com/2006zenki/kouzouhaakukenkyukai/aoihoshi/tsurubuchi1.html 【アフリカの世界経済統合】の章