国家への意志〜新たなる国家戦略を

政治経済学部2年 小沼巧

目下日本のメディアがホリエモン問題に関してヒートアップしていた今年二月、我が国の国是が疑問視されるひとつの事件が発生した。2006年2月13日、警視庁公安部が、外為法違反容疑により株式会社「ミツトヨ」の捜索を行ったのである。

核兵器製造に転用可能な「三次元測定機」が無許可で中国とタイに輸出されていた問題であり、IAEAリビアの査察を行った際にその痕跡が発見されて疑惑が生じ、今回の捜索へと繋がったのである。パキスタンのカーン博士による「核の闇市場」は記憶に新しいが、それへの関与アクターとして、唯一の被爆国であり、非核三原則を掲げる我が国企業も例外でないことが露呈されたのである。
近年の国際政治経済環境の変動は著しく、従来的な脅威に加え、大量破壊兵器(WMD)とテロリストとの繋がりは、いよいよ現実味を増しつつある。具体的にはロシアから核兵器が流出した事件やイラン問題、そして我が国にもアルカイダ系テロ工作員が新潟に潜伏していた問題、極めつけは「北朝鮮の武器の90%は日本から来た」という元北朝鮮技師の証言が挙げられる。これは例えば、経済援助という名目で資金や技術を供給しても、それを経済水準の向上ではなく、軍事技術開発へと転用され、結果として我が国の安全保障を脅かす結果になるという大変深刻な問題である。
技術の汎用性が高まり、同じ技術が善にも悪にもなる時代。「安全保障は専門家にだけ任せておけば良い」という前提は最早崩壊し、政治家、企業、そして我々一人一人が意識しなければならない問題になってしまった。

勿論、日本政府は無策な訳ではない。経産省がキャッチ・オール規制を導入し、原則全ての輸出品のエンドユーザーをチェックする体制は整えられているし、PSI(拡散に対する安全保障構想)やアジア輸出管理セミナーを開催し、国内国外問わず、DUT(軍民両用技術)の拡散問題に対する普及啓蒙活動を実施している。だが今回の事件は、「エンドユーザー訪問」、即ち疑惑があるエンドユーザーに対して実際にその企業を訪れて調査をする手法を活用していないことに帰結したし、何より日本国の自律的政策ではなく、IAEAという国際機関の調査により問題が発覚したものであるため、日本国に対して抱かれる不信感は相当なものとなろう。

また、広義の安全保障問題で、我が国のメディアが然程頻繁に報道しないが極めて重要な問題として、所謂「年次改革要望書」がある。関岡英之氏の「拒否できない日本」に詳しく、私自身、インターネットを通じて本文(英文)・日本語仮訳ともに熟読してみた。そこから読み取れるのは、正当なコミュニケーション・プロセスを通じた、「日本文明の西洋文明化」とでも形容すべき内容であり、郵政民営化や商法改正といった構造改革の根源は米国の戦略に起因していたという事実である。昨今の耐震偽装問題も、阪神淡路大震災の三年後に規制緩和された建築基準法にまでその原因を遡ることもできる。国民の生命財産の安全保障は一体、どうなってしまったのか?

勿論、この「年次改革要望書」によって日本が発展し、国民が幸福になれるのであれば、SII(構造障壁イニシアティブ=日米構造協議)紛いのプロセスであっても肯定的に受け止めて然るべきである。しかし、日本を訴訟大国にすることによって競争力を阻害しようとする意図(訴訟の頻発が米国企業の競争力を損なったという教訓からブッシュ政権は再選後、訴訟抑制法に署名している)や、NTTを競合しやすくすること(=具体的には外為法の改正だと思われる)によって、自衛隊などの軍事分野・災害有事等緊急に於ける影響の両面に跨る通信主権を脅かす可能性を孕んでおり、決して良いものとは言えない。
また、新自由主義経済政策による国際競争力の強化とは聞こえが良いし、国際社会に於いて競争力は安全保障のためにも必要不可欠であるのだが、冷戦期ソ連に勝利した米国の経済政策は決してレッセフェール的なものではなく、産学官が緊密に連携したテクノシステムであり、規制緩和が国際競争力の向上に繋がるとは一概に言い切れない。実際、当時の米国はコストに一定の利益を上乗せする方式での契約(コスト・プラス利益方式)や、政府が設備投資を行い、その施設を民間に使用させる(GOCO方式)等といった経済体制であったし、当時の半導体の世界シェアの90%を占めた日本経済は、通産省が音戸をとって集中投資を行った(超LSI技術研究組合)結果であった。資源配分の機構としてのみ市場を捉える新古典派以降の市場論の限界、つまり「完全自由競争」という仮定の弊害は、約10年も前のアジア通貨危機によって証明されたはずではなかったのだろうか?

敗戦から60年以上が経過し、日本は世界第二位のGDPを誇る「国家」(nation state)になった。とはいえ、上述した諸問題から伺えるのは、≪日本「政府」(state)の独立であって、日本「国民」(nation)の独立ではなかったのでは?≫という疑問である。

唯一の被爆国であり、自国技術の比較優位・機敏性を認識する国家の民であれば、それが昨今の国際政治環境に及ぼす負の側面を自覚して、経済的コストベネフィット以上のベネフィットを考慮すべきではないだろうか??

経済秩序や通信主権といった、自国の下部構造にダイレクトに影響を与えかねない公式文章を突き付けられれば、相手国に真正面から議論を挑むべきではなかろうか??

軍事力に自主的に制約を設けており、相手国との同盟によって真正面から議論を挑めないのであれば、世界が軍事技術開発に必死になっているという世界潮流をリアルに見つめ、非軍事分野で国際政治経済の安定に必要不可欠な、民生の比較優位技術という日本の代替不可能性を戦略的に活用し、国内秩序を流動的な世界潮流から可能な限り防衛するべく、国家戦略を立ち上げるべきではないだろうか??

今後の日本国家は、我々日本国民の意志にかかっている。