「Be a creative challenger」 教育学部三年 山口宇彦

 先日アメリカから宇宙産業に関するビッグニュースが飛んできた。実業家イーロン・マスク率いる民間宇宙開発企業スペースX社が、一度発射させたロケットを洋上に着陸させることに成功したのである。4回の失敗の末の成功で、これにより宇宙開発はさらに低コスト化が進むが、イーロン・マスクはまだまだ先を見据えている。次なる目標は火星探査、そして将来的に人類の火星への移住を目指すそうだ。
 この実験を成功させたスペースX社を率いるイーロン・マスクという男、実はこれ以外にもいくつもの大事業を動かしている。世界で最も高性能な電気自動車を開発・販売しているテスラ・モーターズ社、全米に太陽光発電を普及させるソーラー・シティ社を率いるほか、サンフランシスコとロサンゼルスを30分で結ぶ超高速鉄道ハイパーループ構想も主導している。政治家でも官僚でもない、一民間人(もちろん社長という立場ではあるが)が社会を大きく動かしているのである。そして彼のような人はアメリカ、特にシリコンバレーに集まり、次々とフロンティアを開拓し瞬く間に世界を変えているのである。一民間人が次々とアイデアと技能と実行力で社会を変えるという時代が到来したのである。
 世界を変えるような事業が次々と起こるアメリカから、今度は日本に目を移してみよう。近年、日本社会はかつての右肩上がりの成長が終わりをつげ、様々な課題に直面している。特に少子高齢化に伴い、国際競争力が低下し、税収が減る中でいかに財政のバランスを保つのかは重要な問題である。政府はこの解決のために増税だけでなく、今後の経済成長につながるような新産業の創出にも不十分ながら力を入れている。かつての日本であれば、このような状況でも経済成長はできただろう。しかしこれからはどうだろうか。ますます財政的なリソースが限られていく中で、政府の支援に頼っていて果たして日本全体は豊かになるだろうか。答えは残念ながら否であろう。
 これからの時代、重要なのは国家がどうするかではない。個人がどう考え行動するかなのである。個人が何らかの潮流に身を委ねて生きていける時代は終わりをつげ、一人一人が主体的に考え、行動し、目の前の問題を解決しなければならないのである。そしてそのような時代に欠かせなくなるのはおそらく前述したイーロン・マスクのような人物であろう。アメリカのように起業マインドがそれほど強くない日本でも、いずれ一民間人が社会をダイナミックに変えていくような時代は確実に訪れるであろうし、訪れなければ日本に未来はないだろう。個人の自立・自律こそが今後の日本に欠かせないのである。そのためには政治はもちろん、経済や教育、社会保障、テクノロジーまでその仕様を変えていく必要がある。現在のシステムを大胆にアップグレードしなければならないのである。そのために必要なのは決断である。政府から個人に至るまで主体的に決断し、自ら未来を切り開かなければならないのである。重要な決断を先送りする政府(そしてその政府を選んでいるのは私たち有権者である)のままでは全くもってこれからの社会に対応できないのである。まして頑張る人の足を引っ張って悦に浸っているような人はこれからの時代は救いようがないのである。一人一人全力で一生を過ごさなければいけない時代である。それは生き抜くのは大変な時代であるが、同時に実に面白い時代でもある。一個人が社会をよりよく変えることのできる可能性を秘めているのだから。この荒波を乗りこなすか、おぼれるかは良くも悪くも個人次第なのである。
 コラムのタイトルは私の母校、北海道登別明日(あけび)中等教育学校の卒業式で当時の校長が英語でスピーチをした際、私たちに送ってくれた言葉である。「創造的な挑戦者たれ」という言葉は今でも私の行動指針になっている。この「創造的な挑戦者」こそ、これからの時代を楽しんで生きることのできる、アイデア・技能・実行力を用いて社会を変える一個人なのである。私は大学に入って、授業、サークル、インターン、寮などで一人一人違う志を持ちそれに向けて全力投球する人と出会うことが出来た。そしてあと2年で、社会に出て戦うこととなる。この2年での経験を糧に自らの実力をもっと磨いて、「創造的な挑戦者」を体現できる人間となる所存である。

「感謝」文化構想学部三年 酒井颯太

卒業、そして入学、入社。
別れと出会いが入り混じる季節となった。春というのは一年で最も特別な季節となりやすい。ある人は別れを惜しみ、ある人は新たな出会いに心を躍らす。そんな季節だ。
別れを前にするとき、人は今の状態がずっと続けばいいのにと思う。小中学の頃、4月のクラス替えを前にして、今のままのメンバーがいいのに・・と思うことがよくあった。仲のいい友達同士で、こいつらとずっといられたらいいのに、なんて思ったりもしたものだ。いくつになっても私たちはこの季節に、切なさとそれより少し小さめの期待を抱く。
春。それが私たちにもたらすものはなんだろう。
それは、所属する社会の移行だ。春以外の季節でも別れと出会いは生じる。だが、自分の所属する社会がごっそり変わるのは大抵春である。所属する社会が変わることは、単なる出会いや別れとは大きく異なる。それはまるで、世界が変わるかのように感じることさえあるものだ。母親のもとから離れず、幼稚園のバスに乗りたがらない子供は何を恐れているのだろう。それは家庭という社会から、見ず知らずの子供たちと生活する幼稚園という社会への移行だ。彼らにとって家庭という社会は、それまで世界そのものであった。それが突然否定され、新たな世界へと投げ込まれるのである。それは恐怖でしかないだろう。
ではなぜ社会の移行は恐怖となるのか。それは誰もが、「おのれ」に向き合わざるを得なくなるからである。「おのれ」に向き合うとはどういうことだろう。ハイデガーは私たち人間を「現にそこに存在しているもの」という意味で「現存在」と名付けた。そして現存在である私たちは常に「世間」に目を向けることで、おのれの「死」から目をそらし続けていると言った。ここにおける「世間」とは、いわば所属する社会である。そして「死」とはおのれの有限性である。私たちは社会に属することで、どこか自分自身の限界を感じることから逃げているのだ。
進学や就活を前にすると、周りの大人は言ってくる。「君は何がしたいんだ?」。これほど困る質問はない。それまで高校生や大学生として、部活や勉強に没頭してきたのに、急に「おまえは何者だ?」と言われるようなものである。「私は高校生です。」それまではこう答えればよかった。それなのにいつの間にか、「君はもう高校生じゃなくなるんだよ。」と言われる。
「どうして野球をしているの?」「野球部だからです。」
「どうして野球部に入っているの?」「野球が好きだからです。」
それまではこれでよかった。なぜか。それは「学校」そして、「野球部」という社会に属していたからだ。なぜ野球をやっているのか。社会はこの漠然としすぎて難解な問いに、言い訳を与えてくれる。
だが、進学や就活となったら話は別だ。そこには、守ってくれる社会は存在しない。
「なぜこの会社を希望した?」「好きだからです。」
この理由が通用するほど世の中は優しくない。そこで私たちは初めて、おのれの存在に向き合うのだ。今まで自分は何をしてきたのだろう。この仕事を一生続けていいのだろうか。私って何者だ?と。そして、自分の限界と対面する。「この点数じゃ、あの大学にはいけない。」「このままじゃ、やりたい仕事をできない。」と。有限性の自覚。死の存在はそれの究極といっていいだろう。それはとても怖いことだ。不安で目の前が真っ暗になる。だから私たちは目を背ける。なにも考えないようにする。だが、世間へと目を背けて、おのれを見つめないことはなにもおかしなことではない。むしろ最も人間らしい行為といっても過言ではないだろう。現にハイデガーも、それこそが人間の特徴だと言っている。しかし私たちはいつまでも、それから目を背けることはできない。社会は移り変わるからだ。進化論の言う通り、生物に現状維持は存在しない。あるのは進化か退化だけ。どれだけもがいたところで、やはり私たちは自らの抱える存在の重さから逃げることはできないのだ。
話をもとに戻そう。私は春が好きだ。だが一方で春に恐怖を感じることもある。なぜなら春は「おのれ」を見つめざるを得ない季節だからだ。でも、それを超えない先に進化はない。「おのれ」を見つめないものは、社会に任せて、退化していくのみだ。社会は気づかないうちにゆっくりと変わっていく。そしていつのまにか、「おのれ」を見つめないものを置き去りにしていく。みんなそんなこと薄々分かっているのかもしれない。だが、実際に行動することは難しい。何度も何度も自分の限界に向き合わなければならないからだ。ちなみに、社会の移行の例として、就活や受験を上げてきたが、これらも所属する社会においてそれらが当たり前のものだった場合、そうでない社会に属する人に比べて、おのれを見つめることは少なくなるだろう。
「あなた何やってるの?」「就活です。」
「どうして?」「四年生なんで。」
こんな会話は聞き飽きた。結局彼らは真に「おのれ」に向き合っていないのだ。
社会とは大きな船のようなものである。そこの乗組員になればオールを漕ぐ程度で、自分で海を泳ぐ必要はなくなる。ひとりで海を泳いでいるとき、そんな船を見ると、ついついうらやましく感じる。だが、どちらがその時に泳ぐ力があるかは明白だ。勘違いしないでほしいのは、古くなった船を捨てて、別の船にのっただけで進化していると思い込むことである。新しくて速い船に乗りかえたって、本人の泳ぐ力は変わっていない。そして一見その船に距離を離されるように見えても、それは気にすることではないだろう。もちろん船に乗っても己に向き合い、船を思いのままに動かす人は多くいる。まぁ、衣食住そろった船で頑張る人と、海で泳ぎ続ける人。どちらの方が力がつくかは、読む人の判断に任せよう・・。でも、どちらにせよ大事なのはおのれの限界と向き合い、常に戦い続けることなのだ。
少し長くなったが、この記事を見ている人のなかには、新たなスタートを切ったばかりの人もたくさんいるだろう。私から一つだけアドバイスを送らせてもらえるのならば、それは、「感謝を忘れるな」ということに尽きる。「感謝」とは何だろうか?これは意外に難しい質問だ。「ありがたく思う心」じゃ答えになっていない。私の思う答えは「有限性の自覚」である。私が考えるに、小さい頃からうるさく言われてきた「感謝をしなさい」は、「おのれを見つめなさい」ということだったのだ。食事前のいただきますも、何かしてもらったときの「ありがとう」も。すべては一人じゃそれにありつけなかった、おのれの限界を改めて自覚するための一言だったのだ。だからぜひ、おのれに向き合うためには「感謝」を忘れないでほしい。かく言う私自身も、ついつい忘れてしまう「当たり前の有限性」をもっと意識しなければならないと思う。まぁ、口だけなら誰でも言えるので、ちゃんと意識をすることを忘れないでおこう。(今の生活に感謝しているとか言いつつ、次の日の朝授業にいけない人間を私は嫌というほど見てきた・・)。

ここまでだいぶ長くなってしまった。どうしてこれ程ダラダラと書いてしまったのかは、いろいろ事情があるのだが、とにかく世間に流されず、おのれを見つめることの大切さを自分自身に対しても含めて言っておきたかったのだ。
最後になったがぜひこれを読んだ新入生がいたら、おのれと向き合うことにひたむきになれる我が早稲田大学雄弁会の門を叩いてほしい。雄弁会も一つの社会であることには限りないが、このサークルは恐らく早稲田で最も「おのれそのもの」を問うてくるサークルだ。だからこそ、必ず後悔させることはないとここに誓おう。
では、そろそろ筆をおこうと思う。
長文失礼した。

"Seek A Light" 政治経済学部一年 宇佐美皓子

大学に入学し、気づけばもう2月である。なんとも言えない時の早さに、焦りを抱く。
去年まで高校生だった私が、この一年の大学生活を経ていったい何を得たのだろうか。

初めて出場した弁論大会では、国際問題を聴衆に共感させることの難しさを知り、
雄弁会の活動を通して、自身の能力に悔しさを抱くことは数知れず、
将来について家族と衝突することも多くなり、
様々な人と接する中で、自分の人間としての小ささにも気づくことが多くなった。

そんな中で自分の考え方が大きく変わるターニングポイントがあった。
2度目の弁論大会である。
多くの時間と能力を費やして、我が子のようにずっと温めてきた弁論が、
「遠いからよくわからない」、この一言で音を立てて崩れ落ちた。
この辛さをもう一度味わうのかと思うと、2度目の弁論大会に出場する決心なんて、できっこなかった。
そんな状態の私を準優勝まで導いてくれたのは、大切な人の言葉だった。

 「全力を出して得た結果なら、必ず自分につながる」。

一見あたりまえのようなこの言葉は、それでも深く、私の心に響いた。
 賞を目指すのではなく、わかりにくいけれども確実にそこにあるであろう、賞のその先にある何かを得よう、そのために全力でとにかく走ってみよう。こう思えたのである。


改めて、私がこの一年の大学生活を経て得たもの、
それは、暗闇の中で、見えない光に向かって進み続ける自信である。
たとえ今、光を見つけられなくても、前に進み続けることで、いつか必ず光を見つけられる。

そして、その自信の背後には、紛れもなく大切な人たちの存在がある。
ともに暗闇の中で光に向かって進む人。
光は必ずあると教えてくれる人。
進み続けられるように励ましてくれる人。

自分を支えてくれるこんな人たちの存在に感謝し、限りある時間の中で、全力で光へと進み続けていきたい。


あっと言う間に1年が経ってしまった。
きっと同じことを言う一年後はもうすぐそこだろう。


Seek A Light.

「まだ見ぬ後輩たちへ」 社会科学部一年 宇治舞夏

 二月中旬、大学の近くを通ると「早稲田入学試験場」の看板が掲げられていた。一年前にもその前の年にもこの看板を見ながら早稲田に憧れる受験生だったことを思い出した。あの頃は自分がこの雄弁会に入るなんて思ってもいなかったし、さらに言うと雄弁会の存在すら知らなかった。そんな私だったが、この雄弁会で一年間私なりに精一杯活動を行ってきた。
私がなぜ雄弁会を知り入会することにしたかについては長くなるのでここでは省略する。しかしひとつ大きかったのは「新歓コンパで先輩方と話していて面白かったから」である。一見どのサークルにも当てはまりそうな理由に聞こえるかもしれないが、雄弁会における話の面白さは他とは違った。雄弁会以外にもいくつかサークルの新歓に行ったが、たいてい出身地や学部、話がはずめば軽い趣味の話もしたりする、その程度だった。うわべだけの会話だし、寝て起きれば何を話したかなんて忘れてしまう。しかし、雄弁会では現代において何を問題に思っているのか、どう変えていきたいかということについて聞かれる。それに答えていくうちに、自分について普通の友達にもあまり話したことがなかったような深い話までしていた。このような深い内容について話せる人は周囲にほとんどいなかった。それなのにもかかわらず、目の前にいた初対面の先輩方には話すことができた。雄弁会自体がそのような問題を扱って研究を行っていくようなサークルであるからということも考えられるが、それだけではないと思う。
雄弁会の先輩方は、本当に様々な魅力的な人がいる。今まで中学や高校でも大人数の学校に通っていたため、多くの人と関わってきた自負はある。しかし、今まで出会った多くの人々のどの人とも似ていなかった。そのため、どの先輩方と話をしてもそれぞれいろいろな考え方を持っていて、コンパの間の二時間弱はとても刺激的だった。帰宅してからもそのとき出会った様々な考え方が頭の中をぐるぐるして、興奮して眠れなかったことを覚えている。またその人たちと話したくて通っているたびに、気づいたら入会していた。これが、私がなぜ雄弁会に入ることにしたかについての大きな理由である。

 四月にどんな新入生が入ってくるのか。一癖も二癖もある後輩たちが入ってくるだろう。私たちはあのとき憧れた魅力的な先輩方のようになれるだろうか、そんな期待と不安が入り混じる。早く後輩たちと面と向かって話をしてみたい、きっと、後輩たちからもいろんな考え方を知ることができるだろう。そんな期待で胸が膨らむ今日この頃。

"Don’t feel, think" 教育学部二年 山口宇彦

 1970年、大阪で開催された万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」であった。高度経済成長の中で日本人が抱いた、科学技術の発達が人類のすべての課題を解決し、平和で繁栄した社会を作ることができるという、前向きで希望に満ちた未来予測がこのテーマには込められていた。ではその万博から40年以上経ち、「人類の進歩と調和」は実現しただろうか。
 現実は遠いと言わざるを得ないだろう。世界中でテロ組織が暗躍し我々の生活は常に脅かされる時代となっている。天井知らずだった経済成長にも限界が見え、持てるものと持たざる者の格差は広がる一方である。先進国ではアメリカ大統領選におけるトランプ候補の躍進やフランスの国民戦線の台頭など、ナショナリズムが吹き荒れている。さらに地球規模では環境破壊が深刻な問題となり、人類の種の存続すら問われる事態となっている。科学技術の発展によって人類の問題が解決され平和で繁栄した社会を作りあげるという、1970年に日本人が抱いた崇高な理想は、消えてしまったかのようにみえる。この状況を前にして、社会を変えたいという志を持つ若者はどうすればよいのだろうか。私たち雄弁会の会員たちもそれぞれの志を抱き日々の活動をしているが、混迷極める社会を前にして、その志がくじかれそうな思いをするのも事実である。解決すべき課題の多さ、そのハードルの高さ、将来予測の困難さに、無力感を感じざるを得ないのである。
 おそらく雄弁会以外の、社会を変えたいと大志を抱く人、そしてそうでない人も社会の混迷を増す様に、無気力さを感じ、時に目を背けたくもなるだろう。何せ明確な正解を見出すことが出来ないのだし、既存の権力は問題に対し何ら抜本的な解決策を打てないように見えるのだから。しかしここで重要なのは解決できるかできないかはともかく、とにかく関心を向け続け、考え続けることしかないのだ。もし無力感のまま社会と向き合えば、私たちはしばしば投げやりな解決策を選びがちになる。かつて世界恐慌の混乱を前に、ドイツやイタリアは、独裁者に自ら身を委ねた。経営危機に陥った多くの企業は、自らの手による解決を先送りとして粉飾決算をはじめとした不正による危機の先送りを図った。その結末がどうだったかは語るべくもないだろう。私たちが問題解決を避け、何かウルトラC的なものに解決を委ねようとしたとき、悲劇は起きるのである。
では、この時代、私たち一人一人は社会とどう向き合えばよいのだろうか。私はタイトルで述べたように「感じるのではなく、考える」ことが重要であるとしか言えない。映画『燃えよドラゴン』でブルース・リーは「考えるな、感じろ。」という名言を残したが、現代社会と向き合い、意思決定するには「考える」ことがなによりも重要なのだ。「考える」とはつまり理性を持ち長期的な展望を持ったうえでの思索である。それをなくしては、私たちは、時代や組織の空気に気づけば流され、社会の誤った部分を見過ごし、将来的に自ら自身を滅ぼしてしまうのである。感情をなくせ、と言うつもりはないが、理性的側面を強化し続け、少しずつ変革を図ることしかできないのである。
今年は参議院選挙がある。今年は18歳以上に初めて選挙権が拡大される。将来的展望を持っている若者こそが、刹那的判断ではなく、長期的な視点での投票をして、政治に自らの意見を反映させていく必要があろう。

"Amor fati" 商学部二年 清水寛之

「人間の偉大さを言いあらわすためのわたしの慣用の言葉は運命愛である。何ごとも、それがいまあるあり方とは違ったあり方であれと思わぬこと、未来に対しても、過去に対しても、永遠全体にわたってけっして。必然的なことを耐え忍ぶだけではない、それを隠蔽もしないのだ」
ニーチェ『この人を見よ』

 哲学者ニーチェの著作『この人を見よ』の一節である。人間が永劫回帰の世界を肯定していくための在り方を述べたものであるとされる。ニーチェに限らず、一般に哲学の解釈や理解は個々人により多岐にわたる。また、哲学の意義を社会に対する批判を涵養し実践へと結びつけることに求めるならば、敢えて解釈の多様性を是としたいと思う。従って、本コラムでは私自身がこの言葉に感ずるところの意義を述べていきたい。
 では何故、この言葉に少なからぬ感銘を受け、筆を執ったのか。それは近年の政治や社会制度を始めとする様々な問題から、日常生活に至る多くの分野において虚無的な言説が蔓延しているように思われ、であるとするならばそれに問題意識を抱くからに他ならない。当然ながら、政治における期待度の低下などは近年に始まったことではないし、個々人の日常生活に何らかの「堕落」のようなものを見いだそうという意図は毛頭ない。何より、私などが他者の在り方について偉そうに語り得る資格や見識は全く有していないことも事実である。  
 ここで話を本題に戻したい。そもそも虚無とは何か。また、なぜ超克すべきなのか。一つ例をあげて述べたい。バブル崩壊より2010年頃までの時期は、日本社会では「失われた20年」という呼び方で表される。戦後の焦土から復興し高度経済成長期を経た日本が経済大国として君臨してから、バブルを機に不景気に陥り低迷を抜け出すことの出来なかった時代を端的に表した言葉だ。そしてこの一年か二年のうち、日本は「失われた30年を迎える」という言説が散見され始めている。勿論、西欧諸国を始めとする先進国は軒並み低成長時代に突入しており、人口や技術革新などの成長著しい発展途上国の現状に鑑みれば日本の努力如何などにはかかわらず、これまでの2,30年間の事態は当然の帰結であるように思われるし、これからも大きな成長などは望めないだろう。また、そもそも充分な物質的繁栄を手に入れた我が国が、これ以上の成長を望む必要があるかということについても議論は分かれる。しかし、私がここで問題に感ずるのは日本の現状そのものではない。「失われた」という否定的なニュアンスで私たちの遠からぬ過去や現在、そして未来を語り、負の烙印を押すことが我々を不幸にしてしまっているのではないかということだ。もはや生きていくことには困らず、日常の安全が脅かされることも無い私たちにとって(子どもの貧困や原発事故による安全神話の崩壊等の新しい問題に対して目を向けていかなければならないことは言うまでもないが)、右肩上がりの時代の価値観のまま現在を見つめ悲観するのではなく、新しい時代の到来を運命と捉え積極的に恩恵を享受しその時代を肯定していこうとする姿勢こそが我々に幸福を齎すのではないか。物は言いようと言うが、我々の置かれている状況もまた感じ方次第である。これは現実からの「逃げ」ではなく、寧ろ現実に向き合う「誠実さ」であると思う。
 最後に一つだけ、誤解の無いように付言しておきたい。私は全てをありのままに肯定し、ただ盲目的に生きるべきであると主張する意図はない。まして僭越ながらも社会変革を志さんとする立場である以上、それは絶対に肯定すべきではないだろう。私が述べてきた運命愛とは、今置かれた現実を見つめ、受け入れることである。しかし、「受け入れる」とは「諦める」こととは同義ではない。全ては「受け入れる」ことから「始まる」のだ。

『「イマ」というほうき星』法学部一年 野村宇宙

 「いつやるか?今でしょ!
 一時期、この言葉が巷で流行した。今では時折耳にする程度になってしまったこの言葉だが、私はある種、人生の核心を突いた言葉だと思う。実際、この言葉を最初に発した人物は、数多くの偉人の思想や哲学に関する書籍を読み、勉強した結果、彼らの考え方に共通するものとして、「今を大切にすることの重要性」を見出したのだという。それでは以下に、「今の自分」についての私の考えを記したいと思う。
 「自分」には、3種類の自分がいる。過去の自分、未来の自分、そして今の自分の3者である。今の自分はふとした時に、過去の自分に出会う。それは例えば、思い出の場所に行った時。自分にとって大切な場所に行った時、人はそこで過去の自分と出会う。特に、かつて自分が傷ついた場所に行った時、過去の自分はより鮮明な輪郭を持って現れる。だからこそ、過去の自分との邂逅は、時に心痛を伴うものとなる。ここで、「場所に行く」という表現を用いてはいるが、必ずしも物理的にその場所へ行く必要性はない。ふとしたきっかけで思い出し、その場所へ思いを馳せることもまた、過去の自分との邂逅を可能にする。
 次に、未来の自分についてはどうだろうか。過去の自分と異なり、未来の自分の輪郭は、それが近い未来の自分でない限りは、常に曖昧である。それは、未来の自分が想像や推定の産物に過ぎないからだ。未来の自分の輪郭が曖昧だからこそ、人は希望を持つこともできるし、不安を抱くこともできる。また、過去の自分と未来の自分に共通して言えることは、今の自分の変化に従って、両者の姿かたちはいかようにも変化するということである。
 ところで、3種類の自分がいる中で、最も大事な自分は誰だろうか。私は、今の自分だと思う。もちろん、何人もの過去の自分と出会い、言葉を交わし、今の自分の向上に繋げることや、未来の自分をあれこれ想像し、未来に希望を抱くことも大切だ。しかし、それらの行為の両者に関わっているもの、それらの行為の中心にいるものは何か。それは、今の自分である。今の自分がいなければ、過去の自分を意味づけてあげることも、未来の自分を仮定してあげることもできないからだ。言い換えれば、過去の自分も未来の自分も、今の自分がいるからこそ成り立っているのだ。
今の自分の心境や考え方の変化に伴い、過去の自分の意味合いは変化する。具体的に言えば、それまではトラウマだった過去の自分を、他者からの何気ない言葉がきっかけで肯定的に捉えられるようになることなどがそれにあたる。今の自分の心境や考え方の変化に伴い、仮定される未来の自分も変化する。具体的に言えば、一生懸命努力して今の自分が目標を高くしたことによって、未来の自分像も変化することなどがそれにあたる。
だからこそ、私は今の自分を何よりも大事にすべきだと思う。過去の自分、未来の自分を創りだす源である今の自分が、今何をするのか。そこに全てが懸かっているからだ。今この瞬間を何よりも大切にして、1分1秒を全身全霊で生き抜くこと。このことこそが大切であると、私は訴えたい。