「貧困者の境遇改善の為の人権保障」

国際教養学部二年 鶴渕鉄平

近年では、「世界経済のダイナミズムから取り残された地域」と称されていたアフリカ地域にも、海外直接投資(FDI)が進んでいる。最も多くのアフリカ人の所得を決定してきたのは食糧生産性であったが、21世紀に入って資源ブームが起き、アフリカでは2001年から海外直接投資(FDI)の流入比を増やしており、いまではアジアを完全に上回っている。そして、それに伴い、サブ・サハラ・アフリカの経済成長率は2005年に5.8%、2006年に5.2%となっており、2007年は6.3%の成長が予測されている(IMF発行“World Economic Outlook(September)”)。サブ・サハラ・アフリカの経済成長は持続すると予測されているのだが、このマクロ的な経済成長に反して、その流れと逆行するように生活が困窮化し、絶対的貧困状態で生きさせられてしまう人々が存在するのである。それは、近年、経済発展しつつある途上国の工場労働者に顕著である。
多国籍資本の誘致が自国の税収の上昇や雇用創出、技術獲得に繫がる途上国政府は進んで低コストで多国籍資本を受け入れようとする。その結果、低賃金・長時間労働・労働基本権の剥奪と言った劣悪な労働条件に晒される貧困層を生み出している。メキシコやフィリピン、バングラディシュなど、発展途上国の中でも工業化が進みつつある地域においては、人権の無視された、著しく低賃金な工場労働が人々の生活を貧困に追いやっている。これについては、その国の人権保障制度や、多国籍企業行動指針と言った、国際的な倫理規定は存在するものの、それらが機能不全に陥っている現状がある。
以下、この現状の分析を行い、その打開策のあり方を提示したい。


①賃金について(以下の批判に対する検証として。「そもそも、低賃金労働というが、それは先進国との比較であって、その地域においては十分な賃金なのではないか」)
FDIが支配する輸出部門の労働者の賃金は、単に、先進国との比較において安いだけではなく、絶対的にも安い。バングラディシュの輸出加工区の縫製産業では、労働者の一日の稼ぎは、1.5〜2ドルである。1日1.5ドルは、バングラディシュの貧困ラインを少し割り込み、2ドルは少し上回る程度である。エルサルバドルでも、1日12時間働く女性労働者の日給は5ドル未満で、4人家族が同国で生きていくのに必要な額の3分の1以下の賃金である。
従って、途上国の工場労働者は、労働条件の悪さにより、実際に生活が困窮しているということが言える。

②労働者の賃金を上げるために多国籍企業(Trance National Corporation,TNC)は何も出来ないのか(「国際競争力の確保のために、TNC側も止むに止まれぬ選択で低賃金労働を課している」という主張に対する検証)
 2001年にナイキの主席報道官が、「労賃を大幅に引き上げれば生産コストに跳ね返る。そうすると小売価格が上昇し、製品が売れなくなる」というコメントを出した。しかし、オックスファムの調査によると、「ナイキは、トレーニングウェア上下を65ドルで売りながら労働者には2ドルしか支払っておらず、労働者の賃金を引き上げたところで小売価格は3%しか上昇しない」のである(『貧富・公正貿易・NGO』オックスファムインターナショナル 2006年)。
 つまり、「国際競争力のために仕方が無い」というロジックは、疑い得るものであると言える。

③途上国における労働制限について(国家による対応の限界を把握するために)
 途上国の多くが、輸出加工区では通常よりも「柔軟」な労働政策を採り、団体交渉権などを制限している。労働時間や最低賃金に関する規定を適用しない、無視しても構わないといったケースもある。
バングラディシュでは、輸出加工区においては法的に労働組合の加入は禁止され、最低賃金の規定はなく、社会保障を要求しようにもそれを受け付ける仕組みがない(無論、加工区外ではそれらは憲法にも法にもうたわれている)。マレーシア政府は労働組合権を制限したが、理由はそうすることで「国の経済発展」を促進することができるから、というものであった。
1国のみTNCへの規制を強めては、他の国に資本が移動してしまうということを途上国政府は懸念している。そして、資本の誘致については、途上国政府は互いに競合関係にあるため、国同士が協調してTNC規制を制度化するということは困難であったと言える。
ゆえに、TNCへの活動ルールには、国家アクターがイニシアティブを発揮することは難しいのである。

④行動基準策定の現状(非国家アクターとして、TNCそのものの対応力について)
 近年、企業自らCSRとして自主的な行動基準を設けている。行動基準は、国際的に共有された価値観などに根ざした基準などを設けて実践しようとするものだが、最近までの結果は、政府による基本的権利の実現に取って変われるものではないことを示唆している。
 TNCが設けた行動基準の多くが、実践面で不備があるとオックスファムは報告している(『貧富・公正貿易・NGO』オックスファムインターナショナル 2006年)。
 社会監査を実効あるものとするには、「監査担当者の訪問を事前に知らせてはならない」や「労働者やその代表に聞き取り調査をする際は守秘義務をもつ」などの約束事が存在するが、それらが無視され、行動基準に反しても分からずじまいに終わることが多い。2000年に監査会社のプライスウォーターハウス・クーバーズ社が中国やインドネシアなどの工場で行なわれたモニタリングの結果を監査したところ、モニタリングの担当者が数多くの基準違反を見逃していたことが判明した(有害化学物質の使用から労働組合活動の制限、時間外労働に関する法令違反、最低賃金違反など)。
基準そのものに不備が見られる場合も存在する。ほとんどの基準は労働者の健康と安全、児童労働、契約条項について定めているが、サラ・リー・ニット・プロダクツと言う企業の行動基準では「法的要請ないし文化的な要素がない限り、労働組合のない環境のほうが良いと我々は信ずる」とうたわれている。
以上の例を鑑みるに、労働環境の改善には、国家間組織・国際条約と、NGOの活動に委ねられると言えよう。
では、それらの現状について考察する。


⑤国際的に合意されうる労働への認識について(国家間組織・国際条約の現状について)
1999年の世界経済フォーラムで、当時の国連事務総長アナン氏は、国際的に合意された基準を企業の行動指針として受け入れるようビジネス界に呼びかけ、「世界市場を人間的なものにする世界共通の価値や原則に基づいた『グローバルコンパクト』」を提唱した。
ILOは、1998年にOECD各国の強い支持を受けて、「労働における基本的原則および権利に関する宣言」を採択した。この宣言は、次の4つの労働基本権をうたっている。
(1)結社の自由と団体交渉権(ILO条約87、98号)
(2)平等な待遇と同一価値労働に対する同一賃金(雇用と職業における差別の排除:ILO条約100、111号)
(3)最低労働年齢(児童労働の実効的な廃止:ILO条約138号)
(4)あらゆる形態の強制労働の禁止(ILO条約29、105号)

 さらに、OECDの「多国籍企業ガイドライン」はより規範的な内容になっている。OECD加盟国全30ヶ国と非加盟国の9ヶ国が採択しているこのガイドラインは、ILO条約の中核をなす諸原則を押し立てると共に、社会、経済、環境分野の様々な政策目標を盛り込んでいる。同ガイドラインが他と違うところは、世界の主だったTNCが本拠を置くOECD加盟各政府が賛同している点である。さらに重要なのは、企業の行動を監視し、違反事案を調査する仕組みも持つことである。
 労働者保護に関する価値や規範の問題は、政府やTNCがそれらに反しても何のとがめを受けないことにある。
ILO条約は法的拘束力がなく、毎年出される200以上の報告書に対して、勧告を受けた政府はリアクションは起こしていないのである。この点、グローバルコンパクトも法的拘束力がないため、同様である。

⑥貿易制裁について(「人権」を守ることが一概に正しいと言えるかどうかの検証)
 OECD諸国の中では、労働基準を守らせるために貿易制裁を行なうという考え方が主流になりつつある。これについて考察する。
1990年にアメリカ下院で提出された、児童労働を源とした製品の輸入を禁止する法案は、確かにバングラディシュで行動を起こさせた。
 バングラディシュでは、制裁を恐れた工場が子供たちを追い出したのであるが、行き場を失った子供たちは、今まで以上に搾取的なレンガ作りなどの仕事につかざるを得なかった。また、そうした状況を避けるため、TNCが国連児童基金と協力して、仕事を失った子供たちに教育の機会を提供する取り組みが行なわれたこともあるが、今度は、貧困家庭の多くが収入を失うことになったとされる。
 このように、単純に、「悪い」労働条件からの「解放」は必ずしもその人々の生活改善には寄与するとは限らないということを考慮せねばならない。

さらに、ここで、法的処罰を与える存在について考えてみるが、貿易制裁の荒っぽさも鑑みるに、それは国家機構以外には正当性を持ちえない。
 ゆえに、方向性としては、NGO(市民社会)の国際的連帯に基づく働きかけによって、いかに国家機構に、人権侵害を訴え、適用させていくかということになる。

⑦NGOの人権との関わりについて(上記の判断の、根拠の補足)
国家間組織の人権保障制度として、代表的なものに国連人権理事会というものが存在する。しかし、この国連人権理事会は、「政府間組織」としての限界を克服しえないのではという疑義が呈される。それは、国連人権理事会の前身、国連人権委員会の経験に基づく。

9・11アフガニスタン空爆イラク戦争と続いた一連の国際社会の危機に国連が同対応するべきかという問題意識もとで任命された「ハイ・レベル委員会」の国連人権委員会に関する報告では、国連人権委員会の活動を低下させてきたのは、スーダンなどのあからさまな人権侵害国ばかりではなく、米国や中国などの安保理常任理事国や一部の先進国であったことを指摘している。
 米国は、国内の人種差別問題などが取り上げられることを恐れ、1947年に「人権委員会はいかなる行動をとる権限も無い」という「自己否定原則」を採用し、人権委員会の活動を完全に停止させた。
 「自己否定原則」が解除された1976年以降も、80年代には、イラクが米国の同盟国であったという理由でイラク国内の人権侵害を無視し続けてきたし、中国は一貫して「ノーアクション動議」というものを提出し、自国の人権問題を表面化させないようにしてきた。
 さらに90年代後半には、先住民族政策の後退などを指摘されたオーストラリア政府は、国連人権機構は民主主義の無いアジア・アフリカの発展途上国だけを相手にすれば良いという姿勢を明示したことがある。 このように、各国政府の政治性に基づく人権保障活動は、人権機構全体の信頼性を低下させてきたといえるのだが、果たして政府間組織である人権理事会はこの問題を解決できるのか。それは難しいのではないか。なぜならば、人権の保障は、国益という枠組みでは処理しにくく、国家が他国の人権問題を取り上げようとする時、そこにはしばしば政治的な意図が含まれうるからである。そして、これは国家としての宿命であり、ゆえに国家を単位とした人権保障制度の限界であると言えよう。
 さらに、歴史的に見ても、人権が国家に帰属したことはなく、むしろ人権は国家主権との緊張関係の中で発達してきたものである。例えば、13世紀のマグナ・カルタから18世紀のフランス人権宣言に象徴される、市民的・政治的権利は、特権階級によって掌握されていた国家権力に対し、個人の自由を確保する目的で主張されたものである。
 ゆえに、人権の保障は、個々人が個別もしくは共同(即ち市民社会の連帯)で、国家・国際社会に対して、人権の保障を要求するという形式が妥当だと言える。権利を得るには何らかの義務を負うものだが、自己の権利を主張する術を持たない人々に代わってその権利を擁護することが、権力に対して同じ立場に身を置き、その意思と能力を持つものの義務ではないだろうか。


⑧変革の方向性
従って、なすべき変革の方向性としては、多国籍企業の労働者への待遇に関する、NGOの監視機関の創設が考えられる。実際に何を基準にし、どこにおいてその機関が構築されるべきかについては、「世界NGO・査察会議」の提唱をする。これは、多国籍企業の国際行動指針を一定の基準とし、定期開催の会合の中で、各NGOの監査の現状を報告し、公開する会議の場を設けると言う提案である。
その基準としては、OECDによる多国籍企業行動指針が現実的であろう(無論、地域ごとに何が「守るべき権利・境遇」かは異なる部分もあるだろう。それはまさに会議を駆使して、当事者を交え、その時その場で決めていくものであると考える。ここで言う基準というのは、あくまで「目安」的な要素である)。グローバルコンパクトなどの数ある条約の中で「多国籍企業ガイドライン」を選ぶのは、多国籍企業ガイドラインには「企業の行動を監視し、違反事案を調査する仕組み」が存在するからである。そこにおいて、「行動指針に関し、第三者NGO労働組合等)より問題提起が行われた場合」のみにヒヤリングや、当該企業への勧告などを行なうとされている組織構造を、常設の監査機関を付属させ、恒常的なチェック機構の確立を図る。

もう一つの政策は、貿易制裁の悪影響で示したように、NGOの監査のみが先行して、職を失う者が出てしまうような状況を避けるために政策を打つ。具体的には、査察会議に、途上国企業とTNCの協業を推進する機能を持たせ、途上国企業とTNCのwin-win関係構築の柱の1つとするとともに、その関係構築過程の中で、関係の基盤として多国籍企業ガイドラインが活用されていくことを勧め、NGOの監視機関によるチェックを受諾させる、というものである。これは、国連工業開発機構<UNIDO>と査察会議の連携を図ることで実現されるであろう。
UNIDOは、昨年1月にニューヨークでワークショップ「小規模企業の発展に向けたパートナーシップ(“Partnerships for Small Enterprise Development”)」を開催し、 “バイヤーとサプライヤー”という通常のビジネス関係を超えて大企業の実施している途上国の中小企業の支援の事例について情報共有を行った。このワークショップに先立って準備されたバックグランド・ペーパーでは、大企業による途上国の中小企業支援の性質について、(1)大部分の中小企業支援は、ビジネスかフィランソロピー(社会貢献活動)かという両極端なものではなく、その中間の性質を持っている、(2)支援開始当初はフィランソロピーの側面が大きいが、時間の経過とともにビジネスのメリットが拡大する、と分析している。

例えば、途上国で生産を行う企業は現地企業からの調達を拡大することでコスト削減を図ることができる。バックグラウンド・ペーパーでは、このことを多国籍企業や現地の大企業が中小企業支援に取り組む最も強いインセンティブと捉えている。
現地調達の拡大を目指して精力的に取り組んだ事例として、インドでのFiatのケースがある。Fiatは1990年代にインドに大規模な生産設備投資を行ったものの、インドでは自動車部品のサプライヤーの基盤が非常に貧弱であったため、インド自動車部品製造者協会を通して、プラスチック、ゴム、金属の部品製造を担う中小企業の強化に重点的に取り組んだ。
特徴的なのは、Fiatが取り組みを自社のみで行うのではなく、UNIDOやインド政府とともに計画立案とプログラム実施を行った点である。
こうした取り組みの結果、(1)製造にかかる平均的なリードタイムを52%短縮、(2)取引先が行う従業員教育研修の平均時間(月間)を3.2時間から238時間に増加、(3)従業員の欠勤を39%削減、(4)工場の空間利用効率を25%改善、等の具体的な成果を生み出した。他にも、原材料や部品の供給の安定性を向上するために取引先である途上国の中小企業を支援した、殺虫剤製品の製造会社であるSC Johnson(米国)のケニアの取引先との取り組みの例などもある。
UNIDOは、途上国の中小企業支援の観点から、民間企業と国連機関・各国援助機関・途上国政府・NGO等とのパートナーシップの推進を提言しており、Fiatの例のように実際に関係構築にも寄与している。従って、NGO査察会議がUNIDOとの提携を進めることで、貿易制裁のような雇用破壊のリスクを途上国産業創出によって避けることができ、さらにUNIDOとの提携をてこにして、途上国で活動する企業に多国籍企業ガイドラインに則って活動していくことを促していけることになる。


 世界は、経済のグローバル化により、富を増やしている。そして、その富は決して一部の富裕層のみに与えられるべきものではなく、誰もが享受し、それぞれの潜在能力発露の基盤となるべきである。
 そのために、NGOによるTNC監査体制を確立すること、それはいわば国家を相対化し、国家機構と共存するAfter-Nationalな市民社会を活発化していくことである。そのようなAfter-Nationalな市民社会こそ、経済的貧困というリスクの現状に対する強力な対応策になるのである。