愛国心とは?

国際教養学部2年 鶴渕鉄平


4月28日、閣議決定に基づき、政府は教育基本法改正案を国会に提出した。

4月12日、与党で構成する教育基本法改正検討会にて、それまで自民党公明党との間で意見が割れていた愛国心の表記について、「我が国と郷土を愛する態度」との合意が形成された。このことにより、「すべての教育法令の根本」(文部科学省)とされてきた教育基本法の改正が国会の場で審議されることになった。

愛国心について、「心」を「態度」としたことで合意はなされたのだが、政府・自民党が求めているのが「愛国心の涵養」であることに変わりはない。そして、改正法正案で一番焦点となっているのはまさにこの「愛国心」表記についてである。

正確には「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」と表記されるこの条項だが、果たして今後の日本の教育目標として必要なものなのであろうか?

愛国心というものは、個人のアイデンティティーを構成する一要素に過ぎず、それ以上のもの、例えば、個人の行動指針の先頭に来るもの、であるべき必然性はない。愛国心を持たないという人がいても良く、愛国心の涵養は強いてはならないものである。教育基本法への表記は愛国心の強要に繋がる恐れが高く、良心・思想の自由の観点からその記載は避けるべきだと言える。


個人のアイデンティティーは、その個人が属する集団の特性によって形成され得る。つまり、誰の子、誰の家族であるか、どこの地域に生まれたか、どこの学校に通ったか、など自分を取り巻く環境の特徴により、その人のアイデンティティーは形成され得るのである。
そして、国・国籍というものも、自分の属する集団・自分の外部環境のひとつとして位置付けられるものである。

人は、自らのアイデンティティーの要素となり得る自らの外部環境に、自然と好意を抱くものである。なぜならば、自らの一部を表現するものとしてその外部環境があるならば、その環境を良いものと認識できることがアイデンティティー形成にとって有効だからである。
オリンピックやサッカーのワールドカップで、同じ日本人として、日本人選手を応援するのはその例である。そして、それは紛れもない愛国心=「自らの拠り所のひとつとなる『国』という要素に対してもつ好意的感情」なのである。
更に忘れてはならないのが、自分の属する集団、自分を取り巻く環境というのは「選択可能」であり、且つ「重層的」であるということである。国を例にして言えば、他国の永住権を取得し、その国で一生を費やすことができるのである。また、国という単位以外にも、地域、学校、職場、最近ではネット空間など、一人の人間は多様な集団に属し得るのであり、それらの複合により個人のアイデンティティーというものは形成されるのである。
以上の、個人のアイデンティティーを基軸にした「自発性」・「選択可能性」・「多様な単位の中の一要素」という3点を鑑みるに、愛国心というものは、教育基本法という国家的方針によって涵養が進められるものであってはならないのである。